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【最終話②】首輪が嫌いな君にRewardを。2

 変わったことがいくつかある。    一つは刑事部長が辞めたこと。事態が大事になってしまった以上、責任を問われる前に辞めてしまった方が楽だと踏んだらしい。どこまでも打算的な人だった。  もう一つは「近く刑事部に新しく課が新設される」というものだった。  それは、ダイナミクス性に特化した捜査機関らしい。第二性を持つものによる犯罪、第二性を利用した性犯罪を取り締まる。草案は何度も上がっていたけれど、決定力に欠けていたため、新設までこぎつけることがなかった。けれど今回の件があり、本格的に国が動き始めたようだ。 「俺が課長に、おそらくお前が補佐に任命される」  と柏木が言った。  どうやら病院で彼が言いかけていたのはこの話と、 「新課が出来てから問題になると色々と面倒だから、後ろめたいことは早めに始末書書いとけよ」という話らしかった。  確かに美斗を救うため、国近はいくつかの服務違反を犯した。乱暴な手段を使った事実も否めないので、柏木の言うことはもっともだった。  そんなわけで国近は、膨大な量の後処理と共にいくつかの始末書を作成することになった。  それらがようやく山場を越えた頃。  国近は美斗と共にとある場所へと向かっていた。関越道と上信越道を経由し、国道をしばらく進んだ先にあるその町は、美斗の生まれ故郷だ。  中心街は交通の便が発達しているそうだが、山間部はほとんど車社会らしい。新幹線を使った方が時間的には早いのだけれど、そういった背景から国近が車を出すことにした。  運転席に腰をかけ、慣れた手つきでハンドルを回す。遠出をするのはいつぶりだろうか。社会人になってから、国近は仕事一筋で生きてきた。そういった機会はほとんど作らなかった気がした。臙脂色に染まった木々が、フロントガラスの向こうを通りすぎては消えていく。視界のずっと向こうに大きな山々が見えて、都会では見たことがないぐらいの鮮やかな装いをしていた。この辺りには紅葉の名所がいくつかあるらしい。  助手席に座った美斗の口数は、いつも以上に少なかった。ただ、高速を抜ける少し前。冬が来る前に来たかったのだ、とだけ呟いているのを聞いた。山間部にある美斗の故郷は、冬になれば二メートル以上の雪に覆われる。もうあと一か月もすれば、初雪が降るそうだ。  国道を抜けて、車は県道へとひた走る。  山沿いに近くなると、車内の気温は一気に冷え込んだ。暖房のスイッチを入れて、民家と田んぼが連なる通りを進んでいく。 「ここだ」  しばらく車を走らせていると、美斗が言った。  ウインカーを出し、車を路肩に停車させる。一軒の民家の前だった。  助手席のドアを開けて、美斗が車から降りる。ハザードをつけて、国近は後へと続いた。 二人でその家の玄関口へと進み、年季の入ったインターホンを軽く押す。  家の奥から、「はーい」という軽快な返事が聞こえた。少ししてから、玄関の引き戸が開かれる。目の前に現れたのは、初老の女性だった。 「えっと……」  身に覚えのない来客に、戸惑ったように首を傾げる。美斗が名乗ると、その顔は翳りを帯びた。 「ああ……」  と呟く。その声色は淡々としていて無愛想だった。  簡潔に美斗が用件を伝える。両親の墓参りがしたいから、墓の場所を教えて欲しいというものだった。この女性は美斗の母方の叔母にあたる人物で、この近辺に唯一暮らしている美斗の親戚だった。  女性は曖昧に頷くと、一度家の奥へと戻る。メモとペンを持ってくると、地図を書いて説明をした。ここから車を十分ほど走らせた先に、地元では有名なため池があるという。その近くに公営墓地があり、そこの一角に美斗の両親の墓もあると言った。  メモをこちら側に差し向ける。美斗がそれを受け取った。  こちらを見つめる彼女は、どこか困ったようで、それでいて煩わしそうだった。  美斗が頭を下げる。礼を伝えて、それじゃあと玄関先を去ろうとした。 「もうここには来ないでくれる?」  そう、彼女は言った。 『あまり歓迎されないかもしれない』  ここに来る前に、美斗はそう言っていた。美斗の故郷では第二性を持つものが極端に少なく、ダイナミクス性に対する偏見が根強いと聞いた。美斗の叔母はその筆頭で、幼い頃からあまり美斗のことを良くは思っていなかったらしい。  美斗の瞳が一瞬驚いて、そのあとで悲しそうに揺らぐ。 「意地悪をしているわけじゃないのよ。今はだいぶ落ち着いたのだけれど、一時期はここにもマスコミが来てね。毎日大変だったのよ」  ご近所の目もあるでしょう。と彼女は続けた。  シュンと美斗が肩を落とした。唇を震わせて、何か答えを探そうとする。  助け舟を出そうかと唇を開いた時だった。 「お母さん!」  背後から、そんな声が飛んだ。同時に、誰かが国近と美斗の間を割って玄関へと入ってくる。 「なんてこと言うの!」  声の主は、叔母よりもぐんと若い女性だった。年の頃は国近と同じか少し年上かといった具合。背丈がすらりと高く、長い髪をポニーテールにまとめている。 「夏帆子!」  叔母が彼女のことを、そう呼んだ。  女性はバツが悪そうにする叔母を無視し、こちら側へと向き直る。美斗の方に目を向けて、快活そうに笑った。 「久しぶり。美斗くん。私のこと覚えてる?」 「ぇ……あ、えーと」  驚きと戸惑いで、美斗が半口を開ける。 「あら、覚えてないの? 残念。夏帆子だよ。貴方の従姉妹」 「へ……」  少し考えて、思い至ったようだ。あ、と美斗は短い声を上げた。 「夏帆子さん? あれ、でもたしか京都の大学に通ってたんじゃ」 「随分前に帰って来たの。上がっていきんさい。月下堂の和菓子を出すから。美斗くん和菓子好きでしょう」 「ちょ、ちょっと夏帆子!」  叔母が、夏帆子の後ろから抗議の声を上げる。うんざりとした様子で、夏帆子は叔母に言い返した。 「うるさいなぁ。マスコミなんて、美斗くんのせいじゃないでしょう。生まれてくる子の教育に悪いから、そういうのやめてよね」  外見からは分からないけれど、どうやら妊娠しているらしい。夏帆子は一瞬、チラリと横の国近に目を向けて、二人の方を指さした。 「こんなところで立ち話なんかしてる方が近所で噂になるわよ。こんなイケメンと美青年、この街じゃ絶対に見ないんだから!」  イケメン……? と国近は首を傾げた。 「夏帆子さん、俺、用事は済んだからもう……」  喧騒を唖然と眺めていた美斗がおずおずと声をかける。ピシャリという非難の声が飛んだ。 「はぁ!? 私の淹れた茶が飲めないって言うの!?」 「ち、ちが……。そんなこと言ってないだろ!」  珍しく美斗が押されていた。ぷ、と思わず国近は吹き出す。 「……車、裏に停めさせていただいても?」  このままだと無断駐車になってしまう。先ほど家の横手を通りかかった時に見た。裏に駐車場があるはずだ。 「お、おい」  美斗が国近の袖を掴んで静止する。向けられた瞳は、先ほどとは別の意味で縋る先を求め、大きく揺らいでいた。美斗の手に手のひらを重ねて、柔らかく国近は微笑む。 「お言葉に甘えよう。夏帆子さんは美斗と話したいみたいだ」 *  上がるようにと促されて、屋敷の居間へと案内される。夏帆子は温かいお茶と三人では到底食べきれない量の栗まんじゅうを出してくれた。 「……なんの手土産も持たず、申し訳ありません」  カチコチに緊張してしまった美斗の代わりに、国近が場をつなぐ。  夏帆子は柔らかく微笑むと、 「いいのよ。母があんな調子だからね。かえって気を遣わせてしまったのでしょう」 と母親の無礼を詫びた。  国近たちが家に上がると同時に、夏帆子の母親はとても不快そうな顔をして、家の奥へと閉じこもってしまった。美斗は申し訳なさそうに眉を下げていたけれど、夏帆子は毅然とした態度で、「放っておけばいいわ」と突っぱねた。  先ほどの言動と言い、美斗の気の強さは血筋なのかもしれない。  夏帆子は一回寂しそうに笑って、 「狭い世界で生きちゃうとね、それが世界の全てになってしまうのね」  と目を伏せた。  夏帆子は十年前まで京都の大学に通っていたらしい。就職を機に地元に戻り、この街と隣接する、地元では一番栄えた町で暮らしている。一昨年、同じ職場に勤める男性と結婚をして、春には子どもが生まれるそうだ。  美斗の両親が亡くなった時。大雪の影響でこの街には帰れず、通夜や告別式には参加出来なかったと言った。地元に帰ったのは美斗が東京に旅立ったずっとあとで、ずっと気になっていたのだと話した。  そして、美斗がいない間の地元の話や、親戚の近状なんかを話してくれた。 「そうそう。貴方の生家ね。今は自治体が買い取って、雨宮千秋の記念館になっているの。時間があれば、帰りに寄ってみるといいわ。展示してない遺品もたくさんあるって聞いたから、連絡すれば引き取らせてもらえるんじゃないかな。今度聞いてみるね」  帰りには、近所からもらったという野菜と、食べきれなかった分の栗まんじゅうを持たせてくれた。月下堂という和菓子屋の和菓子は、この街では評判のお店らしい。 最後に連絡先をくれて、子どもが大きくなったら旦那と遊びに行くから、案内をしてねと笑った。それは少し強引だったけれど、また会いに来てもいいという彼女の意志表示なのだろうと、国近は思った。 *  車内に戻ると、美斗の口数はまた少なくなった。頬杖をつき、窓ガラスに頭を預けて思想にふける。国近はもらったメモを片手に記憶する。墓地に向かって車を走らせた。 「スーパーで仏花を買っていこう」  と国近が言うと、美斗は目線だけをこちらに向けた。  線香やロウソクは都内のコンビニで買ってきたのだけれど、花は傷むだろうから買ってこなかった。美斗は一旦頭を窓ガラスから離し、辺りを見渡す。百メートル程度先、左側に見えている建物を指さした。 「そこのドラックストア、左に曲がった先に、花屋がある。……今もやっていれば、だけれど」 「……寄っていこう」  短く答えて、左側のウインカーを上げる。美斗が背もたれに深く背を預けた。 「覚えているもんだな。案外」 「……そうか」 *  美斗の両親が眠っているという霊園は、夏帆子の家からさらに山間に進み、曲がりくねった道をいくつか超えた先にあった。  霊園自体が坂状になっていて、霊園の周りを針葉樹が囲んでいる。  事前に聞いていた駐車場に車を停めて、坂道を上る。  気温はさらに低くなっていた。呼吸をする度に、白い息が唇からこぼれ落ちていく。 冬物のコート引っ張り出してきたけれど、マフラーも一緒に持ってきてもよかったかもしれない。冷えた風が、国近の首元を通っていく。けれど、美斗は案外平気そうで、国近の前をずんずんと進んでいた。  坂のちょうど中腹。二人の眠る墓は、そこにあった。  墓石を見つけて、美斗はもの悲しそうに、でもどこか安心したように目を細めた。  国近が続いて、墓石の前に立つ。石の側面に、二人分の名前が記されていた。 『雨宮ちふゆ』 『雨宮彰人』  ああ。そうか。だから『千秋』で、『美斗』なのか。以前新聞記事を読んだ時には、気が付かなかった。 『千秋』は妻と自分の名前を捩って。『美斗』は、「あき」と「ふゆ」のあとに「はる」が来るからだ。それは、まごうことなく美斗が二人に愛されていた証拠だった。  やり方がわからない。と美斗が言うので、国近は手早く花を供え、蝋燭と線香を焚いてやった。 「作法はあるけれど、悼む気持ちがあれば十分だ。きっとご両親も喜んでくれている」 「……そうか」 「ああ」  頷いて、国近は墓石の前に跪く。そっと目を閉じ、両の手を合わせて祈りを込めた。  美斗が隣に並んで、同じように手を合わせた。  しばらくして、国近は目を開ける。横の美斗はまだ手を合わせていた。  そっと立ち上がって、国近はその場を後にした。  どれくらい時間が経っただろうか。  太陽が赤く染まり、日が暮れはじめていた。  合掌を終えても、美斗はそこから動かなかった。墓石を眺め、思い出をずっと反芻している。 「美斗」  呼びかけて、ぴと、と美斗の頬に触れる。肌はすっかり冷たく凍っていた。 「ここは随分冷える。もう少しここに居るか? 何か温かい飲み物を買ってくるよ」  美斗は数秒、国近の顔を眺めて、それからふるふると首を横に振った。腰を上げて、立ち上がる。 「もう、大丈夫だ」 「そうか」 「……帰ろう」 「ああ、分かった」 「はじめ」 「ん?」 「ありがとう」 「……ああ」

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