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【第6話③】言ったら全部、叶えてやる。3

*  ベッドサイドに、国近が首輪を投げる。下の手を絶え間なく動かしながら、美斗はそれを追った。枕の横に落ちたそれは、ベッドのスプリングに一回だけ沈んで、動かなくなった。 首元の軽さに気が付く。  もう、怯えなくてもいいのか。あの首輪に。あの首輪をつけた人物に。  お仕置きと称して自分で自分の首を絞めるような真似を、もうしなくてもいいのか。  ほっ、と美斗は息を吐いた。 「よく頑張ったな」  頭上で、国近が言った。新しい、自分の支配者。  彼の顔が心配そうに歪んでいるのは、気のせいだろうか。  美斗は首輪から視線を外す。  そんなことよりも、今はもう……。 「くに、ちかぁ、もう」  もう無理だ。散々焦らされたあとで、自分でいじるように言われた手の中のそれは、はち切れそうなぐらいに張りつめ、少し気を抜いたら弾けてしまいそうだった。  そっと、国近が美斗の頬を撫でる。 「『はじめ』」 「へ?」  言葉の意味が分からなくて、キョトと首を傾げた。 「名前で呼んでほしい。嫌か?」 「あ、ぇ……?」  嫌、じゃない。でもいいのだろうか。そんなまるで恋人みたいな呼び方をしても。気に障ったりしないだろうか。  何も言わない美斗を見て、くす、と国近が口角を上げた。 「そうだな……」  彼の指が、身体をなぞる。  内腿に移動したそれが、裏筋を滑った。 「あ、ひ、あぁ」  限界までせき止められた熱は、たったそれだけの刺激も敏感に感じ取ってしまう。 「ちゃんと呼べたら、イかしてあげる」  恍惚とした美斗の瞳が、彼の姿をとらえる。  ずるい。そんなことを言われたら、逆らえない。  それに、ちゃんと名前を呼べたら、きっとまた国近は自分を褒めてくれる。 「……じめ」  小刻みに震える唇を、小さく開く。 「は、じめ」  名前を呼んだ。 「ああ」  ふわりと、また彼が笑う。  胸の奥が、なんだか締め付けられるように痛かった。 「“good boy”」  もう何度目かの褒め言葉だ。ぐしゃっと頭を撫でられて、美斗の顔が嬉しそうに溶けていく。  国近が美斗の肩を掴む。  いまだ鞭の痕が残っている美斗の背中がこれ以上傷まないように手を置いて、優しくベッドに押し倒す。  ふと横を見ると、先ほど外されたばかりの首輪がそこにあった。  美斗の気が、完全に首輪に逸れるギリギリのところで国近の腕が動いて、首輪をベッドの下へと払い落とす。 「ひぃ、ぁああ」  蕾を、そっと撫でた。 「もう少しだけ我慢できるね?」  頭上から向けられた言葉にコクコクと頷く。本当はもう限界だけど、彼が我慢できるというのだからきっと我慢できる。  美斗の体液でたっぷりと濡らされた細長い指が、そのまま中に差し込まれる。  圧迫感に美斗は顔を歪めた。 「痛くない?」  国近の指先は優しかった。無理に動くこともなく、むやみに傷口をえぐるような真似もしない。最大限美斗に配慮してくれている。  こんなに気遣われているのに、痛いわけがない。  むしろ――。 「あ、ふ、ぁあ」  熱い吐息を漏らす。  気持ちいい。彼の指が、自分を触っている。  こんなに満たされることはない。 「……大丈夫そうだな」  よかったと国近が呟く。  指が中で曲がると、美斗の一番敏感な部分を掠った。 「ひぃ! あぁ、そこ、や」  ひと際大きな嬌声が零れた。  そこを、皺を伸ばされるように触られる。  時折コツコツとノックをするようにされると、溜め込んだ熱がぐるぐると美斗の中で巡った。  もう、限界だ。  出したい。それしか考えられない。けれど、自分のDomはまだいいと言っていないから、もう少し耐えなければいけないだろう。言いつけに逆らって出そうとしても、どうせ何も出てこないことを、美斗は本能的に知っていた。  美斗が出来ることは、ゆるゆると腰を揺らして、ほんの少しだけでも快感を逃すことぐらいだった。  国近の指はしばらく中を溶かして、三本ほど入るようになったころ、ようやく中から抜けた。  てかった指を、国近が舐める。チカチカと点滅する視界で、美斗はぼんやりと、その様子を眺めていた。 「は、じめ」  肩で呼吸をしたまま、呼びかける。  ぎゅっとシーツをにぎった。 「イ、かしてっ、はじめ」  一瞬、国近の目が丸くなった。それはすぐに柔らかく解かれて。いつもの笑みに変わった。  蕾に、国近のものが当たる。 「……ああ。いいよ。よく頑張ったな」  一気に、最奥を貫いた。 「ひぃぃ、あぁあ!」  ピンと背筋を伸ばして、美斗は果てる。  陰茎から飛び出した白濁は、中々止まらなくて。ベッドシーツを艶めしく染め上げていた。 *  国近の下で美斗はか細い呼吸を繰り返していた。  虚ろな目が、天井を向いている。  骨の浮いた腰を、国近は撫でた。 (……また、痩せたな)  元々華奢な体つきをしているとは思っていたけれど、ここ数日間で随分と体重が落ちたようだ。無理もない。Drop中は、水分すらまともに取れない状態だった。三日目からは申し訳程度に主成分の九割が水のお粥に、時々栄養剤を溶かして与えていたけれど、それだって完食できた試しはなかった。元来、彼は小食らしく、あまり量を食べることはなかったけれど、それにしてもここ数日の食事量は極端に少ない。  今日はもう限界だろう。元より、無理をさせる気はなかった。  ものを抜こうと国近は腰を引いた。  その時だった。 「や」  ぎゅっと、彼の脚が国近の腰に絡まり、それを拒んだ。 「ハルト?」  驚いて、国近は目を丸くする。 まだ意識があったのか。 「…ぃ…で」  パクパクと唇が動く。 「まだ、やれる。まだ、出来る、だから」  掠れた声が、何かを訴えていた。  首を、傾げる。何を伝えようとしているのだろう。 「捨て、ないで」  はっと、国近は息を飲んだ。  首元に目をやる。線状痕の出来た首筋は、それがあったところだけ不自然に白くなっていた。  Dropをする様子もなかったし、平気そうにしていたから、気が付かなかった。  関係が破綻していたとはいえ、パートナーからもらった首輪を外したのだ。頭では分かっていても、身体はコントロール先を失ったと判断しているのかもしれない。  不安定になってもおかしくない。  美斗の瞳にみるみるうちに涙が溜まっていく。脚の力は強く、無理にほどこうとしてしまえば怪我をさせてしまいそうだった。  ああ。そうか。この子はこういう方法でしか、誰かを繋ぎとめる術を知らないのか。 「ハルト」  呼びかける。  教えてやりたかった。正しいPlayも、優しい関係も、めいっぱいの愛情も。全部を全部、彼に教えてやりたかった。 「こういう時は『そばにいて』って言うんだよ」  彼の頬を撫でて、国近が言った。  努めて優しく、問いかける。 「言ったろ? 首輪が外れたら、ハルトは俺のSubだって。俺は、君が思っている以上に君のことが大切なんだ。大事にしたいと思ってる。捨てたりなんか絶対にしない。だから、離れてほしくないときは、『捨てないで』じゃなくて、『そばにいて』って言いなさい」  瞳の涙は徐々に大粒に変わっていった。それは瞼ではじけて頬へ落ち、国近の手のひらを湿らせていく。 「う、ぁ、うぅ」  美斗はしゃくりあげて泣いていた。  意外にも、彼は泣き虫なのかもしれない。 いや、耐えていただけか。今、彼が流している涙はいったい何年分の涙なのだろう。  やがて、唇が小さく開き、また言葉を紡いだ。 「そばに、ぐすっ、ぁ、いて」 「ああ」 「ずっとずっと、俺のそばにいて」 「うん」 「はじめのSubになるからっ、だから」 「ああ」 「はじめも俺のDomでいて」 「ハルト」  そっと、彼の顔を両手で持ち上げて、涙を拭ってやる。 「愛してる」  我ながら随分と甘い言葉だ。けれど多分、自分たちには、とりわけ彼には必要な言葉だと思った。  顔を寄せて、そっと唇を重ねる。  それを優しく離したとき、彼の意識は途絶えていた。 *  カーテンの隙間から、朝日が差し込む。  顔を照らすオレンジ色の光に、一瞬だけ眉をひそめて、須藤美斗は瞼を開けた。  ぼう、と天井を眺める。行為中の疲れはまだ残っていたけれど、頭の奥はやけにすっきりとしていた。裸の身体に触れる乾いたシーツの感触が心地いい。汗も体液も随分と流していたはずだけれど、その名残はなかった。  微かだがシャワーを浴びた記憶がある。自分で洗った記憶はないから、国近が綺麗にしてくれたのだろうか。身体の包帯は清潔なものに換えられていて、首元には真新しい絆創膏が数枚張ってあった。  そっと、瞼に触れる。  涙の跡だけが、そこに残っていた。  自分は随分と泣いていたみたいだ。  苦痛以外の理由で、こんなに心から号泣したのは、いつぶりだろう。両親が亡くなった時以来だろうか。いや、あの時は呆然とするばかりで。  あの時、自分はちゃんと泣けたのだろうか。  瞼の裏に、銀色の雪景色が映る。  須藤家に引き取られてから、地元に帰ったことはない。美斗は両親の墓がどこにあるのかも、よく分からなかった。 「ハルト」  頭上で、声がする。  そこで、骨ばった大きな手が、ずっと自分を撫でていたことに気が付いた。  心配そうにこちらをみつめる目と、視線がかち合う。  瞼の裏に、ほんの数時間前の記憶が蘇った。 『そばにいて』  だなんて。どさくさに紛れて随分と甘ったるいことを言ってしまった気がする。  気恥ずかしくて、美斗は目線を背けた。 それでも、彼の手から逃れようとしないのは、その手の温かみを、もう知ってしまったからだ。  ふ、と国近の顔が綻ぶ。数秒、美斗の顔を伺い見て、それから言った。 「顔色、だいぶいいな。何か食べられそうか?」 「あー……腹は、減ってる。たぶん」  ここ数日間、ほとんど食事をしていない。空腹の感覚がよくわからなくて、曖昧な回答になった。  国近は別段それを気に留めなかったようだ。そうか。という短い返答が返ってきた。 「何か食べたいものはある? 何でも作ってあげる」  時折、国近はこうやって、美斗にリクエストを聞くことがある。食事なんてカロリーが摂取できればいいし、第一世話になっている分際でリクエストなんておこがましいにもほどがあるので、大半は『なんでもいい』とか『まかせる』とか答えていたけれど。  美斗は思考を巡らせる。  今日は一つだけ、思いつくものがあった。 「……ホット、サンド」  言えば作ってくれるだろうかと思っていた。 「ミートソースと、チーズが入っているやつ。前に、作ってくれた」 「ああ……」  左上に目線を向けて、短く、国近が頷く。 「やっぱりあれ、気に入ってたのか。随分と嬉しそうに食べると思った」  そう言って、くくっと、快活そうに笑った。 「っ……調子に乗るな」  頭上に向かって、美斗は吠える。どうして分かったのだろう。美味しいなんて言ったことはないはずなのに。 「いいよ。分かった」  くしゃりと、美斗の頭を撫でて、国近が立ちあがる。  部屋を出ていこうと背中を向けた。  ふいに、美斗の頭の中に、ある光景が浮かんだ。どうして今それを思い出すのか、よく分からなかった。  毛布に顔を埋めたまま、ぎゅっと、服の袖を掴んで引き留める。 「……ん?」  不思議そうな瞳がこちらを向いた。 「く……」 「……く?」  国近が首を傾げる。  それは、随分前にレストラン街を通りかかった時に見た光景だ。昨今、都内のレストランは、ダイナミクス性を持つ人が入りやすいように様々な工夫がされている。その多くでは普通席の他にパートナー専用席を設け、パートナー同士がPlayの一環として利用できるような配慮がされたものだ。  あの時は、気味が悪いとしか思えなかった。でも今は……。 「食わ、せろ。お、まえの手で」  沈黙。  毛布の隙間から伺い見ると、国近は目を丸くしていた。 「あ……」  しまった。間違えた。  自分は、何を言っているのだろう。かあ、と頬が熱くなる。  慌てて、訂正をした。 「やっぱ、いい。今のなし」  柄にもないことをした。  それに、国近の求めるパートナーは、こういうことではないのかもしれない。    けれど。 「いいよ」  彼から返ってきたのは、短い許諾だった。  薄く、彼は笑った。 「作って来るから待ってて」  そう言って、再び部屋の出入り口の方へと踵を返す。  むくり、と美斗は身体を起こした。  広い背中が、ちょうどドアノブを握っている。 「なあ」  呼びかける。  ノブを握ったまま、彼は振り向いた。 「後悔、しないか?」  自分を匿うこと。  自分を選ぶこと。  自分をパートナーにすることに、彼は本当に後悔しないのだろうか。  ドアノブから、国近が手を離す。こちらにしっかりと向き合った。 「しないよ」  即答だった。  ついでに着替えも持ってくるね。そう言い残して、今度こそ部屋からいなくなる。  パタンと閉じた扉の音と同時に、美斗は肩の力が抜けて、そのままベッドに倒れ込んだ。  寝返りを打って、天井の方へ向き直る。  ゆっくりと、目を閉じた。  そうか。それなら、もういいよ。

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