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第2話

-lemon-  鳳梨(たかなし)さんからぷす……ぷす……って音がする。焼き過ぎたお餅みたいな。でもそれよりも鼻が曲がるほどの激甘な匂いが気になった。外国のお菓子でもこんな匂いはしないと思う。粘こい甘さ。子供の頃に病気したときに飲む甘い薬とかに似ている。  ぼくは力が抜けて、腰と膝はもう使い物にならなかった。ガス漏れでも起こっているのかな。比較的無事そうとはいってもちょっとふらふらしてる幽石垣(しらいしがき)先輩が倉庫の扉を開けてくれた。それでちょっとだけ換気できたのかな。ぼくはお腹抱えて(うずくま)る鳳梨さんを揺する。ぷすす……すぅ……って音が抜けていく。穴の空いた自転車のタイヤに空気を入れていくときに聞こえる音。甘い匂いは強くなって、ぼくは咳き込んじゃった。吐気もする。嗅覚はもしかしたら今日一日、使い物にならないかも知れない。  ぼくはもう、ほぼ無意識に鳳梨さんの頭を持ち上げていた。視界としてはきっちり捉えてるんだけど、意識がついていかなくて、なんでこんなことしてるの?って感じだった。鳳梨さんの重さで、ぼくは上司になんてことをしてるんだろうと思った。でももう遅いんだ。ぼくは今度は鳳梨さんの唇を吸っていた。鳳梨さんに乗っかって、身体を擦り付ける。 「何してんだよ、鐘奏(かなで)……」  幽石垣先輩は扉を開けて戻ってきた。周りに助けを求めたらいいのに、お人好しだな。 「分かりません……」  お互い、高温すぎるサウナの中に閉じ込められているみたいな呂律の回らなさだった。ふらついてる幽石垣先輩は鳳梨さんに乗っかるぼくを降ろそうとする。ぼくも幽石垣先輩も、陰部を興奮させていた。呑気に構えていたけれど、生命の危機なのかも知れない。  ジャケット着ているのがばからしくなって、ぼくはジャケットを脱いだ。シャツのボタンも外していく。鳳梨さんの汗で濡れた首は、いきなり太陽を見たときみたいに眩しくて、なのに生唾が止まらなくなった。 「鳳梨さん……」  ぼくは暑くて苦しそうな鳳梨さんを楽にしたかったのだと思う。鳳梨さんも脱がせてあげないとって。 「鐘奏……何してんだ。よせよ」  幽石垣先輩は胸を押さえて手の甲で自分の汗を拭いていた。 「鳳梨さん、暑そうですから……」 「なんで乗っかるの」  ぼくもどうして鳳梨さんに乗っかったのか分からなかった。鳳梨さんの汗をかいた首筋を齧りたくて仕方ない。 「外、出よう……」  幽石垣先輩はぼくの腕を引っ張った。けれどぼくは鳳梨さんを齧りたい。鳳梨さんから、またぷすす……って音がして甘い匂いが濃くなる。頭を殴られるのって、そういう感じなのかも知れない。ボールを避けられないどころか、気付きもしないでぶつかっちゃうときの、あの重心の崩れ方に似ている。  ぼくは幽石垣先輩に逆らって、鳳梨さんに乗っかった。身体を撫で回すと、びくびく跳ねて、ぶすす……と、ああ、多分鳳梨さん、もしかして……  ぼくは女子高生なんかがよく使ってる安物のコロンの瓶の中に閉じ込められてしまったんだと思うな。それでいて強い酒を入れた時のようなどろどろとした曖昧な現実。張り詰めた股間が苦しくて、多分男なんて、脳味噌はそこにあって、まずはそこを一番に楽に……気持ち良くしちゃいたかった。  鳳梨さんも膝を擦り合わせて興奮している。 「鐘奏!鳳梨さんを運ぶぞ。そっち持て」  そのとき幽石垣先輩がぼくの肩を揺さぶってくれなかったら、ぼくは犯罪者になっていたかも知れなかった。幽石垣先輩も湯中(ゆあた)り起こしたみたいな熱っぽさで、でも鳳梨さんほどでもなかった。ぼくのほうが先に鳳梨さんの片方の腕を取ったとき、鳳梨さんはがくがく震えた。 「あぁんっ、!」  耳の奥にぬるついたものが入って、内側からぼくの勃っちゃったところを刺激する。鳳梨さんは完全に四肢を投げ出して床に崩れ落ちる。それなのにぼくはぼーっとして何も考えられなかった。股間が疼いて、できることならこの場で触りたい。 「鳳梨さん」  幽石垣先輩が鳳梨さんを拾い上げる。そのときに鳳梨さんは立てたは立てたけれど、前のめりになって幽石垣先輩を押し倒す。 「うわぁっ!」 「幽石垣くん……」  けれど幽石垣先輩は鳳梨さんを支えた。抱き締めてるみたいだった。ぼくたちはサウナに入りっぱなしの熱中症みたいになっていたのに鳳梨さんは急に俊敏な動きをした。 「す、すまない、幽石垣くん……」 「だいじょぶですけど……」  そのときの雰囲気が、なんだかおかしかった。ぼくのムラムラした気持ちが、そのときにちょっとだけ冷静になる。 「外に出ませんか。なんか暑くて……」  ぼくはボタンを外した襟で扇いだ。甘い匂いが薄まっている。変なガスが換気されみたいだった。  幽石垣先輩は鳳梨さんを支えようとして、でも鳳梨さんは拒んでた。鳳梨さんは壁に手をついてよろよろ廊下に出ていく。幽石垣先輩も付き添って、また戻ってくる 「鐘奏は?大丈夫か?」  幽石垣先輩だってしんどそうだったのに、まだ頭に靄のかかっているぼくを気にかけてくれた。いつもはアホの子みたいなフリしてるけれど、こういうところ、モテるんだろうな。 「はい……」 「行こうぜ」  ぼくは幽石垣先輩と倉庫前を出た。すぐそこにベンチがあって、鳳梨さんはそこに座っている。 「すまなかった」  鳳梨さんはまだ具合が悪そうで、幽石垣先輩は片膝ついて様子をみてた。 「何か飲み物を買ってきます」  立場のこともあってか鳳梨さんは止めようとしたけど、幽石垣先輩はひょいとぼくに財布を渡してきて「頼むわ」って言った。 「鐘奏も好きなもの買えよ」 「はい」  ぼくもふざけてる場合じゃなかった。自動販売機のところまで行くと、猪鍋(いなべ)先輩も飲み物を買いに来てた。幽石垣先輩の同期だ。 「お、鐘奏。お疲れ。倉庫整理どうだった?」  高校大学と柔道部だったらしくて、確かにって風貌。短い黒髪で歯並びがよくて白い。歯が。色も白いけれど。女の子たちの間ではブルーベースっていうみたい。ぼくと幽石垣先輩はイエベだけど。 「まだ途中です。鳳梨さんがちょっと具合を悪くされてしまって」  ぼくは少し背が低くて、猪鍋先輩は少し背が高い。成人男性の平均身長より。だからぼくは自然、見上げるかたちになる。高校生くらいになるとコンプレックスだったけれど、コンプレックス、コンプレックスと言っていても仕方がなくて、ぼくはありがうことに、恵まれたことに、完全に勝ち組なことに頭と顔も口も小さくて、鼻も低くはないけれど小振で、目は大きいぱっちり二重目蓋の美少年の童顔で、まだ高校生くらいだと思われるくらい老け知らずだから、ちょっとぼくの望んだものとは違うけれど劣等感とは折り合いをつけた。ぼくはかわいい。ナメられるけど、図体のデカいかわいくもない男とか、臭くて汚い脂ぎったおっさんの負け惜しみとか聞いていたらきりがないわけで。  猪鍋先輩と喋るときは下からがっちりとその目を捉えて首を傾げた。ぼくはリス。ぼくはかわいい。  倉庫で鳳梨さんを支えた幽石垣先輩の姿がふと脳裏を過って、なんだかつまらない。 「えっ、鳳梨さんが?」  猪鍋先輩の血相が変わった。猪鍋(いなべ)猛勇(まゆう)。名前は暑苦しいけれど、いつでも爽やかな人だ。1番モテるのは清野平(きよのひら)執行役員だな、間違いなく。でもあれはアイドル的な、憧れとか、職場の華みたいなもので、もっとこう、身近なものとしては猪鍋先輩なんだろうな、モテるのは。 「そうです。だから水を買いにきたんです。鳳梨さんは幽石垣先輩といますよ」  猪鍋先輩は焦っていた。そして結局自動販売機では何も買わずに倉庫のほうへ飛んでいった。優しい人だからな、猪鍋先輩は。  ぼくは自分の財布から水を買った。幽石垣先輩の財布から出すの、なんかこう、ぼくのプライドにちくっと矢が刺さる感じ。また、鳳梨さんを支えた幽石垣先輩の姿が思い浮かんで、ぼくだって男の子で、やっぱり背が高いってことに憧れたよね。でもぼくは170cmないまま発育が止まった。髭も濃くないし、声も高め。  別に高身長になりたかったわけでも、朝晩髭剃らなきゃならない暮らしがしたいわけでもないけれど。  ぼくは水を持って鳳梨さんと幽石垣先輩のいるところに向かう。猪鍋先輩もそこにいた。話を大きくするな、って怒られるね。別に鳳梨さんも幽石垣先輩も怒らないとは思うけど。 「医務室に行きましょう」  猪鍋先輩が説得してるみたいだった。幽石垣先輩は傍で見ているだけだったから財布を返しやすかった。でもまずは鳳梨さんに水を渡すけれど、受け取ったのは猪鍋先輩だった。 「ありがとうございました」  ぼくは財布を返した。幽石垣先輩はダンベルみたいに財布を揺らす。ぼく何も取ってませんけど。 「あれ、使わなかった?」 「え?」 「小銭無かったっしょ。崩したのかと思ったけど崩れてなかったから」 「勝手に崩せませんよぉ」  ぼくはこんなときでも、ぼくのキャラクターを崩さない。 「そんなこと気にするくちかよ」  幽石垣先輩もさっきよりは調子が戻ってきてる。 「でも悪かったな。あとでなんか奢る」 「いいですよぉ、そんなの」  ぼくはシマリス。ぼくはハムスター。ぼくはミニウサギ。ぼくはモルモット。ぼくはモモンガ。身体は小さくて、目は大きい。ぼくはかわいい。 「いや、オレ先輩だし。後輩に出させちゃうのはね。プライドが許せん……」  幽石垣先輩はへらへら笑った。その場合一番惨めなの、鳳梨さんじゃない?でも幽石垣先輩はいい意味でバカだから気付かないんだろうな。ねぇ、鳳梨さん、気付いてる?この人はバカだよ。おめでたくて。 「僕が課長を医務室に連れていきます」  猪鍋先輩はもう鳳梨さんを立ち上がらせて、引き摺っていく感じだった。任せちゃおうかなって思った。ぼくは鳳梨さん連れて行けないよ、そんな軽々。 「それならオレが行くよ。倉庫整理してたのオレだし、鐘奏は後輩だし」  すっとぼくの前から出て行って、もう2人を追うかたちを取っている。 -shell-  なんで猪鍋はオレに譲らないんだ?ここは倉庫整理班で連れていかなきゃ、なんか筋通らないだろ。「僕の手が空いてるから」ぢゃないんだよ、「僕の手が空いてるから」ぢゃ。ここで事務作業してたやつが連れていったら、倉庫整理班の奴等は課長ほっぽって何してんだ?ってなるだろ。猪鍋、そこんところ分かんねぇ?鳳梨さん連れていくだけに時間割かすな。 「私は平気です……大丈夫ですよ」  絶対大丈夫じゃないんだよな。朝から具合悪そうだった。でも立場とか色々、プライドが邪魔するんだろ。大変だね。オレは昇進、昇給はありがたいけど避けたいわ。 「ご本人もこうおっしゃってますし、じゃあ事務所戻りましょ」  なんなんこいつ、みたいな目をもらった気がする。特に猪鍋。いいやつだけど、真面目すぎるんだよ。元柔道部だっけ?上下関係厳しかったんだろうな。鐘奏も、なんでそんな見捨てるような真似するんですか薄情者、とでも思ってそう。でも仕方ないだろ、鳳梨さん意地っ張りで、オレたちは弱みを見せるに値する部下じゃなかったってんだから。 「そうしてください」  鳳梨さんもそれに乗っかった。うだうだやってただけムダってこと。 「オレたちは倉庫整理があるから」  まるで連行されているみたいな鳳梨さんが振り返った。顔色は良くなっている……ような。少なくとも赤みはひいた。もう大人なんだし、オレたちがあれこれ言うことじゃない。  オレは鐘奏と倉庫整理に戻って、すぐに探していた資料が揃った。もう甘い匂いはしなかったし、マジであれなんだったの。  オフィスに戻ると鳳梨さんはいつもどおりにデスクで仕事をしていた。それで無理してまた倒れるのかな。オレはしゃがんで整頓したくても散らかっちゃうファイルだのなんだのに隠れて鳳梨さんに接近する。 「鳳梨さん、だいじょーぶですか」  さっきめちゃくちゃ突き放したのに、媚び売りにきたと思われちゃったかな。まぁ、胡麻擂りにきたのはマジかも。 「大丈夫です。ご心配をおかけしてすみません。倉庫整理まで……君と鐘奏に頼んでよかった」 「わはは。ほとんど鐘奏クンがやってくれたんですけどね~?いやぁ、頼りになる後輩で」 「水もいただいてしまってすみませんでしたね。今度埋め合わせさせてください」  これはまずい。だって多分、鳳梨さんに渡された水ってオレの財布から出た金で買ったものじゃない。多分おそらくmaybe、鐘奏が自腹切ってる。だってオレ、朝コンビニ寄った時に小銭使い切ったもん。なのに財布に小銭の気配がないということは。意外にいけしゃあしゃあと厚かましい鐘奏がたかだか自販機の水買うの遠慮して、自分で出したもんな。それはそれでかわいいケド、先輩のカオ立てろって。で、実はそれ、鐘奏が出してくれたんですよ~ってオレは素直に言うの?それもそれで、新入社員に奢られる課長の図ができるワケで……鳳梨さんに悪いよ。かといって黙ってたら、オレはまったく身銭切ってないのに何うまい汁だけ啜ってるの?ってなるじゃん。オレは鐘奏を見ちゃった。鐘奏はパソコン作業してる。アイドルみたいにキラッキラ。仕事中なのに。なんかもう仕事しなくても、そのかわいさに給料出てるみたいなところあるよ、癪だけど。 「幽石垣くん……?」 「ほひッ!いやいやいや、ただの自動販売機の水ですからね!気になさらず!あ、早退とかするなら上手いこと言っておきますから、個人RAINEのほうになんなりと……」  鳳梨さんはしゃがんでるオレを見下ろして、目を細めた。なんかちょっと優しい顔をする。いつも眉間に皺を寄せてるのに。 「ありがとう。でも、きちんと埋め合わせをさせてほしいので」  たとえばめちゃくちゃ高いものを奢ってもらったとしたら、オレはそれを鐘奏に返さないといけないわけで……それもそれで鐘奏に気を遣わせない?遣わせないか。そんなタマぢゃないよ、あいつ。先輩(しぇんぱい)あざーっすとか言って高いもの頼みまくるでしょ。 「じゃ、じゃあ、カフェテリアのドーナッツがいいです。チョコかかってるやつ」 「分かりました」  それならオレも鐘奏に奢って痛い額じゃない。  鳳梨さんはまた柔らかいカオをした。だからつまり、眉間から皺を無くしたってこと。  用事は済んで、オレは自分のデスクに戻った。そしたら猪鍋のやつがオレのところに来る。 「仕事のこと?」 「え?」  オレは今仕事をしていますけどね。サボりもせず。バレたら怒られるじゃん。鳳梨さんに。キーキーだよ。 「課長とさっき、話していたこと」 「そう。倉庫整理の話」  猪鍋は立ってて、オレは座ってる。猪鍋は逆行してて、爽やかな好男子だけど、いつもほんわか笑ってるクセに真顔で凄みがあった。そのまま投げられちゃうんじゃない?元柔道部だし。面倒臭いから事実を歪曲して告げた。 「なんだ、そうか」  そしたら猪鍋に、いつもの爽やかでほんわかしたにやけ顔が戻った。なんで?  猪鍋は満足そうにくるっと方向転換して去っていく。ああ、分かったゾ。鳳梨さんを医務室に送ってサボりたいんだな?  で、そんなこんなで昼飯の時間になった。鳳梨さんは部下のみんなには先に飯行くよう言ってたけど、自分はまだ手を動かしている。そんなだから身体壊すんじゃないの、は高校生まで。もう社会人(ここ)までくると自己責任みたいなところあるよ。  みなさんは社食か、コンビニか、ここちょっと近くにレストラン街あるからそこに行った。ここでそのままお弁当組もいるけど。オレも社食のからあげ定食行くか~ってところだった。 「課長、お昼、一緒に行きませんか」  人が少なくなると、その声は目立つ。猪鍋だ。 「まだこちらの作業が残っていますから、遅くなってしまいます。ごめんなさい」  はは、フられてやんの。猪鍋は意識が高いからな。隙あれば胡麻擂りよ。オレも見習わないと。 「幽石垣は?行かない?飯」  猪鍋はこっちに来た。それでオレを誘う。オレが聞いてたのバレてるの。 「オレはもう少しダラダラしたら行く~」  最近知ったんだけど、社食はほんの少し、5分ズラすだけで行列が捌けていくから焦ることはない。 「そっか。じゃ、先飯行くな。おつかれ」  何今の清涼剤って感じにめちゃくちゃ爽やかなのが通っていった。少女漫画みたいだった。モテるわ、あれは。モテない要素がないもんな。  カタカタ……ってまだ鳳梨さんは作業してる。この人、飯食う気あんの? 「鳳梨さん」 「はい」 「昼飯買ってきましょうか?」  鳳梨さんは不思議そうにオレを見てる。何? 「い、いいえ。気を遣ってくださってありがとうございます。私もそろそろ、お昼に出掛けるつもりでしたから」  猪鍋と飯行きたくなかったんかな。 「ほい」  オレは気の抜けた返事をした。 「幽石垣くんはどうしますか。カフェテリアのドーナッツ、早速今日、買ってきましょうか」 「オレはいつでも腹ペコなんで、それはいつでも大丈夫です。オレもそろそろ社食に行こうかなって思ってたところで」  そしたらなんか、流れで鳳梨さんと飯行く感じになっちゃった。なんで?猪鍋もう少し粘ればよかったのにね。  社食に行ったら、席どこも埋まってて、展望台付きぼっち席鳳梨さんと並んで座るか~ってところで、女の子たちに囲まれてカレー食ってた鐘奏が手招きしてきた。そこは確かに2席空いてた。だってキラッキラの女の子たちに囲まれてて、いくら満杯でもあそこに座る勇気はないね、オレには。 「ここ空いてますよぉ、幽石垣(しらいしがき)先輩(しぇえんぱい)。座ってくださぁい」  こいつはオレと喋る時は基本的に舌っ足らずなんだケド、周りに女の子がいるとさらに舌っ足らずになる。男は女を守るもので、女を守れるなら死になさい、みたいな風潮あるけど、こいつだけは、女はぼくちゃんを守るべきでぼくちゃんのたむに命を賭しなさい、くらい思ってるよ。  オレは鳳梨さんを振り返った。ちょっと顔が引き攣ってる気がしないでもなかった。これじゃ鳳梨さん、マトモに飯食えなさそう。 「まだかわいい子たちが来るんだろ?」 「えぇ~?」  鐘奏はオレに上目遣いをする。きゅるる~んってしてて、本当にアイドルだよ。でも40までだな。最近の30過ぎってまだ若いから、ギリギリ30代まではそれでやっていけると思うよ。ああでもこいつ、結構なキレ者だからな……もう次のプラン、セルフプロデュースがあるのかも知れないわ。昔やってたキャプモンも、まずはかわいい系、そこから無難なのに進化して、レベル36でイカつくなるぢゃん? 「ぼっ……展望席行きましょ」  オレは心無しかちょっと引き気味の鳳梨さんを振り返った。実は女の子たちに囲まれたかったりして。鳳梨さんは、モテなそう。それとなく地味で家庭的な(よめ)が爆誕してるみたいなイメージ。仕事なら同性異性分け隔てないんだろうけど。そりゃ性別とか体格差とか向き不向きの配慮はしてくれるケド。  ぼっち席にまず鳳梨さんを座らせてからオレも席につく。尻が固いタイプの椅子で、ケツの入り具合が浅くて、これが嫌なんだよな。 「すまないね」 「え?」  からあげ定食を、オレはすんでのところで竜田揚げ定食にした。ゼリーじゃなくてプリンがつく。プリンの気分だし。 「気を遣ってくれたのだろう?」  鐘奏のこと?オレはとぼけておいた。 「鐘奏と約束があったんじゃないんですか」 「いや、ないです。オレを引き立て役にするつもりなんだすよ。ほら、あいつカワイイですから」  果たして鳳梨さんに鐘奏はどう見えているのか。男のクセに情けないとか思ってたり? 「そうですね」  まぁ、ここは社会人としても上司としても同意しとくのが嗜みよね。なるほど。勉強になります。 「でも、幽石垣くんだって、引き立て役ではないでしょう」 「そっすかぁ?」 「私はそう思いますよ。鐘奏は慕っているんですね、幽石垣くんを」  オレはそんなこと言われるとは思わなくて鳳梨さんをガン見しちゃった。は?ナメられてるだけだが? 「私は先輩後輩でそういうものがありませんでしたから、素直に羨ましいですね」  食事の作法みたいな?行儀が良すぎる鳳梨さんを見てた。展望しろ、風景を。 「とっつきにくいんでしょう」  はいそうです、って、言わないんだよ、社会人は。部下も。これは、オレに心を開いているんだな。 「威厳があるんですね、きっと」  もしかしてさっき飯誘ってきた猪鍋がまったく見えてないとか?  飯食い終わったと思ったら、鳳梨さんは急に背中ぴーんってさせて、走り出した。え?なに?って思ったけど、口元塞いでるのが見えて、吐く気だあの人。

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