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18.2 伝えられない恋心

 自分の気持ちを固めたとはいえ、それをすぐに相手に伝えられるかと言うと、それはまた別問題だった。  旭より少し後に帰ってきたアラタは、自分の分の夕飯を内線で頼もうとしたが、旭は「俺が作るから」と言ってそれを引き止めた。  そして今、アラタはリビングのソファに座り、テレビを見るでもなくじっと黙っている。旭はオムライスを作るべくご飯を炒めながら、この妙な空気をどうしたものかと悩んでいた。  前はここまで険悪な雰囲気じゃなかったよな? ここまで一気にこじれたのはあの日だ、あの思い出したくもない一日。  弁当を作るという申し出を拒否されるわ、研究員にからかわれて強姦されるわ、挙句の果てに庸太郎まで出てきたあの日から、アラタは明らかに旭への風当たりを強くしている。  何があいつをここまで怒らせたんだ? 俺が危機意識も無しにノコノコαに刃向かって犯されたから? それとも庸太郎に助けられたから? あるいは俺が庸太郎に何か食事を作ってやったと思ってる? それについて俺が弁当の件を隠してるのが気に食わない?  色々思い当たることはあるが、そのほとんどは旭には何の非もないことだった。唯一最後の一点、アラタに隠し事をしたことを除いては。  でもそれだって、あいつが俺の弁当断ったりしなけりゃ……。  そこでふと、彼に会いに来ている女性の姿を思い出してしまった。  こいつが好きだって自覚したところで、こいつにはもう恋人がいるんだった。  重い溜め息が出そうになるが、目の前の料理がまずくなりそうだったので何とか我慢した。オムライスはアラタの好物だったからだ。  トロトロの卵を乗せたところで、リビングのアラタに「もうすぐ晩飯」と声をかけた。  今このケチャップで卵の上にでっかく「好きです」って書けたらいいのに。ここの監視カメラは後ろだ。俺の背中に遮られてオムライスなんて見えてない。……って俺何考えてんだよキモいキモい!  慌てる旭の隣にアラタが立ち、食器棚からスプーンを取り出し始めた。  お前の好きなオムライスだぞ。なんか言え。  もちろんアラタが旭の心の声に応えることはなく、旭は仕方なく自分から口火を切った。 「あのさ、一個誤解されたくないから言っとくけど、お、俺が料理作ってやろうって思う相手なんて、お前しかいないんだからな。それだけはほんと、絶対、お前以外のために飯作ったことなんて……」  段々自分が何を言いたいのか分からなくなってきた。無意識にグニグニと絞っていたケチャップが、黄色い半熟卵の上で大きなハート型になってしまっている。ハッと気付いた時、隣のアラタの視線もまさにそこに集中していた。 「っ、これは偶然! 偶然だから!」  アラタを横目で睨もうとしたその時、旭は目を奪われる。  あ……笑ってる。  水平かへの字しか知らないような彼の口が、今は僅かに口角を上げている。まるで愛しいものを慈しむように。背後にある監視カメラにも映らない、それは旭だけが見た彼の本心だった。 「早く持ってけば」  皿をずいっと寄せてやると、アラタは一度瞬きをして表情を消してから、食卓へと料理を運んだ。  やっぱり、あいつは俺が本気で嫌いなわけじゃない、んだよな……? 恋人がいたとしても、今は俺の方が好きとか、せめて二股の愛人くらいには思われてるよな? なんでそこまでカメラを気にするんだ?  旭は自分のオムライスを見下ろして、思い切って聞いてみることにした。 「なあ、研究所の連中に何か言われたからって、俺たちがそれに縛られて行動を制限する理由なんて、ホントにあんのかな」  ケチャップをかける手が震え、卵の上にはぐちゃぐちゃの赤い線が引かれた。 「研究所から何か言われているのは俺だけだ。俺はαの新薬開発のために、実験が継続されることを最優先に行動している。だが、旭の行動は誰も制限していない。旭は自分の思った通りに行動すればいい」  それはその通りだ。旭は今すぐにでも彼に「好きだ」と伝えることができるし、自ら彼に触れることもできる。それができないでいるのは、その結果彼から突き放されるのが怖いからだ。  だからずっと待っている。彼の方から触れてくれることを。  だから何度も聞いている。彼の気持ちを。  何物にも縛られずに自由でありたい。そう思い直したばかりなのに、最後の最後でプライドという名の足枷が旭を受け身にしていた。  せめて一緒に寝ていたあの頃くらいの関係に戻りたかったが、果たして何を言えば彼が折れてくれるのか分からない。 「そういえば」  彼の言葉に旭は思わず振り返る。 「あのソファは寝るには窮屈だ。君と寝たくないからと言って、身体の大きいαの俺があのソファに行くのは理不尽な気がしてきた。だから、今日からベッドに戻ろうと思う」  まさに今旭が願っていた通りのことを、彼は実に渋々といった風に呟いた。  旭は「うん」と気の抜けた返事をして、自分も食卓へと向かう。  俺が庸太郎に何か料理を作ってやったと勘違いした日からソファで寝て、今日俺が弁解したら、笑ってくれて、またベッドで寝てくれるらしい……。これは俺の都合いいように捉えていいんだろうか。こいつの言葉の中身を全部無視して態度だけで考えたら、嫉妬で拗ねてただけにしか見えないんだよな。  悩みながらオムライスを黙々と口に運んでいたら、少し先に食べ終わったアラタが満足気に「ごちそうさま」と声を出した。  ここ数日めっきりなくなっていた久しぶりの挨拶に、旭は珍しい生き物を見るかのような目を向けてしまう。アラタは素早く目を逸らして「しまった」という空気を醸し出していた。  やっぱりここは俺の方から押せばいいんだろうか。冷たくされても全部監視カメラのせいだって思えば、プライドだってそんなに傷付かない。内心こいつは俺の料理に喜んでるし、俺と一緒に寝たいんだって思っとけばいいじゃないか。  悶々と悩む間にも時計の針は進み、寝る時間がやってくる。旭は既にベッドの上に座っているが、アラタはまだリビングにいるようだ。  ほんの少し前までも彼と一緒に寝ていたはずなのに、突然どういう流れで二人ベッドに潜り込んでいたのかも思い出せなくなっている。  俺は何でこんな緊張してんだよ。前と何も変わらない。変わったのは、あいつが好きだって自覚したことくらいだ。これじゃまるで恋する乙女みたいじゃないか。うわ、乙女って自分で言っててキモい!  旭は先に羽毛布団を頭から被り、ベッドの上でゴロゴロと身悶えた。  しばらくしてドアがそっと開く音がし、旭は布団の下で息を潜めた。ギシリという音に続いて、隣のスプリングが沈み込む。今までは一枚しかない布団を二人で使っていたが、待ってみても彼が旭の被る布団に手を伸ばしてくることはなかった。  そろりと顔を出してみると、アラタは旭に背を向けた状態で、何もかけずに横になっている。四月の、しかも空調の効いた室内で寒いことはないだろう。だが、旭の心には冷たい北風が吹いた。  確かにまたベッドで一緒に寝てるけど、違う! そうじゃない!  通販で買ってやった彼のパジャマの背中を睨みながら、旭は迷った。迷った末に、彼の行動を待つのをやめて自ら動いた。  自分にかかっていた布団を広げて彼の身体にかけると、その背中にぴったりと抱きつく。  少し硬くて、子供みたいに体温が高い。  彼がここに来たばかりの頃、夜は彼に抱き枕にされていたことを思い出す。今度は旭が彼を抱き枕にする番だった。  抱きついた瞬間だけ彼はびくりと震えたが、それ以降は背中を向けたまま、抱き返してくることもない。  だが、今はそれでも構わなかった。カメラの前で態度には表せなくても、心の中でこの温もりを嬉しいと思ってくれているかもしれない――それだけが旭の心の支えだった。

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