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19.3 嵐の後
「彼の様子は?」
ノイズ混じりの放送で、旭は目を閉じたまま意識だけを取り戻した。ドアが開く音とともに、放送に向かって話すアラタの声が聞こえてくる。
「見ているなら分かると思いますが、無反応です。薬は効いているようですが、食事を摂りません」
ゆっくり目を開けると、見慣れた寝室の天井が目に入った。
「抑制剤が効いているなら、点滴の女医を入れよう」
放送はそこで一方的にプツッと途切れる。
旭はベッドの上でだるい身体を起こし、ぼんやりする頭を軽く振った。
あの後、何もかもを忘れるように庸太郎との行為に溺れた。アラタが見ていようが最早どうでもよかった。どうせ彼は助けてなどくれないのだから。
庸太郎とシャワーを浴びて彼が出て行った後は、いつも通り治験薬を飲み、アラタとは一言も言葉を交わさずにこのベッドに横になっている。飲食も何もせず、もうかれこれ二十四時間近く経過しそうになっていた。
アラタはベッドの横に立ったまま、項垂れる旭を見下ろす。少し前なら、自分を気遣って見守ってくれているのだと好意的に捉えただろう。だが、今はもう何も感じられない。
「いつもの旭なら、もっと怒ると思っていた」
突然話しかけられても、何を言えばいいか分からなかった。
「どうしてあの男から助けてくれなかったのか、どうして母親のことを黙っていたのか、そう詰られるだろうと」
彼に見せてしまった痴態、知りたくなかった真実――それらがフラッシュバックして、旭はそこから目を背けた。その代わりに、目の前にあるアラタの瞳だけをじっと見据える。
「俺、ここの研究所のαの連中の目が嫌いなんだ。いつも見下して、馬鹿にしたような目をしてる。でも、今のお前の目も嫌いだ」
そう吐き捨てた瞬間、アラタは僅かに眉を顰めた。
「俺を憐れんでる。いいように犯されてボロボロになった俺を。お前の母親のこと、ずっと隠されて騙されてきた俺を、かわいそうなΩだって目で同情してる」
アラタは何も反論しない。それを肯定と受け取った旭は、シーツをぐしゃりと握り締めた。
「俺は、αとかΩとか関係なく、お前のこと好きになれるかもしれないと思ってた。いや、お前のことが、好きだった。でもなんか、もういいや。考えるの疲れた」
膝を抱えて腕に顔を突っ伏すと、少ししてからアラタは部屋を出て行った。
「こんなカメラなんか無いところで出会えてたら、俺たち何か違ったのかもな」
言ってすぐに、そんなことはあり得ないと自嘲する。こんな場所にいなければ、Ωの旭に一流弁護士と出会う機会などやってくる訳がないのだ。そして彼が見せてくれた幻のような優しさもまた、旭がここで不当な扱いを受けているからこそであって、旭が外で何不自由なく暮らしていたなら、彼から同情で優しくしてもらうことすらなかっただろう。
その後、旭には点滴が取り付けられたが、その体調はみるみる悪くなっていった。食欲不振、倦怠感、微熱などが重なり、旭は一時的にここを出て治療室に移されることになった。幸いにも発情期が終わった直後で、次の発情までは余裕がある。
旭が部屋を出る準備をしている脇で、アラタは研究員と会話をしていた。
「一条さん、彼が療養する間、しばらく実験は中止です。自宅にお戻りになられますか?」
「いや、自宅は電気や水道を一時止めてるんだ。ここがいい」
「分かりました。その間、今まで通り昼間の仕事はしていただいて構いません」
研究員が旭の元へ戻ろうとした時、アラタが彼を呼び止める。
「あの、実験中止なら、監視カメラだけ止めてもらえませんか?」
アラタは部屋の角に付けられたカメラを指差した。
「分かりました。あのΩがいなければ、特に観察するものもありませんからね」
「こちらからもレンズに布か何かかけさせてもらいます。あのレンズに見られていると、どうも落ち着かないので」
彼は終始そんな調子で研究員と話すばかりで、出て行く旭の方には目もくれなかった。
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