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24.1 おかえり

 あのテレビ出演から、いくつかの新聞社やテレビ局から同じような取材の依頼が入ったが、旭はもうそれらに応じることはなかった。  旭の存在は幻のようになり、例の番組のキャプチャ画像だけがネットに出回っている。あの篠原の息子ということだけでなく、晶と奏多譲りの美貌のΩとして、話題性は抜群だった。  そんな自分への野次馬は無視して、旭はあの放送以降の世論について注目していた。テレビのニュースや新聞は見ていないが、ネット上で交わされる人々の話題を見る限り、製薬会社の新薬開発について、倫理的な疑問の声や、監査の必要性を求める声が上がっている。白峰製薬に限らず、多くの製薬会社に影響が出るのは必至だった。  痛い腹を探られる前に白峰製薬がアラタを開放してくれればいいのだが、彼が旭の元に戻ってくることはなく、十二月も下旬になってしまった。 ***  イルミネーションがキラキラと輝くクリスマスイブの夕刻、旭は伯父と共にかつての自宅の掃除をした帰りに、一人でぶらぶらと街の中を歩いていた。帰りが遅くなると晴海に心配されるが、メールで連絡をしておけば大丈夫だ。  年末に向けて冬服を買い足しておこうかと、ファッションビルを目指して歩を進める。今まで閉じ込められていたせいで、あまり自分の外見を意識することはなかったが、旭の容姿は歩くたびに人々の視線をチラチラと集めた。なぜこんな人がクリスマスイブに一人きりなのかと言わんばかりだ。  そういえばアラタはこれまでのクリスマス、どうやって過ごしてきたんだろう。誰かと……いや、仕事か。  勝手にそう結論付けて、冷たい風に身体を縮こませる。このコートももっと厚手のものに変えた方が良かったかもしれない。  買い物の内容を考える旭の耳に、不意に緊迫した声が聞こえてきた。 「ここで臨時ニュースです。Ω向けの抑制剤などで知られる白峰製薬の研究所に、本日午後公安の立ち入り調査が入り――」  旭の足が自然と止まる。白峰製薬の研究所と言ってもたくさんあり、どこのことかは分からない。音声は近くのビルの壁面にある大型ディスプレイから聞こえているようだが、声の調子からするに、それはニュース番組だ。自然と足が竦む。 「研究所の主任研究員であった林啓吾容疑者が逮捕・監禁の罪で逮捕されました。林容疑者は新薬開発のため、Ωやαを不当に監禁状態に置いていたとみられている他――」  聞いている途中で旭は走り出していた。もうニュースだろうがトラウマだろうが関係ない。人ごみの中をすり抜けて、声の聞こえる方へと走る。  大きな交差点で立ち止まり、顔を上げると、宙に昇る白い息の向こうに大きな画面が見えた。 「七年前のΩ大量毒殺事件にも関与しているとみられ、今後さらに取り調べを行う予定です」  手錠をかけられて車に乗せられていく男の顔は、確かに見慣れた主任のものだ。精神科医だという犯人は、崎原のことではなかった。  映像は昼間の逮捕の瞬間の録画から、現在の現場前に切り替わる。カメラ目線のレポーターの後ろを見ても、誰かが建物から出てくるような気配はない。 「なぜ突然七年前の事件が出てくるのでしょう?」  スタジオからの問いかけに、レポーターはイヤホンを付け直す。 「はい、えー、正式な発表はまだですが、七年前に事件を起こし無罪となった佐川真二はこちらに通院しており、林容疑者は佐川の主治医という関係だったそうです。その際、林容疑者は佐川に対して犯行を行うよう仕向けていたとして、今後殺人教唆の罪に問われる可能性が高いとのことです」  そんなことは分かってるから、どうして今日公安が動いたのか、そのきっかけを教えてくれよ。  旭の心の叫びも虚しく、映像はスタジオに戻ってしまい、次のニュースへと話題が移った。旭と同じように臨時ニュースに足を止めていた人々も、一人また一人とクリスマスの日常へと戻っていく。気が付けば、その場で画面を見て立ち尽くしているのは旭だけになってしまった。  アラタが無事出られたのなら、事務所かその上の自宅に帰っているはずだ。旭は買い物の予定を中止して駅の方へと向かった。  試しに晴海へ電話をかけてみるが、一向に出る気配がない。何事かあったのかと不安が加速していく。  早足で歩いているせいか、はあはあと外気を吸い込むたびに喉と肺が冷たさに悲鳴を上げる。これでもまだアラタが見つからないとなると、彼はとっくにどこかに処分されているということになってしまう。そんな最悪の事態を考えると、旭の胸は冷たさとは違う何かでさらに痛んだ。  考え事をしていると、あっという間に駅前の広場にある大きなクリスマスツリーが見えてくる。キラキラと光る無数の灯りは美しいが、今はゆっくり鑑賞している場合ではない。  改札に入ろうとツリーの脇を通り過ぎたその時のことだ。 「旭」  聞き覚えのある声が背後から聞こえ、旭は反射的に振り返った。  きらびやかなツリーの下、黒いコートに身を包んだ背の高い男が影のように立っている。無意識にフラフラと彼の元へと歩み寄り、顔がハッキリと見えても、旭はまだ自分の見ているものが信じられなかった。人工のイルミネーションで蜃気楼が作られているのではないかと疑ってしまうほど、旭の頭は混乱していた。 「アラ、タ……? お前、なんで、ここに……」  手を伸ばして触れた彼の腕は実体だ。しかも旭の言葉に彼はゆっくりと口を開いた。 「電車で来た」 「そうじゃなくて!」 「晴海さんから、旭がこの辺りに買い物に行っていると聞いたから、駅前で待っていれば会えるかと」 「だから、そういうことじゃねーよ! 俺が聞きたいのは、俺は――」  大きな声を出したら、周囲から視線を集めてしまった。 「話は帰ってからの方が良さそうだ」  人混みを眺めてそう言ったアラタは、駅へ向かって歩き出そうとする。 「なあ、あの、あのさ……」  旭は彼の大きな身体を押し留め、意を決して顔を上げた。 「……おかえり」  初めての旭からの挨拶。星のように煌めく灯りを背景にして、アラタは穏やかに笑った。 「ただいま」  視界の光が滲んで、頬を温かいものが伝う。どうしようもないほど歪んだ世界が、この一瞬だけ美しく暖かい楽園のように思えた。何年も溜めてきた旭の涙は、アラタの手で優しく拭われ、彼の掌の中に握り込まれた。

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