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24.2 運命
アラタと普通に街中を歩くのはどこか変な気分だった。彼の容姿はその身長だけで人目を惹くようで、二人一緒にいると旭一人で歩いていた時よりもっと視線を集めている。
こいつ外面だけはいいからな。俺の前だと変態ストーカーのくせに。
電車の中、隣に立つ彼をチラリと見る。背の高い彼は、吊革ではなくその上のパイプを楽々と掴んでいる。
あの部屋でずっと無表情だったのって、スパイとしての演技じゃなくて素だったんだな。外に出ても何も変わんねーし。さっきちょっとだけ、笑ってくれたけど。
ずっと見ていたら、彼と目が合ってしまった。
「旭、どうかしたか?」
「な、なんでもない」
旭は赤くなった顔を隠すように、プイと正面に向き直った。今度は彼からじっと視線を感じたが、さすがに公共の場ではいつものようにベタベタと纏わりついてくることはなかった。
アラタの家に帰り着いてすぐ、旭は彼の要望でオムライスを作らされていた。
「クリスマスイブの夜だろ? 七面鳥とかもっとさ……」
「旭のオムライスが食べたい」
再会して早々、彼は駄々っ子のようにそう言って聞かなかった。
玉ねぎと挽き肉を炒めながら、デスクに向かっているアラタを睨む。
「それで? 帰ったら話してくれるんじゃなかったのかよ」
「話すと言っても別に大したことじゃない」
旭は無言のまま、いいから言えと態度で示す。
「旭が出て行った後、俺は予定通りの嘘をついた。彼らは半信半疑のようだったが、俺はある提案をした。『俺なら旭を騙して連れ戻すことができるかもしれない、彼を連れ戻すためここに滞在して協力してもいい』と。彼らにとって旭を失ったことは大きな損害だからな。彼らは俺を疑うよりも旭を取り戻すことに注力した」
彼が手酷い仕打ちを受けた訳ではないことが判明し、旭はひとまず安堵した。
「その後彼らはどうしたと思う?」
「お前のソロ観察?」
旭がおどけて言うも、アラタは真面目くさった顔で首を振った。
「あの林という男が俺に面会をするようになった。旭を騙して連れ戻すために、俺を研究所のスパイにしようと『教育』してきたんだ」
「面会、教育……」
「ああ、君の想像する通りだ。彼は豊富な医学的、生物学的知識を元にして、いかにΩが劣っていてαが優れているのかを講義してくれた。この世界をより良くするために、Ωは存在してはいけない、いかにしてΩの数を減らすべきか、実に巧妙なプレゼンテーションだった。彼は七年前の事件を肯定し、あれが自分の仕組んだことだと隠すつもりもないようだった」
旭はそこでごくりと唾を飲んだ。
「そ、それで? あいつの主張、お前は信じたのか?」
アラタは見ていた紙の書類をバサリとデスクに置いた。
「まさか。確かに聞く人によってはあの内容を完全に信じてしまうだろうが、俺の心は全く動かなかった。が、信じたフリはした。徐々に洗脳が進行しているように、段階的にな」
旭は黙ってご飯を炒め始めた。
「しかしやっと洗脳現場の真っ只中に入り込めたのに、俺には肝心の証拠を抑えるカメラがなかった。あの崎原という医師から取り返す他なかったが、林の介入で崎原と話をする機会が失われていた。一人の患者に精神科医は二人いらないからな。それに、あの崎原という男が信頼に足る人物かも定かではなかった」
「ああ、俺も七年前の事件で精神科医が関わってたって聞いて、崎原先生のことかなって、ちょっと疑ってた」
正直にそう言うと、アラタは呆れたような溜息をついた。
「彼は七年前の事件の時、まだあの病院にいなかったどころか、医師免許すら持っていない。故に犯人の診察と洗脳を行えたはずがない。彼がいまだ三十歳にもなっていないと、ついこの前君自身もテレビで言っていたじゃないか」
「……あ、そっか。崎原先生があそこに来たの、三年だか四年だか前だ。ていうか、あのテレビ見てたんだな。俺……何か役に立ったか?」
旭はフライパンの火を弱めて、そろりとアラタの顔を窺った。
「そうだな。君への愚痴を肴にして研究員との交流も増えたし、俺への警戒も薄まった。『あれだけホストみたいに優しくしてやったのに、崎原にしか礼を言わないなんて』といった具合に、皆で旭の悪口を言った」
「あれはもちろん嘘で――」
「分かってる」
アラタはそこで珍しく苦笑した。
「旭が俺の助けになろうとしてくれていたのは……素直に嬉しかった。それに、あの後徐々に動き始めた世論のお陰で、製薬会社の内部は大慌てだ。見ていて中々痛快だった。あれを見たら、旭も少しは胸のすく思いができたかもしれないな」
彼の目はどこか楽しそうだ。どうやら散々酷い目に合わされたあの研究所に一矢報いることができたというのは本当らしい。
「とにかく、外部から監査が入っても問題ないように、彼らは何とか取り繕おうとして、俺はあの会社の顧問弁護士にならないかと誘われた。そのお陰であの会社のさらに奥へと入り込むことができたし、その過程で崎原と接触してカメラを取り返すこともできた。後は林との面会を証拠映像として残して、研究員との外食中に逃げ出して終わりだ」
旭はオムライスを仕上げながら黙々と彼の話を聞いた。彼が逃げ出したのは昨日の夕食時で、祝日の職員が少ない日を狙ったのだという。彼はすぐに旭の監禁状況や林の演説が映っている証拠映像を公安に提出し、今日緊急の立ち入りが行われたそうだ。そして彼は「やっぱり大した話じゃないな」と締め括る。
俺が外で待ってる間も、こいつは裏で色々動いてたんだな。いや、もっと前、俺とあの研究所で生活してる間から、ずっと。
旭は完成したオムライスを食卓に置いて、喋り疲れた様子のアラタを呼んだ。彼はテーブルにつくや否や、「ケチャップはハート型が良かった」とのたまう。旭は照れ隠しに何か話題を探した。
「話聞いてるとさ、やっぱり俺のテレビ出演なんかなくても、お前はミッションコンプリートできたんじゃないかって気がする。俺、早まったのかもな。もう篠原旭の名前で絵を出しても、あの篠原の息子としか見てもらえないんだ」
自嘲を込めて笑う旭に、アラタはスプーンの手を止めた。
「……だったら一条旭の名前で出せばいい」
弾かれたように顔を上げると、真剣なアラタの瞳が向けられていた。その意図に思い当たった時、旭の顔が熱くなる。
「え、と……ペンネームって意味、だよな?」
「旭は繊細なのか鈍いのか、時々分からなくなる。……せっかくのプロポーズだったのに」
最後にボソッと呟かれたボヤキに、旭は思わず首筋に手をやった。なぜか二ヶ月経っても消えない彼の痕。何かあるとここを触るのが最近は癖になっている。
「番になったなら、そのまま結婚するのが自然な流れじゃないか?」
アラタは旭の手に覆われたうなじを見てそう言った。
「そうだけど、俺たちまだ会ってから九ヶ月だし、伯父さんにも言わないとならないし――」
「俺はもう何年も前から旭を見ているし、旭と俺の最初の会話も何年も前だ。旭の伯父さんには、君を助けに研究所へ入る前に知り合って、挨拶も済ませている。『無事に旭を助け出せたら彼を俺にください』と言ったら、君の伯父さんは何と言ったと思う? 『旭のα嫌いは手強いから覚悟しろ』と言われた」
「ならアラタの方の親戚は? 俺も挨拶しないと――」
「母は去年亡くなって、もう片親は会ったことがないどころか、性別も国籍も聞いたことがない。祖父母も俺が大学生の頃に普通に寿命で亡くなった。母は一人っ子だったから近しい親戚と呼べる人はいない」
彼はそう言ってから黙ってオムライスを食べ進める。旭は両手でスプーンを握って、わなわなと口を開いては閉じを繰り返した。
「じゃ、じゃあ、俺で良ければ……いや、そうじゃなくて、俺も、お前とけ、け、けっこん……したい、です」
旭の頰の色は、オムライスに乗ったケチャップと同じくらい赤い。ふるふると羞恥に震える旭を見て、アラタの手が一瞬止まる。
「明日籍を入れよう。クリスマスのプレゼントは指輪だ。旭の左の薬指のサイズは……店で測ってもらえばいいな」
旭はどこにも逃げやしないのに、彼はいつもより少し早口でそう言った。
「明日って……」
「遅いか? でも今日はもうとにかく眠い。あそこを出てからすぐ公安へ行ったから、もうかれこれ四十時間は寝てない」
オムライスを食べながら眠いとぼやく姿は、見た目さえ隠せば本当に子供のようだ。
「じゃあ風呂入ってさっさと寝ろ」
「旭も一緒じゃないと嫌だ」
彼の我儘に「仕方ないな」と苦笑する。
その日は本当に、以前一緒に生活していた時のように一緒に風呂に入り、あの実験室よりも狭いベッドで二人寄り添って眠った。もう二人を監視するカメラはどこにもない。寝息を立てて早々に眠り込んだ彼の頭を撫で、旭は小さく「おつかれさま」と労った。
***
翌日の夕方、旭とアラタは花束を持ち、西日の差す木立の中を進んでいた。
「クリスマスに墓参りって、なんか変だよな」
「それは多くの日本人が仏教徒だから? しかし旭の両親は無宗教だったというなら、別に何日に墓参りをしようが関係ないだろう」
コミュニケーションが下手くそな彼は、相変わらず旭のちょっとした感想を論破しにくる。全く苛立たしいことだが、入籍して数時間で早速喧嘩になるのも面倒なので何も言わない。
そう、旭とアラタはもう入籍を済ませていた。有言実行。彼は本当に今日の午前中に婚姻届を提出したのだ。
どうでもいい会話を交わしていると、すぐに小規模の霊園に辿り着く。墓石の並ぶ緑の芝生の中を、記憶を頼りに進んでいった。
右奥の大きな木には見覚えがある。そちらにゆっくりと近付いていくと、霊園の隅に洋式の四角い墓石があった。旭はその前に立ち、そこに刻まれた両親の名を確かめた。
「七年ぶり、かな。あの研究所に入る前、八月のお盆に伯父さんと来たのが最後だったから」
旭はカーネーションとカスミソウをメインにした花束をそっと墓前に置いた。その瞬間、冬の冷たい風がさっと吹き抜けて、いつか両親と流星群を見に行った夜を思い出す。あの日彼らが星に何を願ったのか。その時の言葉が旭の頭に蘇った。
旭が幸せになれますように。
左手の薬指に光るシルバーのリング。右手をそこに添えて、墓前に見えるようにする。心の中でさえ、彼らに何を言えばいいのか分からない。無言で佇む旭の肩にアラタが触れる。彼に肩を抱かれて、旭はそっと目を伏せた。
「父さんたちが願ったおかげで、俺はこいつに会えたのかもしれない」
旭の頭の中で、両親がなぜか首を振る。
「それは違う。俺は旭の絵があったから、旭に興味を持った。君の両親の願いでも、運命でもなく」
両親の代わりにアラタがそう答えた。
「運命の番って、お前は信じるか?」
旭の問いかけに、アラタは一度瞬きした。
「旭といると、胸の辺りが痛いほど高鳴る時がある。だから、運命の番というのも本当にあるのかもしれない。ただ……この世界のどこかに自分の運命の番がいるとして、二人が出会う可能性は限りなく低いだろう。二人を引き合わせる引力のような何かがないと、それこそ運試し……出会うのは宝くじに当たるより難しい。俺があの日旭の絵に出会ったのは運だったとしても、その後俺がもう一度旭に会おうとしたのは、旭の絵が魅力的だったからだ。君自身の力が俺を引き寄せる引力になった。それはもはやただの運命と言えるだろうか」
アラタの疑問に答える者はいない。
ただ、いつかアトリエで見たのと同じ、オレンジ色のまばゆい夕陽が二人を照らし、地面に長い影を作っていた。
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