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ブラック・フライデー②
顔を洗ってコンタクトレンズをつけ、コーヒーの湯を沸かしていると、
「オレもいいかな」
とサムが玄関のドアを開け入ってきた。燃えるような赤毛はニット帽の中に収められ眼鏡をかけている。
「クロワッサンを買ってきたよ。一緒に食べよう」
「オイ、俺のクローゼットの中身を漁ったのか?」
「ちょっと借りただけだよ。今日は仕事は?」
「……午後から」
午前中に買い出しに行くつもりだった。週末も仕事をきっちり入れてある。
「じゃあ一緒に行かないか」
「見つかるとヤバいんだろ」
「尾行はいなかったよ?」
「好きにしろ。ヤバくなったら遠慮なくお前を売り渡すからな」
「お好きなように」
アパートの管理人から車を借り、隣町のスーパーまで行った。隣町と言っても、一週間分の食料品を抱え歩いて往復するのは流石にキツイ。アルバイト先のスーパーには行きたくないし、こっちの方が品揃えも豊富だ。カートを押しながら店を巡った。買うものはほとんど決まっている。
冷凍食品のコーナーで、チーズペンネの箱を手に取りしばらく見つめる。軍用食で一番人気のあった味で、帰国したらビールと一緒にたらふく食べてやるとジェイムスは言っていた。俺はチェダーチーズの風味があんまり好きじゃなくて、トマトソースの方が好みだったけど。
そんなことを考えていたら
「オレはこっちの方が好きだな」
サムが、カートにミートボールスパゲッティとトマトソースのペンネの箱を入れてきた。サムの顔を見上げれば、ニコリとガキみてえな顔で笑う。その顔はジェイムスとまったく同じなのに、好みはまるで違う。そりゃそうだよな。ジェイムスとコイツは別の人間なんだ。
「……俺も好きなんだ」
俺はチーズペンネの箱をそっと戻して、トマトソースのペンネをもう一箱カートに入れた。
スーパーで買い込んだ酒や冷凍食品や缶詰を後部座席に詰め込み、それからサムの希望でディスカウントストアへ向かった。着替えやシェービングクリームや歯ブラシなんかを買う。金はヤツが支払った。どこから出てくるんだその金は。しかし貧乏暮らしにはありがたいかぎりだ。
アパートに戻り、車と鍵を管理人に返すと買ったものを冷蔵庫に入れていった。一人暮らしには少し大きめのサイズで隙間だらけだったが、これがパンパンになる日が来るとは思わなかった。片付けだけで午前中が潰れ、砂糖をたっぷり入れたコーヒーを流し込んで仕事先に向かった。
一日中働いて、閉店の時間には疲れ果てていた。すぐにベッドにダイブして夢の中に潜り込みたい。
アパートの部屋の明かりをつければ、サムはソファに寝そべってブランケットにくるまっていた。いいご身分だな。
ダイニングテーブルをふと見れば、豆のスープとトマト味のペンネにラップがかけられている。シンクの横の水切りカゴには洗った皿やフォークが立てられていた。
なんだかヒモ男を囲っているような気分でため息が出た。けれども俺以外の誰かが用意した食事に出迎えられるのは悪くない。メシくらい食うか、という気力が湧いてきて、ペンネとスープを電子レンジに入れた。
✳︎✳︎✳︎
夢の中で、俺はまた戦場にいた。
視界はスコープの形に丸く切り取られ、その先で浅黒い肌の青年が崩れた壁に身を潜めていた。よれて薄汚れたプリントTシャツにチノパン、スニーカーを履いたどこにでもいるようなガキだ。ライフルを手にしていなければ。
スコープを覗いて狙いを定めるたび、今から撃つのはこの人間なんだ、コイツを殺すのは俺なんだと強く思い知らされる。
だが慣れというのは恐ろしい。眠る前のようにリラックスしながら深く息を吸い、止めて、撃った。ガキはぶん殴られたように身体を痙攣させ、倒れた。もう動かない。悪いな、と思うより先に、よし、当たった、とかすかな手ごたえを感じた。地獄だ。
次の瞬間、銃弾が頭の上を掠めた。あのガキはこちらの位置を確かめるための囮だったらしい。
俺はマークスマン・ライフルを抱えて飛び起きた。銃声が追いかけてくるが身を低くして走った。
そうやって、爆弾が仕掛けられたポイントに誘い込まれているとは知らずに。爆音とともに視界が白く吹き飛んだ後、瞳に燃えるような痛みが炸裂した。
✳︎✳︎✳︎
目を覚ませばまだ夜明け前だった。乱れた息が口の周りで白く煙る。ひどく寒くて身体が震えている。窓ガラスには結露がびっしりついていて、涙の跡のように水滴が流れ落ちていた。バスルームに明かりが点いていて、引き寄せられるように向かう。ぼやける視界の中でも燃えるような赤がはっきりと見えて、誰がいるのかすぐ分かった。サムが顔を洗っていた。
「おはよう。大丈夫かい、顔が真っ青だ」
サムが俺の頬に触れる。温かい。ソレから離れがたくてじっとしていれば、「ハグしていい?」と聞いてくる。
頷けば、サムは少し驚いた顔をしつつも、俺を優しく腕で包み込んだ。人肌の温度にくるまれると心臓の鼓動が治まってきた。サムが息をするたび、その厚い胸が膨らみ萎むのが分かる。ああ、生きている。俺もサムも。
身体が温まってくるとまた眠くなってくる。でもまた悪夢の中に戻されるのはゴメンだ。
サムをベッドに引っ張り込み、俺たちは二回目のセックスをした。
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