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第2話
ーーーー「イアラン」
コランは新しい奴隷の名を呼んだ。サファイアが含有する鉄を意味する。
ベリーがあちらこちらで実をつける夏の庭で、黒い長髪と麻のチュニックの裾が翻る。剪定をしていた木の屑や葉をはたき落としながら、イアランがコランのもとに駆けてくる。
「来客だ。厨房を手伝え」
「クロム様ですか」
「ああ、使いも手紙もなしに来るのはあいつくらいだ」
「ベリーを摘みます。すぐに行きます」
イアランは踵を返して庭に戻った。まだこの国の言葉に慣れていないが、随分と話しやすくなったなあとイアランが来たばかりのことを思い返す。
イアランがここにきて3ヶ月ほど経った。最初に苦労したのは言葉だった。イアランはほとんどコランたちの言葉が聞き取れない様子で、まったく話そうとしなかった。しかし侍従たちやコランが指差しや身振り手振りを駆使して仕事の内容を伝えると、瞬く間に覚えていった。
単語をなんとか繋げて会話らしきことができるようになると、コランはイアランの話を聞きたがった。毎夜のように自分の部屋に連れてきて、寝台に寝そべりながら寝物語をせがむ。奴隷というより愛人ではないかと離宮に勤める者達に囁かれるが二人はまったく気に留めていない。
イアランは寝台の横でポツポツと語った。セオドラ王国よりずっと南の大陸で育ったこと、人買いに捕まり子どもの頃から奴隷として働いたこと、恵まれた体格やケンカの腕を買われて傭兵として戦線で戦ったこと、捕虜となりまた売り飛ばされたこと、そしてコランと出会ったのだということを。
コランはなるほどな、と腑に落ちた心地だった。イアランは言葉が通じにくいからあまり話さず表情も乏しいのだろうと思っていたが、過酷な環境に耐えるため心を閉じて自分を守ってきたのだろうと推測する。そして今でもイアランの心は閉ざされたままだ。
「お前は随分いろんなところに行ったのだね。僕はこの国から出たことがないのだ」
コランは贈り物を交換するように、自分のことを話した。幼少期は身体が弱く病気がちだったので城から出たことがなかったこと、なにをしても叱られたことがなかったが、長兄のクロムだけが容赦なく拳骨を振るって物事の善悪を教えてくれたこと、城に届いた検品に混入したランクの低い石を見つけた審美眼に気づき、宝石の鑑定の仕事を回してくれたこと。
「僕は、ずっと誰かに必要とされたかったのかもしれないね」
王族という立場や、病弱であることや希少なアルビノの個体ということが周りを萎縮させていた。何かあってはいけないからと、きょうだいで遊ぶことも飛ぶ練習も制限され、よく癇癪を起こし世話係を困らせた。
勉学に励んだところで、仕事を手伝いたいと申し出ても身体に障るからと何もさせてもらえない。クロムが審美眼を見出さなければ、コランもイアランと同じように心を閉ざしていたかもしれない。責任ある仕事を任せられるようになって、コランは随分落ち着いたのを自身でも感じている。
イアランもよく働いている。屈強な兵士のような見た目だが繊細な作業も得意だ。
今も無骨な太い指で、そうっとクサイチゴを摘みとっている。大きな図体を丸めて細々とした作業をしている様が、コランにはいじらしく見えた。手のひらいっぱいに赤い実を摘んできたイアランの横で、コランは口を開ける。イアランは無表情のまま、だがちゃんと意思を汲み取ってコランの口にクサイチゴを入れてやった。甘酸っぱい味が広がりコランがニコリとする。他の者がイアランを見ても無表情に見えるだろうが、目のいいコランにはイアランが少しだけ目元を緩めたのが分かった。コランの胸に熱が灯る。
「なぁにやってんだ赤ん坊じゃあるまいし」
クロムがズカズカと庭に入ってきた。イアランは素早く膝をつく。
「お、サマになってきたな。それに比べて成長しねえなお前は」
クロムは小柄なコランのおかっぱ頭を鷲掴みくしゃくしゃと撫でる。
「あーあ、疲れた。酒」
クロムはマントを留めるブローチを外しイアランに渡す。そしてコランとともに客間に向かった。しかし振り返ってイアランに告げる。
「お前も後で来い。話がある」
イアランは一礼して、二人の王子に背を向け歩いていった。
まだ日が高いというのに、クロムは2杯目の麦酒を口にした。コランは呆れながら白身魚の揚げ物を頬張る。イアランはコランの傍で微動だにしないが、瞬きが増えて誰かが動くたびに身体をかすかに揺らす。
「イアラン、少し落ち着け」
「は?」
クロムは少し据わった目をイアランに向ける。
「さっきからずっとそわそわしている。さっさと終わらせてやれ。どうせ万霊節のことだろう」
万霊節はセオドラ王国の新年を迎える行事だ。豊穣への感謝と祈りを捧げ、先祖の霊を迎えて盛大に祝う。
「そうだよ。おかげで酒を飲む暇もありゃしねえよ」
「もう飲んでいるじゃあないか。それにその日になればたらふく飲めるだろう」
「今年はオレが仕切ることになってな。ろくに飲み食いできねえだろうよ。更に面倒なことに、ネズミが入り込んだらしくてな」
「暗殺者か?お前を狙う猛者がいたとはな」
「まだわからん。ここの鉱脈を狙うヤツらは昔からうようよいるけどな。お前も城に来るんだろ。ソイツを連れて行け。元傭兵なら腕は立つだろ」
「嫌だ」
「ハア?」
「イアランを危険な目に遭わせられない。日を改めて父上と母上に新年の挨拶はしに行く。それでいいだろう」
「お前なあ、なんのためにソイツを」
「僕はイアランを伴侶にする」
クロムの顎が落ちた。
「アホか、人間だぞ?筋骨隆々の野郎だぞ?」
「十年経てば市民権を申請できるはずだ。そうしたら側室にして、それから」
「いや、そうじゃなくて、寿命が違うだろう。あまりにも」
竜人の寿命は数百年ほどだ。人間が添い遂げるにはあまりにも長すぎる。
「大丈夫さ。僕だってきっと百年も生きられない」
クロムは口をつぐむ。コランが大人びた笑みを向ければクロムは何も言えなくなってしまった。クソッ、と悪態をつきながら酒を煽った。
「そうだな、やはり僕も行くよ。父上や母上に話して許嫁を解消してもらわねば」
「許嫁?」
急に言葉を発したイアランに、コランとクロムの視線が集まる。イアランは発言を許されていないのに思わず零してしまい頭を下げる。
「いいんだよイアラン。ここには僕とクロムしかいない」
「お前オレをなんだと思ってんだ」
「高貴なお方に安酒はお口に合わないとみえる」
「あぁもう分かったから酒を返せ!」
コランとクロムが少年のように戯れ合うのを、イアランはじっと見つめていた。
コランが自分を伴侶にしようとしていたのは寝耳に水であった。奴隷の、それも人間の自分が、かつて金の為に人を殺めてきた自分が、コランの傍にいてもよいのだろうかという考えがぐるぐる巡る。
しかしコランの隣に自分以外の誰かが立つことを想像すると、心の臓が引っ掻かれるようだった。その理由を探すと取り返しのつかないところまでたどり着いてしまいそうで、イアランはいつものように気持ちをそっと隠した。
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