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第3話

 万霊節の日が来た。早朝、表門で迎えの竜人が恭しくこうべを垂れていた。南の離宮は温暖だが王都は寒い。ウールや毛皮を何枚も重ね着し、コランとイアランは竜に姿を変えた侍従の背に乗った。  そして空に舞い上がった。イアランは驚くべき体幹で微動だにしない。吹き荒ぶ風から守るように、小柄なコランを巨躯で覆う。  一行は緑豊かな南の農地や丘を越え、常緑樹に包まれた山々の上を飛ぶ。太陽が空の真上に登る頃には、城壁と城の屋根の白い先端が遠くに見えてきた。 「おかしい」  コランは呟く。 「進路がずれている」  紅玉の眼は太陽の位置を確認する。僅かに東に逸れているのを、聡い目は見逃さなかった。 「罠だ。飛ぶぞイアラン」  魔法陣を描いた紙を口に咥え、コランはイアランの両腕を掴む。竜の背の上で後転するように転がり落ち、やがて空中に投げ出された。  イアランは手足がどこにも触れていないのはこんなにも恐ろしいのかと思った。地上に面した背中は常に風に押されているような感覚だ。身動ぎ一つで簡単に身体の角度が変わり空中で錐揉みになる。ぐんぐん地上に近づいていく。樹海の葉の一枚一枚が鮮明に見えてくる。  流石に死を覚悟したイアランの身体が宙に浮いた。落下の速度が急激に落ちる。イアランと同じくらいの大きさの白い竜が、しっかりと彼を掴んでいた。肩に鉤爪が食い込むが肉を破ってはいない。白い竜は翼を羽ばたかせ、ゆっくり地上に降りていった。 「ありがとうございます」  イアランは人の型になったコランに膝をつく。 「気にするな。しかし少し休んでいこう。竜の姿になったのは久しぶりなんだ」  コランは木の幹に背をつけ、ため息を吐きながら座り込む。イアランは皮袋でできた水筒を渡した。コランは受け取り喉を潤す。 「クロム様の言った通りです」 「ああ、迎えの者に化けてくるとはな」  コランは頭上を仰ぎ見る。太陽は枝葉に遮られ、陽光は通すものの方角までは分からない。 「まあ、すぐ近くだ。歩いて行こう」 「待って」  イアランはコランの前に出てしゃがむ。コランは顔を顰めた。 「赤ん坊じゃあるまいし。一人で歩ける」 「山道は疲れます。あなたが思っているよりも」 「わかった、疲れが出たらすぐ休む」  コランはため息を落とす。しかしイアランは納得したようで布袋に入った荷物を担いだ。  二人は空から見た城の位置を頼りに歩き始める。半刻ほどでコランはイアランの言ったことを痛感し始めた。道が整備された城下や平地が多い南の土地とは違い、常に木の根や土や岩の段差が行手を阻む。斜面に対して身体のバランスを取り続けることにも神経を使う。身体が熱くなり汗が滲んだ。  そろそろ休もうかと提案しようとすると、ちょうど城の近衛隊がやってきた。セオドラ王国の紋章のついた兜を被り帷子を身につけている。 「止まれ」  コランの紅い眼の中に火花が散る。 「お前近衛ではないな?僕の"目"は誤魔化されないぞ」  コランは小柄な体を反らして一歩も引かず、イアランは主人の前に歩み出る。 「お前が僕たちをここまで連れてきたのだろう」 「・・・・・・箱入りのお坊ちゃんだと聞いたんだがなあ」  近衛兵は兜を取った。短く刈り込んだ茶髪に金色の目が特徴的な若者の顔が現れる。 「ファンブニルの一族か。そちらこそ、よくもまあ恥ずかしげもなく顔を出せたものだなあ」  ファンブニルの一族は、竜に姿を変えるが竜人ではなく竜になる呪いをかけられた人間だ。  その昔、神々から黄金を強請り身内でも骨肉の争いをした末、黄金にかけられた呪いにより竜に姿を変えるようになったという。金の目は黄金に目が眩んだ証で、現在でも盗賊や賞金稼ぎで荒稼ぎする悪しき一族だと伝えられている。 「荷物は全てくれてやる。さっさと()ね」 「お気遣いどうも。しかし用があるのはそっちの色男だ」  若者はイアランを指さす。 「アンタ、随分戦で活躍したそうじゃねえか。いい値が付いてたぜ。アンタが俺についてこれば王子様には手を出さない」  どうだ?と若者はニヤリとする。コランは、ネズミの目的はイアランに掛けられた賞金だったのかと理解した。人間なら竜人を相手にするより容易いと思ったのだろう。  イアランの表情は読めなかった。感情が抜け落ちた顔に、コランは不吉を感じとる。イアランは黙って若者に近づいていった。  そして、腕を掴んで投げ飛ばした。地面に叩きつけられた若者は、すぐさま身体を転がし蹴りを繰り出す。イアランはやすやすと足を掴み、軋むほど力を込める。若者が苦痛に顔を歪めても、イアランは眉一つ動かさない。  普段の穏やかなイアランからは想像もできなかった、冷徹な兵士としての顔にコランは身震いする。 「くそっ、賞金の額が見合ってねえじゃねえか。割りに合わなさすぎる!」  若者はイアランに押されているようだった。とうとうイアランから飛び退き逃亡にかかる。  イアランは逃す気などなかった。戦場では皆殺せと言われた通りにしてきた。修羅場での感覚が呼び起こされ、研ぎ澄まされていく。 「やめろ、イアラン」  背中から上着を引っ張られ、イアランは引き戻された。戦場の記憶から主人の元へと。  瞬間、前方から何かが飛んできた。空中で爆散したかと思えば白い煙が二人の間に充満した。煙幕を掻き分け、イアランはすぐさま蹲るコランの姿を見つける。煙が薄れていく中、コランの顔が苦悶に歪むのがはっきり見えてくる。なぜかイアランはなんともない。  イアランはすぐさまコランを背負い、城壁に向かって駆けていった。煙幕の向こうに霞む人影には気づかずに。  城内は騒然としていた。  長衣を纏った医師や魔術師、麻の下履きを履いた使用人たちの脚が廊下で交錯し入り乱れる。 「発情期だと?!馬鹿な、早すぎる」  コランを診た医師の見解を聞き、クロムは吠えた。  「装備を奪われた近衛兵や従者も同じ状態にあります。動けなくするために媚薬が使われたのでしょう」  竜人の発情期は苛烈だ。数十年に一度しか来ないが、激しい性行為が何日も続く。番がいない竜人は、親や家令が決めた相手と閨を共にし、荒れ狂う欲望を鎮めることになっている。  コランにはまだその相手が決められていなった。五十年から百年ほどかけて身体が大人になってから発情期が来るのに対し、二十歳のコランが発情期を迎えるのは早熟すぎる。身体を酷使する行為に、コランの脆弱な肉体が耐えられるかも分からない。ゆえに、コランは発情期を迎えるまで生きられるかどうかと言われてきた。 「コラン様は死ぬのですか」  イアランはぽつりと呟く。医師は眉を顰めるが、クロムはイアランが複雑で遠回しな言い方が出来ぬことを知っていた。 「イアラン、お前、コランのことが好きか」 「・・・・・・はい」 他に言葉が浮かばなかったイアランは、ただそう答える。クロムは苦虫を噛み潰したような顔で腕を組み、イアランをじっと見つめる。  そして重々しく口を開いた。 「なら、コランの為に死ねるか?」   
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