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第5話
「ったく、一晩でへばっちまうなんてな」
コランは何年かぶりに熱を出した。床に伏せるコランとは対照的に、イアランは何ごともなかったかのように寝台の横で茶を淹れている。盆の上に載せ蜂蜜入りの茶をクロムに差し出した。
「ああ、もうそういうことはしなくていい」
クロムは盆を突き返す。
「あのな、コイツ、お前の許嫁になったから」
コランは口も目も見開き、さすがのイアランも動揺したのか茶を落としそうになる。
「王子の命を救ったんだ、大した働きだよ、十年分の奉仕に匹敵するほどの」
コランがイアランを見れば、青色と目があった。どちらともなく微笑みが零れ落ち、手を重ね合う。
「イアラン、何がしたい?どこにだって行けるしなんだってできるよ」
イアランは押し黙る。自分の心の声に耳を澄ませているのだ。コランは答えを待った。
「いいのか?故郷 に帰るとか言い出したらどうするんだ」
クロムが茶々を入れ、コランが文句を言おうとすると
「そうします」
イアランがそう言った。コランの顔は引き攣り、クロムは恨めしげに睨んでくるコランの視線から逃れるように目を逸らす。
「もう一度、故郷に行きたいです。必ず戻ります」
風景や両親の顔すら思い出せず、こことは違うところから来たということだけ覚えていた。行ってみれば、失った何かを取り戻せるような気がした。
「わかった、僕も」
「一回ヤッただけで寝込んでる奴が何言ってんだよ」
コランは屈辱にぐうの音も出ない。それにイアランの故郷は海を渡らねばならぬほど遠い。山道を少し歩いただけで息切れしてしまうようならイアランの足枷になってしまうだろう。コランは泣く泣く見送ることにした。
新年が明けてすぐ、イアランは旅立ってしまった。寂しさを感じる間もなく、万霊節の後始末や親類への訪問など遠慮なく働かされ、それらが終わるとまた南の離宮に戻り淡々と日々を過ごした。
暇になると海の見える庭に出て、つい大陸から来る船を探してしまう。故郷の方が居心地がよかったのか、やはり体を繋げたことが嫌だったのか、愛想を尽かされたのではないかという考えが、波のように寄せては引いていく。たまにクロムがやってきて騒いで帰っていくが、海を眺める時間にも付き合ってくれた。きっと気にかけているのだろうと思うだけで、コランは少し寂しさが紛れた。
その日も麗かな春の庭で海を眺めていた。
すると侍従が飛んできて、離宮の近くの森の様子がおかしいと伝えにきた。鳥が激しく飛び交い銃声のような音も聞こえたという。
「いけません!クロム様にすぐお伝えしーーーーコラン様!」
侍従が止めるのも聞かず、すぐさまコランは森に向かった。イアランが巻き込まれているのではないかと思うと気が気ではなかった。
南の森は湿地が多い。ぬかるみに足を取られながら彷徨っていると、木立の間で黒い人影が揺れた。様子を伺おうと木の陰に身を隠す。しかし、落ち葉だまりに隠れた泥の沼に足首まで浸かりバランスを崩した。
黒い人影が猛烈な勢いで迫り、コランの腕を引く。コランはその人物の顔を、姿を見てぎょっとした。
「また会ったな、王子様」
茶色い短髪に金色の目を持つその若者は、イアランを狙っていた賞金稼ぎであった。
賞金稼ぎの若者は声を張り上げる。
「おい、コイツに手ェ出されたくなかったら出てこい!」
今度は白い人影が現れた。その全身には隙間なく包帯が巻かれている。そしてその者の顔は、コランの待ち人で間違いなかった。
「イアラン!その身体は・・・・・・!」
「心配いりません。コラン様をはなせ」
イアランは腰に下げた剣の柄を握る。それもコランが見たことないものだ。イアランは剣を鞘から抜き、
ーーーー若者に向かって投げた。
矢のように飛んできたそれを避けるため若者は体勢を崩す。イアランはその一瞬の間をついて距離を詰め、外套を扇のように翻らせながら若者を地面に叩きつけ取り押さえる。
容赦なく敵を痛めつけるイアランの姿がコランの脳裏に蘇り、背筋が冷たくなった。止めようとした矢先に、若者が懐から何か取り出した。回転式の拳銃の銃口が、イアランの額に向けられる。コランから血の気が引くが、腕の長さが足りず届かない。
若者の指が引き金にかかり
「その辺にしておけ」
銃は、突如現れた何者かによって蹴り飛ばされた。蹴り飛ばした人物は、若者とよく似た顔立ちと目の色を持っていた。若者とコラン達が初めて鉢合わせたときから見張っていた人物だ。
その人物は若者を見下ろし言った。
「引き上げるぞウォック」
「何しに来たケツァール!」
ケツァールと呼ばれた人物はため息を吐きつつ賞金稼ぎの若者ーーウォックを睨め付ける。
「弟がバカをやってたら止めるのが兄の仕事だ。だから私達はいつまでも盗人の一族と呼ばれるのだ」
「おお、少しは話が通じそうなヤツがいるじゃねえか」
振り返ればクロムが近衛を従え立っていた。コランは侍従がクロムを呼ぶと言っていたことを思い出す。
ケツァールは鎧を身につけたクロムの前で跪いた。
「この度は愚弟が狼藉をはたらき失礼しました。我が一族が、責任を持って処罰いたします」
「わかった。ただちにこの地から去れ。二度目はない」
ケツァールは少し驚いたように、目線だけチラリと向ける。
「アンタらは数十年前から 悪さをしていないし、バカな弟を持つと苦労するよな。見逃してやるからきっちりワルどもを押さえておけ」
ケツァールは深々と頭を下げ、ウォックの首根っこを掴んで森の奥に消えていく。やがて森から二頭の竜が飛び立っていった。
「それにしても、随分男前になって帰ってきたもんだな」
クロムは包帯だらけのイアランを見やる。
「そうだ、こんなひどい怪我・・・・・・!すぐ医師を呼ぼう」
「大丈夫です。怪我ではありません」
イアランは包帯を解く。全身が露わになると、その場にいたものは皆息を呑んだ。
「成人の儀を受けてきました。おれの故郷では、全身に刺青を彫るのです」
イアランの全身に彫られたのは、黒い鱗を模した刺青であった。肩から背中までびっしりと覆われており、まるで黒い竜人のようだ。
「あなたの姿に、少しは近づけたでしょうか」
コランは、イアランがこの国で生きていくことを決めたのだと悟った。その証がこの全身に刻んだ刺青だ。
「馬鹿だなお前は。そんなことをしなくても・・・・・・大変だったろうに」
「はい。時間がかかってしまいました」
やはりまだ少し会話は噛み合わないが、お互いの想いだけは通い合っている。
コランはイアランの手を取り、帰ろうと微笑む。イアランの口角がぎこちなく上がっていき、目尻が柔らかく下がった。
イアランの笑った顔を初めて見たコランは、喜びに笑みを深めた。
ーーーー1年前に買った奴隷に逃げられた王子が番を見つけたらしい。
そんな噂の元になっている二人は、この夏婚礼の儀を行うという。
終
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