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第12話 逃げないように捕まえる

 作っていた笑顔のせいで顔が(こわ)ばっていた。  きっちりと締められていたネクタイを緩めながら、赤信号で止まった車から、T字路の突き当たりに建てられている大きな市立図書館へと視線を投げる。  〝臨時休館〞の立札と、入口を塞ぐ黄色のチェーンが瞳に映った。  その前に佇む1人の男に、視線が留まる。  ぽつぽつと落ちてきた雨粒が、次の瞬間には、バケツをひっくり返したような豪雨に変わる。  図書館前に佇む男が、一気に濡れ鼠に変化した。  雨を避ける訳でもなく、立ち尽くしていた男は、〝困ったな〞とでもいうように濡れた髪に手櫛を通し、頭を掻いた。  掻き上げられた髪に、隠れていた顔が俺の瞳に映る。 「愁実……っ」  俺は慌てシートベルトを外し、車を飛び降りた。  背後から運転手、﨑田(さきた)の慌てた声が聞こえたが、無視をした。  少しだけ勢いの削がれた雨の中、スーツのジャケットを傘代わりに頭から羽織り、小走りに愁実へと近づく。  雨を避けるように、愁実をジャケットの傘の中へと入れる。  急に阻まれた雨粒に、驚いた愁実が振り向いた。 「すずし……」  俺の名を呼ぼうとした愁実の唇に人差し指を立てた。 「俺の名字は目立つ。名前で呼んでくれ」  閑散とはしているが、人通りが全くない訳じゃない。  〝スズシロ〞の名は、簡単に周りの意識を惹きつけてしまう。  唇を塞ぐ指先を外した愁実の瞳が、俺の頭から爪先までを走る。 「随分、(かしこ)まってるな?」  ネクタイだけが緩められた俺の正装姿を見やり、ぽつりと声を零す。 「ぁあ、ちょっとな。お前は…、ずぶ濡れだな?」  自分がなぜこんな格好をしているのかは適当に濁し、くすりと笑う。 「急に降られて、どうにもならなかったんだよ」  水が(したた)る毛先を摘まんだ愁実は、ため息混じりの声を零す。 「また激しくなるかもしれないし、とりあえず車に乗ってくれないか?」  路肩に停まっている車へと視線を投げ、愁実にお伺いを立てる。 「こんなずぶ濡れで、あんな高級車乗れねぇよ」  ちらりと車を見やった愁実は、遠慮するように身体の前で両手を振るった。 「気にするな。シートなら、革だから拭けば直ぐに乾く。でもお前は、そう簡単に乾かないだろ」  このままじゃ風邪を引くぞと、拒む愁実の手を握った。  手を繋いだまま歩き始める俺に、愁実は申し訳なさげについてくる。 「家、送るよ」  住所を聞き出そうとする俺に、愁実の瞳が游いだ。 「いや。まだ、帰れねぇんだ……」  なにか理由があるのだろうと察した。  でも、それを追求しようとは思わない。  誰にでも、話しにくいコトや、知られたくないコトはあるものだ。  車のドアを開け、愁実を乗せた。 「じゃ、とりあえず俺の家に行くか……」  どかりと後部座席に腰を落とし、﨑田に家に戻るように命じる。  何かを言いたそうに口を開きかけた﨑田は、言葉を飲み込み、車を発進させた。  シートに投げ出されていた愁実の手に、指先が触れる。  逃げ出そうとするその指先を、きゅっと握り捕えた。  困ったように揺らいだ愁実の瞳は、指先の代わりに窓の外へと逃げる。  ちらりと見やったバックミラーの中の﨑田は、車の運転に集中している。  後部座席のシートの上まではバックミラーには映らないだろうと、少しだけ引き寄せた愁実の手に指先を絡めた。

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