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第54話 白けを纏う瞳

「面白ぇネタあるんだけど、買わねぇ?」  既婚の男が飲み干した空のビールグラスや置いていった金を回収する俺に、1人の男が声を掛けてきた。  泊里不動産の息子、泊里 (はじめ)。  泊里不動産は、それなりの大手不動産会社だ。  俺の裏の仕事を知っている泊里は、男が去った後の椅子に腰を下ろし、手にしているビールグラスを軽く揺すった。 「ものによるかな」  視線すらくれずに、声を放つ俺。  白い泡が消え、3分の1ほど残っていたビールを、ぐいっと飲み干した泊里は、にたりと好感の持てない笑みを浮かべ、ちょいちょいと指先で耳を貸せと俺を呼ぶ。  僅かばかりの面倒臭さを微塵も見せず、俺はゆるりと泊里へと耳を寄せた。 「スズシロの話」  嫌味な笑いを含む耳障りの悪い音で紡がれた声に、俺は半信半疑の瞳を向ける。 「オレ、スズシロ(そこ)の御曹司と同級生なわけよ。5…、3でもいいわ。買う? 買わねぇ?」  掌を見せた泊里は、親指と小指を折り込み、3本の指を立てて見せる。  その同級生という特権を利用し、所有の土地をスズシロに高く買い取ってもらおうと企んだ泊里。  だが、策は失敗に終わったらしいという話は、俺の耳にも入っていた。  意趣返しのつもりなのか。単なる小銭稼ぎか。  どちらにしても、そんな理由で級友を売るような程度の低い人間なのだと、呆れる。  だが、俺が金を出すまで、こいつはここを退かないだろう。  面倒になった俺は、1万円札を1枚だけカウンターに乗せた。 「渋っ……まぁいっか。使えそうなら上乗せしろよ?」  カウンターに乗せた1万円札をくしゃりと握り、ポケットへと押し込んだ泊里は、再び、指先で俺を呼びつける。 「あいつ、ゲイだぞ」  泊里を見やる俺の瞳が、白けを纏う。  スズシロの御曹司は、神楽家の娘と結婚したはずだ。  婚姻の情報は、誰だって知っている話だ。  それが政略結婚だとしても、愛のない結婚だからと、スズシロの御曹司がゲイだと決めつけるには、合理性に欠ける。  寄せた耳に響いた泊里の言葉は、札1枚にも満たない情報で、うんざりとする気持ちのままに睨めてやる。 「いや。マジだって。高校の時に、同級生の愁実ってヤツとヤッてる声、聞いたんだよ」  にたにたと覗き魔感たっぷりの下衆な笑みを浮かべる泊里に、俺は溜め息と共に言葉を紡ぐ。 「君が聞いただけでしょ? 信憑性、低くない? 物証がないなら信じるに値しないよ」  金を積み増すつもりはないと、あしらう俺に、泊里の表情が不満を語る。 「高校の頃の話だけど、そういう嗜好なんて、そうそう変わんねぇだろ? 結婚だってどうせ政略結婚だろうし、見事な仮面だよな」  泊里は、心底楽しそうな笑い声を立てた。

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