64 / 115
第64話 きゅっとなる心臓
「歩きすぎて、足がパンパンなんだ」
眉尻を下げた情けない笑みを見せる俺。
どかどかと近寄った直に、床へと垂れていた足が掴まれ、ソファーに乗せられた。
きょとんと見上げる俺に、直の声が降ってくる。
「マッサージしてやるよ」
うつ伏せで横になれと、ジェスチャーで示してくる直。
「ふふ。なんか、いやらしい響きだね」
くすくすと笑いながらも、俺はソファーに寝転がる。
俺の揶揄いの言葉に、直は黙って足を揉み始めた。
たぶん、直には下心がある。
だからこそ、俺の〝いやらしい〞という揶揄いの言葉に、声を詰まらせた。
出会った頃は憧れが強かった直の瞳に、性欲の色香が滲むようになってきていた。
無意識に熱が籠められた視線が、俺の心を炙ってくる。
直を可愛いと思ったのは、あのボロアパートに住み始めて、それほど経たない頃。
ネグレクト気味の母親の元で、懸命に生きている直に、興味が湧いた。
その頃抱いていた気持ちは、恋愛感情とは違う純粋な好奇心、…だった。
今だって、俺は直をそういう対象として、見ていない……。
「恒さんてさ、恋人いねぇの?」
両手で摘まむように、俺の脹ら脛を揉む直。
「ん?」
急に何を言い始めたのかと、顔を向ける俺に、直の視線は脹ら脛を凝視している。
「嫌がるんじゃねぇかなと思って。マダムとのデート……とかさ」
例えば、俺に恋人がいるとしたら、マダムとのデートなど嫉妬の火種になりかねないのではないかと、心配された。
……余計なお世話だ。
いや、……直が、妬いている。
健全なマッサージを装ってはいるものの、その瞳は衣類を透かし俺の肌を舐めている。
本当は、もっと欲望のままに俺に触れたいという願望が、指先から溢れていた。
脇腹を擽り、内腿を撫で上げ、奥まで犯して俺を暴 きたい。
そんな腹の底でぐつぐつと煮え滾る欲求が、指先から俺へと流れ込んでいた。
「恋人なんていないよ。同性もそういう対象だけど、……決まった相手はいないかな」
直の掌の熱に、神経が集まっていく。
拾ってはいけない熱から意識を逸らせるように、俺は両腕で囲いを作り、ソファーに顔を埋めた。
「……バイ、なの?」
こんなに長く共に居たのに俺の性癖に気づかなかったと、直のきょとんとした声が背に落ちてきた。
「そうだね。分けるとしたら、そうなるかな」
腕の中で、くぐもった声を返した。
「じゃあ、俺にもチャンス、あんの?」
脹ら脛を揉んでいた片手が、腿裏を撫で這い上がる。
色香を含んだ撫で方に、ゆるりと頭を上げ、直へと顔を向けた。
「俺、恒さんの恋人になりてぇんだけど?」
きゅっと眉間に皺を寄せ、切なげな瞳で見詰めてくる直。
一瞬、その顔に見惚れていた。
男らしい声と恥じらいの表情に、心臓がきゅっと捕まれた。
ともだちにシェアしよう!