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第73話 弁解の余地はない
子供が生まれ、数ヶ月が経った頃。
また澪蘭と2人きりになるコトがあった。
俺の腕に絡みついてきた澪蘭に、また刺青を見せて欲しいと、せがまれた。
「こんなものを見て、楽しいですか?」
ジャケットを脱ぎ、袖を捲りながら問う。
考えあぐねるように、軽く唸った澪蘭が口を開いた。
「よくわからない絵画より、近江くんのこれの方が私は好きよ」
刺青の端が覗く腕を見詰めながら、澪蘭は小さく笑う。
「綺麗……」
くすくすと嬉しそうに笑いながら、俺の肌に指先を滑らせた。
その触れ方が、純真な興味から色香の伴う興奮へと掏り替わっている感じがした。
「今日は、こっちもちゃんと見たいな……?」
澪蘭の指先が、いやらしく左の尻を撫で上げる。
俺を見詰めていた瞳が、すっと細くなった。
純粋な興味だけを映していた瞳に、欲望が混ざり込んでいた。
ここが、分岐点だった……。
その時の俺は、清白の家のためには、澪蘭の機嫌を損ねる訳にはいかないと、判断し、澪蘭の誘いに乗った…。
機嫌を損ねられたとしても、空気を濁し、突っ跳ねるべきだった。
「子供が出来たと知ってから……郭遥さまの彼女の扱いが、さらに冷たくなられた気がしていました。…私は、スズシロのブランドを守るという責務があった……。離婚などという疵 をつけさせるわけにはいかなかった。……だから、彼女を…慰めました」
それは精神的な支えという意味ではなく、肉体的なもので。
秘書業務も、越えてはいけない一線も、……なにもかにもを優に越えるもの。
「それから、幾度となく、せがまれました。…そこに、郭遥さまを貶めようなどという他意も、……彼女への愛も、ありませんでした。ただ、淋しいと訴えてくるから慰めていただけ…、です」
澪蘭などという名も、俺を惑わせる一因だったのかもしれない。
俺の敬愛する人物、礼鸞と同じ響きの名。
それは俺を狂わせるには、充分な材料だった。
神楽との関係を、壊さないために。
スズシロの名に、〝離婚〞などという、不名誉な疵をつけないように。
だが、すべては屁理屈できた言い訳と、体のいい建前だ。
俺に、弁解の余地はない。
小さくなっていく俺の主張に、郭遥はあからさまな溜め息を吐いた。
「お前を責める気も、断罪するつもりもない」
怒りに任せ、怒鳴りつけられる覚悟をしていた。
暴力を振るわれても、仕方ないとさえ思っていた。
郭遥の導きだした結論に、俺は顰めた顔を持ち上げる。
郭遥の鋭い瞳が、俺を見据えていた。
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