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第86話 未練など微塵もなく

 やっぱり、深く関わるべきじゃなかった。  あの夏休みの間に、オレは郭遥の前から消えるべきだった。  ……今更、思ったところで、過去を変えるコトなど出来やしない。  ならば、せめて。  郭遥の平穏を壊さぬよう、秘密は秘密のまま、この場を誤魔化し、黒藤を欺くだけのコト。 「ぁあ。泊里は、同級生だよ。でも、間違ってる……オレが、一方的に好きだっただけだよ」  何をバカなコトを言っているのだというように、ははっと軽い笑いを乗せてやる。  嘲笑するオレにも、黒藤の瞳は疑念を消さなかった。 「清白の坊ちゃん、あんたと会うために、安アパートまで借りてたんだろ?」  嘘を見破ろうとするように黒藤の視線が鋭くなる。  オレは、真正面からその瞳と対峙する。 「あれは勉強会のための場所だよ。まぁ、オレの家庭環境が酷すぎたから、察したあいつが逃げ場を作ってくれたのかもだけど」  あいつ優しかったからな……と、微笑んで見せた。  だから、好きになったのだ、と。  オレの勝手な片想いだったのだと、自分すらも騙そうと試みる。  まだ信じるには値しないとでも言いたげな黒藤に、オレはダメ押しに言葉を足す。 「オレとデキてたなら、オレをこんなところに置くと思う? 〝過去〞だったとしたって、そんな仲にまで発展した相手、普通は放っておかないだろ。……それに、あいつは結婚もしてるしな」  ぎりっと痛む胸に、言葉が萎んでしまった。  卒業のすぐ後に、ひとつのニュースが世間を賑わせた。  大企業スズシログループの跡取り清白 郭遥と、医療業界の御令嬢、神楽 澪蘭の婚姻。  有名企業の御曹司である郭遥の情報は、黙っていても、余るほどに流れ込んできていた。  許嫁がいるコトを知っていたオレは、そのニュースに然程の驚きはなかった。  だけど。 「まぁね。息子も2人いるしな……。やっぱ、あんたとは友達ってところか」  結婚のニュースが踊った翌年、郭遥は父親になっていた。  さらに、その翌年にも2人目の子供が産まれている。  父親になったというコトは、郭遥は女を抱けるというコトで。  それは、郭遥が異性も愛せるというコトだ。  オレとは違い、〝普通〞に異性と愛を育める。  オレとの関係は、一時の気の迷いに過ぎなかったのだと確信した。  子供の年齢から(かんが)みれば、オレが姿を消したその瞬間に、郭遥は女を抱いている。  オレの姿が消えると共に、郭遥の中の恋情も、綺麗さっぱり失せたのだろう。  未練など微塵もなく、郭遥はオレを忘れ消し去った。  そうなるように、仕向けたのはオレだ。  金に目の眩んだ下衆野郎だと認識されていいと、近江と取引をした。  卒業までの数ヶ月で、幸せの器を一杯にすれば生きていける、と。  だけど。  未練だらけのオレの心は、郭遥の中から消し去られてしまったという現実に、ぐしゃりと押し潰された。

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