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第91話 呼吸すら奪われる
こんな醜態、見られたくねぇな。
出来るコトなら、郭遥の記憶は、若く綺麗な頃のオレのままにしておきたい。
「オレ、消されたくないんだけど?」
発した声に、正面の床に座っている男は、意図を探ろうとするようにオレを見上げた。
「郭遥の所の使用人と約束したんだよ。金貰う代わりに金輪際、近づかねぇって……」
実際には金など受け取っていないが、そんなコトは、どうでもいい。
約束したからには、郭遥には近づけない。
オレは消されたくないのだと、尤もらしい理由で目の前の男を丸め込み、この場から逃げ出そうと試みた。
逃がしてくれと懇願するように、男を見詰めるオレの背後で、ガチャリとリビングへと続く扉の開く音がした。
「金なんて、受け取ってないだろ」
聞き馴染みのある澄んだ声が、部屋の中に凛と響いた。
その音は、オレに呼吸することすら忘れさせる。
硬直するオレの前に座り込んでいた男は、ゆったりとした仕草で腰を上げる。
「遅かったですね。危なく絆されるとこでしたよ」
冗談混じりの苦笑を浮かべる男。
男の隣へと歩み寄った郭遥の瞳が、オレを睨むように見下ろしてくる。
居心地の悪さに、視線を逸らせた。
視界の端に映る郭遥の瞳は、こちらを向いたまま動かない。
オレを見やったままに、声だけを男へと向ける郭遥。
「ありがとう、天原。三崎にもヨロシク言っといてくれ」
オレへの監視の目は緩めず、内ポケットから茶封筒を取り出した郭遥は、それを男へと差し出した。
茶封筒を受け取り、そのままポケットへと突っ込む男。
「確認しなくていいのか?」
郭遥の言葉に、男は軽く笑いを漏らす。
「郭さんが出し渋るとは思ってないんで」
ポケットをぽんっと叩いた天原は、言葉を繋ぐ。
「また何かあったら、動きますよ。今後は、恒さん通さなくていいんで」
会釈ともいえない程度に頭を下げ、片手を挙げた男は、そのまま玄関へと足を向ける。
「ぁあ。また、頼むよ」
擦れ違い様に、男の肩をぽんと叩いた郭遥は、オレの目の前にすっと屈んだ。
―― ガシャン
マンション独特の玄関扉の閉まる音が、部屋の中に響いた。
その音が合図だったかのように、郭遥の腕が伸び、ぎゅっとオレに抱き着いてくる。
「見つけられて、良かった………」
腹の底から絞り出すように、か細く零された郭遥の声に、胸が震えた。
「気づけなくて、悪かった。遅くなって、ごめん……」
先程の凛とした姿からは想像も出来ないほど、痛ましくなるほど気弱な郭遥が、オレを掻き抱く。
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