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第106話 JOUR
湯を溜めながら、愁実の身体を軽く洗い流した。
後ろから支えるようにして、2人で湯に浸かる。
「いつんなったら、働けんの? オレ……」
面倒そうに紡がれる言葉に、まだ先だと声を返した。
返す必要などない金だが、愁実は、俺の腕の中で、なにもせずにのうのうと生きていけるような質 でもない。
これから始める〝秘密倶楽部〞で働いてほしいと頼む俺に、愁実はキャストとして働くのだと勘違いした。
これ以上、愁実を変態の目に曝してたまるものか。
裏方として、管理を任せるつもりだといった俺に、愁実は真面目に経営の勉強を始めていた。
湯船の横に設置されている鏡は、水蒸気で真っ白に染まっていた。
湯の中に沈んでしまいそうな愁実の身体を左腕で抱きながら、右手でその曇った鏡に〝JOUR〞と書く。
描かれる文字を愁実は、ぽやんとした瞳で見詰めていた。
「秘密倶楽部の名前、JOUR にしようと思ってな」
〝JOUR〞の文字の上にルビを振るように、平仮名で〝しゅうじつ〞と付け足した。
「しゅうじつ……?」
不思議そうに呟く愁実に、ふっと笑いを含む声を返す。
「そうだ。……JOURの意味は、フランス語で、一日中とか、終日…、お前の名前と同じ響きなんだ」
血色の良くなった頸から背中にかけ、先程までは見えていなかった傷痕が浮いてくる。
まるで、俺の心臓に同じ傷が刻まれたかのように、胸がきりりとした痛みを訴えた。
なぜ。俺は、放っておいたのだろう。
なにも出来なくとも、出来ないなりに何かしらの策は打てた。
近況くらいなら、手に入れられた。
そうすれば、こんなに傷だらけになるまで、放ってなど置かなかった。
離れていくコトを実感するのが、怖かった。
恋しいという想いだけが積み重なり、俺の胸を押し潰す。
呼吸すら儘ならなく、何も手に着かなくなる。
自分が壊れていくのがわかるから、元凶たる愁実の存在を俺の記憶から消そうとした。
……忘れられるはずなど、ないのに。
「オレの名前と同じ音だなんて、後づけだろ?」
もっと根本的な理由があるのだろうと愁実は、笑い飛ばす。
「そうだな。JOURは、世間体なんて気にせず、欲求に忠実でいられる場所にしたいと思ってる。終日……、いつでも、な。普段から、自由でいられればJOURなんて必要ないんだけどな」
この世界は、俺には息苦しくて。
〝JOUR〞では、…愁実の傍では、自分が自分らしく、居られれば良いという願いが乗っていた。
「でも、〝しゅうじつ〞っていう和訳の文字を見た時、お前の姿が浮かんだのは事実だ」
未だ鏡の文字に瞳を向けている愁実の後頭部に額を預けた。
縋るように、愁実の身体をぎゅっと抱き締める。
「お前はもう俺なんて好きじゃないかもしれないけど、俺は忘れられなかったんだ……」
この際、愁実の心など、なくてもいいとさえ思う。
「俺を好きじゃなくてもいい……、傍に居てくれ」
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