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第108話 俺の心は、お前のものだ

「だめだっ」  オレを抱く郭遥の腕に、更なる力が加わった。  腕の中に閉じ込めるかのように、身体全体で抱き締められる。 「気を遣ってるわけじゃない。本心だ。……俺が惚れたのは、お前だけだ。居なくなるなんて…言うなっ」  鼓膜を震わせる郭遥の声色は、痛々しいほどの切なさを纏う。  だけど。  同性で惚れた相手が〝オレだけ〞なのだろう。  雑誌に載っていた家族写真が、脳裏に浮かぶ。  将来を誓い合った女との間に生まれた愛の結晶。  オレはお前に、なにも残してやれない。  あの女のように、愛の(あかし)を示してやるコトは出来ないんだ。 「嘘吐くなよ。そんなお世辞いらねぇの」  オレは、抱き締めてくる郭遥の腕を剥がし、その左手の薬指を彩る指輪に触れた。 「これは、お前に大切な家族がいるっていう証、だろ?」  するりと撫でた指輪の嵌まる手を湯の中へと戻し、オレは腰を上げる。  未練も想いも、この中に置き去りにしようと、ざぱりと湯を波立たせ、立ち上がった。 「子供だって2人もいるじゃねぇか……。ただ、少しだけ奥さんと上手くいってないだけだろ? 奥さんとの仲が戻ったら、オレなんていない方がいいんだよ」  郭遥の運命を、これ以上掻き乱したくなかった。  オレは、マンネリ化した日常から脱するための、ちょっとした刺激で。  郭遥の前から消えてしまえば、綺麗さっぱり忘れ去られる運命で。  湯から足を出し、郭遥という魅惑的な存在から瞳を逸らす。 「あいつを抱いたコトはない」  何を言い出したのかと、振り返った。  そこには、呆れとも、疲れとも、表現し難い郭遥の顔があった。 「抱かなくとも、子供は授かれるんだよ。……次男は、俺の子でもないしな」  はっと鼻で嗤う郭遥に、オレの表情は険しくなる。 「近江の子なんだよ。寝取られたんだ」  空笑った郭遥の眉が、情けなく歪んだ。 「俺は、あいつを愛せなかった。お前が消えた胸の隙間に、あいつを押し込んで愛そうとも思った。だけど、あいつは、お前が消えた元凶だ。…そんな相手、愛せるわけないだろ」  馬鹿げた話だと、郭遥は自分を嘲笑っていた。  風呂に浸かったまま、伸ばされた郭遥の手がオレの手首を掴んだ。 「……俺が愛したのは、お前だけだ」  じっと見上げてくる郭遥の瞳は、真摯な熱をオレに伝える。 「紙の上での俺は、あの女のものだ。…でも、俺の心はお前のもの、なんだよ」  ぐっと引かれる腕に、オレは引き寄せられるまま、郭遥の傍にしゃがみ込む。  近づいたオレの頬に触れた郭遥は、愛でるように撫で擦る。 「俺は、お前が好きだ。俺の気持ちは、お前だけのものだ。存在しない…、見えなくて触れない気持ちなんて、信じられないか?」

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