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第110話 オレだけのもの

「他の誰かなんて、想ってねぇよ……」  どうしてそうなるんだよ、と呆れ混じりの声を向けるオレに、ふわりと戻った郭遥の瞳が物悲しげに見詰めてくる。 「あの場所に、帰りたいんだろ? あそこにお前の心残りがあるってコト、なんだろ……」  心許ない笑みを浮かべた郭遥は、残念そうに言葉を繋いだ。 「お前の心が他の誰かを愛していても、……いい。傍に居させてくれないか?」  苦々しく紡がれる声が、オレの胸を締めつけてくる。  あの場所が恋しいから、あの場所に愛おしい人がいるから、…そんな理由で戻りたがった訳じゃない。 「……オレが稼げる場所なんて、あそこしかないから、戻せって言っただけ。オレだって、お前の幸せしか願ってない……。オレの大事なものは、お前の笑顔。…そこは、変わってねぇよ」  寂しげな笑みを浮かべる郭遥の頬に触れた。  笑えと言えように、その頬を撫で擦る。  オレが姿を消したのは、郭遥の将来のため。  ……〝将来を潰さないため〞に消えるだなんて、あの頃のオレの烏滸がましさに辟易する。  捨てられる恐怖から……ただ、傷つくのが嫌で逃げ出しただけのクセに。  許嫁とオレの天秤は、どこからどう見ても軍配は相手方で。  捨て去られる未来が見えているその場所に、留まる気概がなかっただけだ。  頬に触れるオレの手を掴んだ郭遥は、どこにも行くなと、渾身の力で握り締める。 「お前は、凄いな」  思わず、素直な感想が零れていた。  目の前に垂らされた蜘蛛の糸。  オレは、その先に何もないときの落胆を考え、掴めない。  でも郭遥なら、がむしゃらにそれを手繰るだろう。  たとえその先に何もなくても、後悔も残らないように、出来るコトの総てをするのだろう。  完全なる確証を得た今ですら、オレはまだ臆病風に吹かれている。 「オレにフラれるって思ってても真っ直ぐ突っ込んで来るんだもんな……オレには真似できねぇわ」  オレを圧死させそうな重い空気を振り払うように、軽口を叩く。  上っ面を飾っただけの言葉などいらないというように、じっと見詰めてくる郭遥の瞳に、オレは白旗を上げた。 「好き……、ずっと…好きだよ。お前以外の幸せを願ったコトなんてねぇよ……」  握られたままの指先で、郭遥の目許を擽った。 「だから。…笑えよ。そんな情けない面じゃ、オレのここに響かねぇよ」  お前が幸せに笑っている……、それだけがオレの望みだった。  オレが隣に居なくとも、その笑顔を見られれば、それで良いと思っていた。  瞳を閉じ俯いた郭遥は、情けなさを削ぎ落とすように、頭を振るった。  すっと戻ったその瞳には、熱い想いが宿っていた。 「俺を笑顔にしたいなら、消えるなんて言うな。言っただろ? 俺は、お前が傍に居てくれさえすれば、笑っていられる」  握り込まれている手が引かれ、顔を寄せられる。  柔らかく触れた唇から、オレに愛が注がれる。  郭遥を笑顔に出来るのは、オレだけで。  誰にも縛るコトの出来ない心は、オレのもの。  見えなくて、触れられなくとも。  感じられる郭遥の心は、オレだけのもの。  紙にはない温度、この熱は、オレだけのものだ。

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