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第30話
たまにはいいなと思いながらスプーンでシチューをすくう。
「その首、大丈夫?」
「…見た目ほど痛みはありません」
「そう、良かった」
一口コーヒーを飲む。
城戸さんが首の手跡はどんな人が付けたのか気になっているのか心配そうにチラチラ見る。
…隠す事でもないけど、凪沙の事を話したら城戸さんをなにかに巻き込んでしまうのではないかと心配して話せずにいた。
凪沙がアパートまで押しかけて来ない事を祈りながらシチューを食べる。
アパート近くにいたから家を知ってるし盗聴盗撮はしてるだろうし、もう手遅れかもしれない。
でもまだ何もしていない、まだ…大丈夫。
「僕ね、ゲイなんだ」
「むぐっ」
突然の城戸さんのカミングアウトに驚いてスプーンを咥えたまま固まる。
それを見て城戸さんは苦笑いした。
城戸さんは一つ一つ思い出すように話し始めた。
自分が男しか愛せないと気付いたのは高校生の時だった。
初恋は後輩だった、部活で知り合い仲良くなり一緒に過ごすうちに懐かれてそれが可愛く思いだんだんと好きになった。
でも彼はノンケだし、自分の片思いだろうから告白する気はなかった。
そのまま忘れた方がお互いの心に傷を作らなくていいと思った。
卒業式の時、彼から告白された。
とても嬉しかったが、自分のせいで彼を不幸にしたくなかった…彼には普通の幸せがあるから、ゲイの自分には住む世界が違う。
断った…自分は男を愛せないと、嘘ついた。
それから平凡なサラリーマンになり、恋愛なんて考えられないほど仕事をしていた。
そして、数年経ったある日取引先の会社に彼はいた。
運命だと彼は喜んだが、複雑な気持ちだった。
高校生の時の苦い思い出を忘れて新しい恋をしてるのだろうか、聞きたくなかった…そんな話。
一緒にレストランで食事をしていた時、再び告白された。
戸惑ったが「もうお互い子供じゃないですよ」と言われ、好きの気持ちが溢れてきて泣きながら頷いた。
やっと長年の片思いを実らせた。
「付き合って数ヶ月は楽しかった、過去の時間を取り戻すように」
そう話す城戸さんはとても幸せそうな顔をしていた。
長年の初恋が実ったんだ、俺が想像する以上に嬉しかっただろう。
でも過去形なのが悲しかった。
城戸さんもすぐに影を落とした。
コーヒーカップを握る手が震えているのか中のコーヒーが揺れていた。
小さな声で呟いた。
とても小さかったがすぐ横にいた俺は聞き逃さなかった。
「彼は普通じゃなかった、僕の行動を全て監視して束縛して…でもそれが心地いいと思ってた、ただの嫉妬だと思ってた」
しかし彼の行動は行き過ぎていた。
道を尋ねただけで相手を殴りつけて、誰とも話すな触るなと命令してきた。
彼は全てを見ている、うっかり他人と肩がぶつかっただけでも発狂していた。
怖くなった、あんなに好きだった彼が…
直接別れ話を言うとなにかされそうでメールで一言済ませてスマホを変えた。
会社も知られているから辞めて、家も引っ越した。
高校時代の友人に相談したらアパートの大家を探してる事を聞いた。
のんびり大家生活も悪くない、一階に使われてない店もあるらしく…昔からの夢だった喫茶店もやりたいと思った。
そしていろんな住人が増え俺が越してきて、これが本当の幸せなのだと思った。
彼に縛られていた息苦しい鳥籠の中から逃げ出せたと思い込んでいた。
でも、彼はここまでやってきた。
「もしかして、それが…」
「うん、和音くんも会ったよね、胡散臭い笑みの男に」
知らなかった、もしその事を知ってたらいないと追い返したのに…
一人暮らしで不安だったのを城戸さんが気にかけてくれて助けてくれた…その恩返しが出来たのに…
やっぱりあの人と凪沙が重なり怖かった。
全てではないが似ているところがあり、そう思うだけで震えて体が動かなくなる。
実際あの人を突き放す事が出来たか疑問だったが、何も言わず逃げる事は出来た筈だ。
城戸さんは席を立ちカウンターの向こうで俺が食べ終わったシチューの食器を片した。
「ごめんなさい、俺がすぐに追い返してれば城戸さんの幸せは続いたのに」
「それは違うよ、彼はここに僕がいると気付いていた…だから彼は来たんだよ…彼は僕に言ったんだ」
『お前のせいで人生が狂った、お前さえいなければ』
自分が言われたわけじゃないのにゾクッと悪寒が走った。
城戸さんは一度離れたのに、自分から二度も告白したのに自分勝手だと思った。
もしかしたら凪沙も、自分と関わったからこうなってしまったのか。
首に触れた。
凪沙も、俺がいなけりゃ良かったって思うのだろうか。
「僕がこの話をしたのは、君に同じ道を歩んでほしくないからだよ…その首の痣、彼と似たような考えの人のように思えて…君は絶対に人生を間違えないで」
凪沙と再び出会った事で、俺は既に凪沙への選択肢を踏み外してるのではないのか。
凪沙には彼女がいるから自分に恋愛感情はないはずだが、凪沙には子供っぽい執着があるように感じた。
城戸さんはあの人が好きだったが一度離れて、そして再び出会った。
恋愛抜きにして今の俺と凪沙がまさに同じだ。
城戸さんがしなかった事、もしかして高校時代の想いが強すぎて今の彼を見ていなかったのかもしれない。
今はあまりにも違いすぎる。
まず凪沙の事を調べようと思った、居なくなったあの日から彼になにがあったのか。
そして凪沙と話し合おう、怖くてもそうしないとお互いダメになる。
「ありがとう城戸さん、俺…やるべき事が分かったよ」
「そっか、それは良かった」
「後、なにかあったらすぐに相談して…一人じゃ分からない答えだって二人ならきっと分かる筈だから!」
城戸さんは笑った、俺が好きな笑みだ。
喫茶店を出ると外はすっかり暗くなっていた。
かなり時間が経っていたんだと思う。
アパートの階段を上るとズボンのポケットに入れていたスマホが震えた。
SNSのお知らせのようで開いた。
『和音は何も知らなくていい、俺は和音にとって有害なゴミを排除するだけ…和音に変な事を吹き込むそのゴミは有害?』
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