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2 波

 緑のことを意識し始めたのは、友人だと思っていた彼から告白されてからだった。  波が、校内でゲイだと知られている林藤からしつこく言い寄られているのは周知の事実だ。  けれども林藤のそれは、まるで仲のいい子供がじゃれあっているような、心地のよい言い合いに過ぎなかった。冗談みたいな言葉で愛を語る林藤を、波は冷たくあしらう。それが、ひとつのコミュニケーションになっていた。  でも、緑は違った。  まっすぐな目で波を見つめ、真剣な声で、波を好きだと言った。その眼差しが、波を戸惑わせた。  なぜ林藤も緑も、自分を好きだと言うのだろう。  林藤はゲイだから、彼にとってそれは当然のことだろう。でも緑は違う。緑はゲイではない、はずだ。  男に好かれるタイプ、なのだろうか。そう思って、波は奇妙な気分になった。  もちろん、自分ではそう思わないし、いたって普通に生活しているつもりだ。体つきは多少細身だけれど、態度も口調もそこらへんの男子と変わらない、と思う。  緑は、林藤のせいだと言った。ということは、林藤につられて、波を好きだという気になってるのだろうか。  でもそれにしては、あの眼差しはまっすぐすぎた。  緑は、嘘や冗談を言う(たち)じゃない。二学期に入ってから、委員会でしか顔を合わせたことはないけれど、波の知っている限りで、緑はふざけて同性に告白するような性格とは思えなかった。  だとしたら、本当なのだ。  緑は本当に、自分のことが好きなのだ。  波は困惑していた。よくわからなかった。  けれども、波はこれまで男性を恋愛対象に考えたことはなかったし、林藤だってもちろん対象外だったし、だから、男に告白されたときに返す言葉として、もっとも適当な台詞を選んだ。  気持ちには答えられない、という意味の、ごめん。  でも、と波は思う。  それは本心だっただろうか。  答えを選択するとき、そこに何か、膜のようなものはなかったか。  その判断は、本当に正しかったのだろうか。 「波」  呼ばれて、波は肩を震わせた。急いで呼吸を整え、何食わぬ顔で振り返る。 「な、何」 「パンフレット持ってきた。ごめんな、遅くなって」 「あ、いや。うん、別に」  今まで、何度注意しても委員長としか呼ばなかった緑が、最近になって急に、波を名前で呼ぶようになった。  呼べと言ったのは波のほうだ。そこに特定の意味などなかった。委員長という肩書きで呼ばれると、どこかよそよそしい気がしたのだ。  なんとなく、緑には名前で呼んでほしかった。けれども、実際に呼ばれると、今度は落ち着かない。 「いよいよ週末だな。この調子だと、なんとか無事に開催されそうだ」 「だな」 「疲れてないか?」 「え?」 「顔色、良くない」 「そんなことないよ」 「波、なんでも一人でやろうとするとこあるからなあ。委員長が体調崩して当日倒れたりなんかしたら大変だぜ。雑用なんかはおれに言ってくれよな」 「う……ん」 「じゃ」  休み時間の廊下は混雑している。緑の形のよい背中は、すぐに人にまぎれて見えなくなった。  大胆な告白をしたわりに、緑は何も変わらなかった。波に対する態度も口調も。  おかげで、学校生活に支障はない。波が緑に告白されたなんてことは、誰も知らない。ただ、波のほうが気にしてしまうだけだ。  緑に、波、と呼ばれるたび、胸の奥のほうがうずく。  なぜだかはわからない。先日の一件があったせいかもしれない。  緑が波の名を呼ぶとき、その一瞬だけ声が少し、低くなる。それが、波の知らない緑の一面を垣間見たような気がして、波を落ち着かなくさせるのだ。

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