7 / 17

1-7

「委員長」  呼びかけると、波は緑の姿を確認してから、不服そうな顔をした。そうだ、名前だ。 「あ、ごめん。名前。まだ慣れなくて」 「いいよ、別にもう。強制するもんじゃないもんな」 「悪い」 「いいって。何、どうしたの?」  放課後だった。今日は委員会もない。波のクラスは運動部の生徒が多いせいか、教室にはほとんど人がいなかった。 「その、一緒に帰らないか」 「……いいけど」  一瞬、不思議そうな表情を浮かべたものの、波は鞄を抱えると緑のところへ駆け寄ってきた。  学校を出て、駅に向かって歩く。緑と波は違う路線の電車に乗るため、一緒に帰るといっても駅までの数十分の話だ。 「それで、どうしたんだよ」  人けのない住宅地に入ってすぐ、歩きながら波は緑の顔を覗き込んできた。拳一つ分、緑より背の低い波は、いつもそうやって見上げるように緑を見る。 「やっぱり、何か悩みがあるんだろ? 僕じゃ聞くことしかできないかもしれないけどさ。なんでもいいから、遠慮なく言ってよ」 「……うん」  水晶のように透きとおったキレイな瞳が見つめてくる。緑は少しだけひるむ。 「あのさ」 「うん」  言ってしまって、いいのだろうか。  でも、充分思い悩んだ。このままでは一緒にいて、とうてい平静を保てそうにない。  いいから思いきって、言ってしまえ。  そう自分を鼓舞して、緑は思いきった。 「好きなんだ」 「……え?」  思いきったわりに緑は、前を向いたままで、波の顔を見られないでいた。予想通り、沈黙が落ちる。  波の困惑した表情は、容易に想像できる。きっと聞き返してくる。 「……何が」  緑は、もう一度はっきり、明確に言った。 「おれ、委員長のことが好きになった」  冗談とか、悪ふざけに聞こえないよう、声に重みを持たせたつもりだった。その成果かどうか、隣で波の息をのむ気配がした。 「……何言ってんだよ、緑まで。林藤みたいなこと」 「うん。林藤のせいかもしれない。最初は、林藤が委員長のことばっか言うから、だんだん気になってきて」 「なんだよ、それ」 「でも」  緑は立ち止まって、波と向き合った。あたりに人けはない。家並みを隔てて大通りの喧噪が聞こえていた。車の行き交う音、とりとめのない人々のざわめき。でもまるで自分たちのいる場所だけ無音になったみたいに、緑は波の声しか聞こえなかった。 「委員長のことが、好きなんだよ」  波は、目をそらしはしなかった。緑の視線を真っ向から受けとめている。こういうところが、好きなのかもしれない、と緑は思った。  けれども、波はさほど考える間もなく、目を伏せた。 「……僕が、女みたいだから?」 「え?」 「林藤は、ゲイだからわかるけど。緑は違うよな。僕が女みたいな顔してるから、好きになったわけ?」 「違う。そんなわけない。委員長のこと女みたいだって思ったことないよ」 「ごめん」  はっきりと、波は言った。 「緑のこと、そんなふうには考えられない」  長い睫毛がほのかに震えていた。それだけで、充分だった。  緑は、ゆっくり息をはいた。体中の力がゆっくり抜けてゆく。  もちろん、想定していた結果だ。 「いいんだ」  思いの外、あっさりと声が出た。そのことに、緑は安心した。 「言いたかっただけなんだ。ごめんな、動揺させちゃって。でも、おれ、言わずにいられなくって。ほんと、ごめん」 「……謝ることなんてないよ」 「文化祭、もうすぐだから。それまでのがまんだからさ、後二週間、よろしくな」 「がまん、って、何言って」 「じゃ、おれ先に行くな。また明日」  緑は波に背を向けて駆け出した。  わかっていたこととはいえ、胸がつまって苦しかった。  そりゃ、そうだよな。  言ってしまいたかった。だからよかったのだ。どういう結果になろうと。  しばらくは忘れられないだろう。でも、きっとしばらくが過ぎればもとに戻る。  忘れなくてもいい、とも思う。  想いを抱えたまま、いつか楽になれる瞬間が来ることを、緑は気長に待つつもりだった。

ともだちにシェアしよう!