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「委員長」
呼びかけると、波は緑の姿を確認してから、不服そうな顔をした。そうだ、名前だ。
「あ、ごめん。名前。まだ慣れなくて」
「いいよ、別にもう。強制するもんじゃないもんな」
「悪い」
「いいって。何、どうしたの?」
放課後だった。今日は委員会もない。波のクラスは運動部の生徒が多いせいか、教室にはほとんど人がいなかった。
「その、一緒に帰らないか」
「……いいけど」
一瞬、不思議そうな表情を浮かべたものの、波は鞄を抱えると緑のところへ駆け寄ってきた。
学校を出て、駅に向かって歩く。緑と波は違う路線の電車に乗るため、一緒に帰るといっても駅までの数十分の話だ。
「それで、どうしたんだよ」
人けのない住宅地に入ってすぐ、歩きながら波は緑の顔を覗き込んできた。拳一つ分、緑より背の低い波は、いつもそうやって見上げるように緑を見る。
「やっぱり、何か悩みがあるんだろ? 僕じゃ聞くことしかできないかもしれないけどさ。なんでもいいから、遠慮なく言ってよ」
「……うん」
水晶のように透きとおったキレイな瞳が見つめてくる。緑は少しだけひるむ。
「あのさ」
「うん」
言ってしまって、いいのだろうか。
でも、充分思い悩んだ。このままでは一緒にいて、とうてい平静を保てそうにない。
いいから思いきって、言ってしまえ。
そう自分を鼓舞して、緑は思いきった。
「好きなんだ」
「……え?」
思いきったわりに緑は、前を向いたままで、波の顔を見られないでいた。予想通り、沈黙が落ちる。
波の困惑した表情は、容易に想像できる。きっと聞き返してくる。
「……何が」
緑は、もう一度はっきり、明確に言った。
「おれ、委員長のことが好きになった」
冗談とか、悪ふざけに聞こえないよう、声に重みを持たせたつもりだった。その成果かどうか、隣で波の息をのむ気配がした。
「……何言ってんだよ、緑まで。林藤みたいなこと」
「うん。林藤のせいかもしれない。最初は、林藤が委員長のことばっか言うから、だんだん気になってきて」
「なんだよ、それ」
「でも」
緑は立ち止まって、波と向き合った。あたりに人けはない。家並みを隔てて大通りの喧噪が聞こえていた。車の行き交う音、とりとめのない人々のざわめき。でもまるで自分たちのいる場所だけ無音になったみたいに、緑は波の声しか聞こえなかった。
「委員長のことが、好きなんだよ」
波は、目をそらしはしなかった。緑の視線を真っ向から受けとめている。こういうところが、好きなのかもしれない、と緑は思った。
けれども、波はさほど考える間もなく、目を伏せた。
「……僕が、女みたいだから?」
「え?」
「林藤は、ゲイだからわかるけど。緑は違うよな。僕が女みたいな顔してるから、好きになったわけ?」
「違う。そんなわけない。委員長のこと女みたいだって思ったことないよ」
「ごめん」
はっきりと、波は言った。
「緑のこと、そんなふうには考えられない」
長い睫毛がほのかに震えていた。それだけで、充分だった。
緑は、ゆっくり息をはいた。体中の力がゆっくり抜けてゆく。
もちろん、想定していた結果だ。
「いいんだ」
思いの外、あっさりと声が出た。そのことに、緑は安心した。
「言いたかっただけなんだ。ごめんな、動揺させちゃって。でも、おれ、言わずにいられなくって。ほんと、ごめん」
「……謝ることなんてないよ」
「文化祭、もうすぐだから。それまでのがまんだからさ、後二週間、よろしくな」
「がまん、って、何言って」
「じゃ、おれ先に行くな。また明日」
緑は波に背を向けて駆け出した。
わかっていたこととはいえ、胸がつまって苦しかった。
そりゃ、そうだよな。
言ってしまいたかった。だからよかったのだ。どういう結果になろうと。
しばらくは忘れられないだろう。でも、きっとしばらくが過ぎればもとに戻る。
忘れなくてもいい、とも思う。
想いを抱えたまま、いつか楽になれる瞬間が来ることを、緑は気長に待つつもりだった。
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