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4 緑と波と

 気分は、決していいとは言い難かった。  告白なんて、するんじゃなかったと、あれから何度思っただろう。  緑は中庭のベンチに腰かけて、暮れかけた空を見上げていた。四方は閑散としている。ついさっきまでにぎわっていた屋台が、あわただしく撤去されたところだった。教室の片付けも終わり、掃除もすませた。後は文化委員用の資料室を片すだけだ。  とはいえ、今行けば、波と顔を合わせるに決まっている。それを避けて、緑はたいして用のない中庭などで、時間をつぶしているのだった。  普通に接しようと、出来る限りの努力をした。なのに、波は露骨に緑を避ける。  波の気分を害したのは緑のほうなのだから、少しでも安心させようと、彼女を作った。けれども波はまだ、不安がっている。わざわざ、緑に彼女の有無を訊ねてくるし、うまくいってるのかどうか、確認してくる。そうしなくては落ち着かないほど、緑をうとましがっているのだろうか。  そんなふうに考えれば考えるほど、息がつまりそうなほど苦しい。  友人の紹介で知り合った彼女とは、一度しか会わなかった。そもそも、こんな気持ちでつき合うのは彼女にたいして失礼だ。そんな当たり前のことに、昨日気づいた。  昨日、波と言葉を交わしたときに。  彼のおびえた眼差しを見たときに。  自分の気持ちをごまかすために、彼女を利用してはいけない。だから昨日の夜、彼女に電話をかけて謝った。実はまだ、忘れられない人がいるのだと。  苦しむのは自分一人でなければならないはずなのに、申しわけないことをしてしまった。 「みーどりー」  後方から聞き慣れた声がして、振り返ると目の前にコーヒー牛乳のパックが現れた。林藤はすでにストローをくわえている。彼はもちろん、いちご牛乳だ。 「ほい。お疲れサン」 「お、サンキュ」  側面に水滴を浮かべたパックは、よく冷えていた。ストローをつきさすと、ぷつりと膜の破ける感触がある。 「終わったなあ」  緑は肩の力を抜いて、背もたれに体を預けた。今まで文化祭にかけてきた日々の苦労や、昨日今日の二日間の気苦労を、分かち合う意味でそう言った。林藤も、そのつもりで緑のところへ来たのだと思っていた。  けれども、林藤は意外な言葉を口にした。 「波を泣かすなよ」 「……は?」  吸い込もうとしたコーヒー牛乳は、ストローの途中で重力に引き戻された。  緑は困惑して林藤を見た。しかし、林藤に説明をする気はないようだ。そ知らぬ顔で、淡いピンク色に染まったストローを吸い上げている。 「……何言ってんの。泣きたいのはおれのほうでしょ」 「おまえさ」  めずらしく、林藤が声音を強くした。にらむように緑を見る。 「もっと、全身全霊をかけて観察しろよ。一挙一動を見逃すなよ。もっと、わかれよ。好きな相手が何を思って、何を考えてるか、もっと真剣に考えろ。自分のことばっかじゃなくてよ」 「……林藤?」 「なんで、俺にわかっておまえにわかんないわけ? バカじゃねえの?」  眉根をよせて不愉快そうに言い捨てられ、緑は戸惑った。  林藤が何を言いたいのかわからない。 「まあ、当人のほうが見えてないってこともあるだろうけどな」 「……何の話だよ」 「さっさと行けよ」 「どこへ」 「後片付けだろ。まだあの部屋が残ってんだろ。いつも委員会してた」 「……ああ。でも」 「でもじゃねえよ。波一人でやらせるつもりかよ」  険のある口調で追い立てられ、緑はしぶしぶ腰を上げた。  飲み干したパックをゴミ箱に放り、資料室へ向かうけれど、足取りはひどく重い。

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