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 いったん意識し始めると限りなく意識してしまうのが常で、気のせいとか気のせいじゃないとか、そういうことはどうでもよくなってくる。  気になるのだからしょうがないのだ。  始終、波の顔が脳裏にチラついて、授業に集中できないどころかこのままでは日常生活にも支障をきたしかねない。  焦がれるって、こんな感じなのだろうか。  誰かを想うときのちょっとこそばゆいような甘酸っぱさは、ずいぶん久しぶりのことだった。いや、中学のときに彼女はいたけれど、あれは向こうから告白されてつき合ったのであって、自分から好きになったわけではなかった。いい子だったけれど、彼女に対してこんな気持ちになったことはない。  だから、もしかして初めてかもしれない。動揺してしまうくらいに、意識する相手は。  朝の駅から学校までの直線道路は、電車が到着するといっせいに同じ制服で埋め尽くされる。生徒たちはヌーの群れのようにひとかたまりになって移動してゆく。  歩き始めてすぐに緑は、視線の少し先に小さな後頭部を見つけていた。色素の薄いやわらかな髪が、ときおり吹きつける風にあおられてサラサラと揺れる。  以前ならきっと、追いついて声をかけ、一緒に登校しただろう。  でも今は少し、ためらいがある。なんだかめっきり、波の顔をまともに見られない。  緑は隠し事が大の苦手なのである。すぐに表情や態度に出てしまう。こんなありさまでは早晩、波に気づかれてしまうに違いなかった。  細く頼りなげな後ろ姿を追い続けて学校へ着き、玄関の靴箱のあたりで緑は波に見つかった。そこまでいくともう、隠れるのは難しい。 「あ、緑。おはよう。ちょうどよかった」  そう言って破顔する波を見て、ただでさえ造作の整った顔立ちがよりいっそうかわいく眩しい、と緑は降参したくなる。 「おはよう。何? ちょうどよかったって」 「パンフレットの目次のところさ、手直ししたいんだ。緑が原稿持ってただろ? 放課後までに返すからさ、借りていい?」  いいよ、と緑は学生鞄の中を探る。目当てのものは、いっこうに手に触れない。ゆっくりと記憶をたどってみるに、夕べ原稿を鞄に入れた覚えはなかった。 「……悪い。忘れた」 「マジ?」 「ごめん」 「しょうがないな。じゃ、明日持ってきて。忘れるなよ」 「わかった」  緑はゆっくり深呼吸する。大丈夫だ。普段どおり、うまく受け答えできたはず。  それなのに、上履きに履き替えても波はその場を動かなかった。同級生たちが次々と二人を追いこしてゆく。 「どうしたの?」 「……最近さ、緑、変じゃない?」 「え」  指摘され、緑はうろたえそうになる。 「そ、そうかな」 「うん。なんか、いろんなこと上の空って感じ。なんかあった?」 「いや、別に、何も」 「文化祭、もうすぐだぜ」 「わかってる」 「悩み事あるんなら、きくけど」 「え」  心配そうに覗き込んでくる波の目を、まともに受け止められずに目を泳がせる。 「大丈夫だよ」 「僕なんかじゃ頼りないかもしれないけど、話せばラクになるってこともあるし」 「親切なんだな」  ごまかすようにして茶化すと、波は照れくさそうに弁明した。 「まあほら、副委員長がしっかりしてないとさ、僕も困るし」 「そうだよな。うん。しっかりするよ」 「でも、心配してるのは本当だからな。文化祭の心配じゃないぜ。緑の」 「……うん。ありがとう」  心配をしてくれていると思うと、緑はなんだかもうしわけない気持ちになる。波に隠し事をしているみたいで、後ろめたかった。いっそ、林藤のようにはっきりと言えたらいいのに、とさえ思う。

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