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第六章 初めての夜

「おや?」  帰宅した啓は、その空気に顔を上げた。  かすかな、残り香。  これは、婚約者の利実が好んでつけるコロンだ。 「彼が、来たのかな」  奥のリビングへ進むと、そこには亜希が立っている。  利実の姿は、無い。 「亜希。彼が、利実くんが来たのか?」  その声に、亜希は慌てて瞼をこすった。 「あ、はい。でも、もう帰られました」  慌てても、泣いて赤くなった目は隠せない。  そんな亜希に、啓は近づいた。 「どうしたんだ。泣いたのか?」 「目に、ゴミが入って。それで」 「嘘は、つかなくてもいい」  その優しい言葉に、亜希の涙腺はまた緩んだ。  ぽろぽろと涙をこぼす亜希を、啓はそっと胸に抱いた。 「利実くんが、何か意地悪を言ったんだな?」 「……」  亜希の返事は無かったが、啓には想像がついた。  気の強い、彼のことだ。  ここにいる亜希の存在が気に入らず、減らず口を叩いたのだろう。

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