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フクロウとカミソリ王(3)

 パワハラセクハラをしないように監督する部署の者が、この発言はまずい。が、 「物を大事にできない奴が、人間を大事にできるわけがないんですよ。物の扱いが雑な奴は、SEXも雑! そうに決まってます!」  と重ねて言われると、それも一理あるような気がしてきた。「壊してしまった」ものを「壊れちゃった」と持ってくる社員数人の顔が、さっと脳裏に浮かぶ。 「…………」  うん、これ以上考えるのは失礼だからやめよう、おれ。 「絶対ひとりよがりで前戯がおざなりなSEXしてるくせに、俺っていけてるって思ってやがんですよ……」  まあまあ、と宥めつつ、理央ならたとえそうであってもモテそうだよな、と考えがよぎった。  さっき、束の間だけ交わされた眼差しには、若さがあふれていて、力強かった。  ――いかんいかん。  佑は脳裏から眼差しの残像を追いやる。  泉の怒りは続行中だ。 「いっそ〈ノートパソコンを雑に扱う人はSEXが下手だと言われています〉って文言にしたほうが、みんな気をつけるようになりますかね?」 「泉ちゃん落ち着いて。そうだ、こねぎの新しい写真見る?」 「見ます」  泉はあっさりと美少女の顔に戻った。こねぎとは佑の飼っている雄猫だ。  泉も大の猫好きで、こねぎの写真もいつも大喜びで見てくれる。が、個人情報を多く扱う関係で、社内は自席での携帯の使用が禁じられていた。だからこうして使用が許されているエリアでしか見せられない。  佑は廊下からさらに給湯室に引っ込むと、スマホのカメラロールを開いた。白黒ハチワレのこねぎが、佑の腕に両手両足で抱きついている。 「ほえあ~」  泉は美少女らしからぬ声を上げて、佑の手からスマホを奪った。機嫌が直ったようでなによりだ。  数分後「今日もこねぎちゃんシャブかったです」とスマホを戻しながら、泉は言った。 「でも見事にこねぎちゃんの写真しかないですね」 「散々堪能しておいて突然のディスり?」 「まあ、水野さんのカメラロールに〈駅ビルの屋上で仲間とフットサル!〉みたいな写真があってもびっくりしますけど。お休みの日、どっか出かけたりしないんです?」  泉がなにを言いたいかは薄々わかっている。恋人の気配がないというのだろう。 〈そういうことをみだりに訊ねてはいけません〉というのが社内規則だが、佑と泉の間には遠慮がなかった。  性別も年齢も違うのに、部内で特に懇意にしているのは、お互いにお互いが同性愛者だと知っているからだ。泉はもう何年も前から同性のパートナーと一緒に暮らしている。  ここ数年で〈みだりに訊ねてはいけません〉の波は急速に広がった。  この会社でも、普通に業務していればまず不快な思いをすることはない。月に一度の社内メールには、必ず〈LGBTQへの理解〉というコーナーが設けられているし、パワハラ、セクハラ、残業も強引な飲み会への誘いもすべて禁止だ。結婚していないことをいじられたりすることも、ほぼない。  もっと小さな会社だったら、また事情は違ってきただろう。  だから社員から「なんでもやってくれるお母さん」と思われようと、営業の若手に「楽そうだな」と思われようと、穏やかにやり過ごし、ここで森のフクロウを目指す。覇気がないと言われようが構わない。とにかく心穏やかな今の生活を守れればそれで。 「水野さん、まだ若いのにそんなに枯れちゃってもったいないなって話です。お腹だって出てないし」 「一定の年齢になると腹が出てないだけでイケメン枠に入れてもらえるってほんとなんだなー」  容姿の話は社内ガイドラインではアウトすれすれな気もするが、自分と泉の仲だ。黙認して「さ、次の階もやっちゃお」と佑は脚立を脇に抱えた。 □□□  佑もいい歳だ。恋人がいたことはある。  恋愛が始まると、佑は生れながらの総務気質というかなんというか、ついつい世話を焼きすぎてしまう。まさに「お母さん」になってしまうのだ。  食事の仕度から風呂掃除まで、全部やるのは佑。洗濯物を乾燥機で乾かされるのが嫌だというのでベランダに干せば、天気が気になって休みも休んだ気がしない。  それでも、平々凡々に生まれついた自分と一緒にいてくれるのだ。この地方都市では、そんな相手を探すのも難しい。佑は洗濯物をベランダに干し続けた。  そして突然の雨になったある日。急いで帰宅してみれば、彼氏は当然洗濯物を取り込んでくれてなどいないばかりか、浮気相手の女性を連れ込んでいた。  バイ気味だった彼氏は言ったものだ。 『俺たちあと何年かで三十だぞ。結婚できない相手との関係いつまでも続けたって不毛だろ』  俺はそれでもいい。お互いが好きなら。  そんな言葉を口にすることはできなかった。男の気持ちがもう佑に向いていないのは明らかだったから。  口にしてしまって「いい歳しておまえなに夢みたいなこと言ってんの?」ととどめを刺されたら、多分一生立ち直れない。だから本当の気持ちには蓋をした。 「だよね。おれもそろそろ潮時だと思ってた」 〈みだりに訊ねてはいけません〉の波は、ちょうどその頃やってきた。  三十になっても、恋人や配偶者の有無ついて訊かれなくなったのだ。  せっかく楽になったのだから、当分このままでいいか。そう思ってしまった。  正直、恋愛は楽しいことばかりではない。  尽くした結果が元恋人とのような結末なら、なおさらだ。  大きく出世することこそないが、安定した仕事をして、家に帰れば可愛いこねぎがいる。それだけで満足だ。「恋も仕事も大充実!」なんていうのは、神に選ばれしリア充のみが望むことを許されるコースだろう。    もう、恋愛で感情を季節の変わり目の気圧みたいに乱高下させたくない。  仕事は定年まで勤め上げるが、恋愛は早期リタイアでいいじゃないか。  自分みたいな、容姿も仕事の能力も平々凡々な奴には、それが一番向いている。  ――よな?

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