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諦めきれるはず
「水野さん、またロック解除忘れてる!」
「あ、ああ、ごめん。うっかりしてた」
「もー、今週おかしいですよ水野さん。週末山なんか行ったから疲れちゃったんじゃないですか?」
日頃からボランティア活動の強要に懐疑的な泉は「土日に会社の予定入れられるなんて、信じらんない」と頬を膨らませている。
佑は力なく笑みを返すことしかできなかった。理央の冷たい声が耳の中でよみがえる。
『大丈夫です。俺も、なにも覚えていないので』
あの夜のことはなかったことにしたい、とずっと思っていた。だから顔を合せないようにしていた。
望み通りになったはずなのに。
その後もあれこれ発生した細かいミスを片付けていたら、仕事が押してしまった。
自分が本当に嫌になる。こんなふうに仕事に影響が出るのが嫌だから、恋愛は早期リタイアでいいやと決めたはずだったのに。
今日は一時間だけ残業していこう……
社内システムに入力して面を上げると、上司の席に理央がいた。
「終業ぎりぎりにすみません」
「いや、こっちこそ。また雨降りそうなのに直帰しないで戻って来てくれたんだろ? どうしても自筆が必要な書類が何点かあって、ごめんな」
なんの話だろう。
いやいや、聞き耳を立てるなんて下品だ。
ふるふると頭を振ったとき、終業を知らせるチャイムが鳴って、向かいの泉が間髪入れずに立ち上がった。
「お疲れ様でーす」
定時退社が推奨されているから、フロアのあちこちでそんな声が上がる。佑の視線の先に気づいた泉が、去り際に耳打ちしていった。
「カミソリ王、別の支店に行くらしいですよ。その手続きじゃないですか」
□□□
節電が推奨される折柄、無人になった部署からどんどん明かりが消されて行く。
やがて、明かりがついているのは佑がいる辺りと、上司のいる辺りだけになった。
理央が書類の記入を終えたらしく、会釈して立ち上がる。佑には一瞥もくれなかった。
「さてと。俺も帰るからな。水野もなるべく早く切り上げろよ」
はい、と応じる声は上の空になった。
理央が異動する。
第二クォータの頭から、昇進、あるいは異動するのはこの会社では珍しいことではない。
だけど、四月にやってきたばかりなのに。
いや、そもそも彼がこの地方支社にやってきたのは、将来的に役職につくための武者修行だと聞いている。だとしたら、変則的な人事もあり得る。
隣県と言っても、都会と違って車で何時間もかかる距離だ。ボランティアで行った森林よりさらに向こう。買い物でこちらに出てくるなんてこともなくなるだろう。
それはもう、ほとんど二度と会うことがなくなるのと同義だ。
いや、理央はあの夜のことをなかったことにしたのだ。
元々佑が望んでいたように。
ならば自分も、それを受け容れるべきだろう。
『だよね。おれもそろそろ潮時だと思ってた』
今までだって、そうやって諦めてきたのだ。
だからきっと今回も諦められる。
一緒にコーヒーを飲むことも。
実はウィンクができないと教えてもらったりすることも――
佑は、椅子を蹴立てるように立ち上がっていた。
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