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第5話

それは、女の声のようだった。 「人間と揉めたらどうなるか、分かっていますね?」 頭上から不思議な声音がしたので見ると、 黒猫が一匹こちらを見下ろしている。 「うるせえ!黙れ!このスパイもどきが!!」 もう一方から、バサバサとけたたましく羽音を響かせながらそれは喚いた。 「業務違反に、秘密保持違反、それとついでに暴言も報告させて頂きます。」 「分かったから早く消えろってんだよお!」 何かが床から飛び上がった。 真っ黒な、それはカラス。 暫くニャーニャーキーキー、お互いに牽制し合ってたかと思うと、再び姿が見えなくなる。 どうやら地上に降りて続行しているらしい。 バタバタと、遠くに過ぎ去っていくようだった。 「こちらの事情で済まないが、君には死んでもらわなくてはならなくなった。」 あまりの出来事にあっけにとられていた僕は、低い声によって今直面している現実に引き戻された。 床に倒れたままの先生が、こちらを見つめている。 「助けられなくて申し訳ない。」 再びぽつりと呟く。 「俺が君を殺さなくても、仲間が殺しに来るだろう。監察官に見られてしまったからな。本当に運が悪かった。」 「監察官って、もしかしてさっきの?」 僕は殺される事の恐怖よりも、好奇心が勝ってしまい質問する。 「そうさ。監察官と言えば聞こえはいいが、あいつらはただの諜報員さ。カラスのほうは俺の仕事仲間。」 「一体先生は何者なんですか。」 「気づかなかったのか?」 そう言うと、先生は口の端を釣り上げると、奥にある白い牙を見せつけた。 「何に見える?」 ニタニタと口の端を釣り上げながら、それを見せる。 「俺はこれを誇りに思っている。そして俺の食事は・・・。」 先生はのそりと起き上がると、僕を壁に押し付けた。 先生の顔が、白い牙が近づいて来る。 再び僕の左耳に熱い息が漏れる。 「俺の食事は、人間の血液さ。」 どくんと、心臓が飛び上がる。 恐怖で竦んでしまい、目を堅く閉じた。 肩から熱を感じ、僕は覚悟を決めた。 ため息に似たような呼吸が僕の耳を支配していく。 しかし、一向に痛みが襲って来る様子はなかった。 不思議に思い恐る恐る目を開くと、直ぐそこに先生の顔がある。 その瞳はじっと僕を捉えている。 僕はただ、眼鏡の奥のその黒い瞳を見つめ返す事しか出来ない。 先生の瞳には僕が映り込んでいる。 動けなかった。 どの位の時間、僕は僕を見つめていただろうか? 突然にふっと顔を離される。 そして、楽しげな声が響いた。 「気が変わった!」

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