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第81話

カラカラ、カチャと音がした後、先生がドアの向こうから現れた。 僕は呆然と立ち尽くしたまま、その場から動けなくなっていた。 「聞こえてた?」 先生が僕に問いかける。 「・・・はい。」 僕はなんとか声を絞り出した。 いつ何処で狙われるか解らない刺客に怯えながら、再び過ごさなければならなくなった。 心臓がどくどくと時を刻んでゆく。 動こうと思っても、手足がカチコチに冷えて動けない。 呼吸が、徐々に短く浅く小さくなってゆく。 息が、出来ない。 先生の手が僕に触れる。 そこだけ暖かさが伝わってくる。 そうっと僕は引き寄せられて、先生に包まれた。 僕は突っ立ったまま、じっと動けない。 先生が僕の頭を撫でた。 「大丈夫。必ず君を守るから。命に代えても君を守るよ。」 僕は半分嬉しくて、半分悲しくなった。 全身に緊張が走った。 「嫌です。」 僕は言った。 声が震えていた。 「死ぬのは怖い。でも、先生が死ぬのも怖い。だから嫌です。」 この人は、既に2度も禁忌に手を染めている。 先生のその言葉が本物だからこそ、僕は怖くて仕方がなかった。 気持ちは嬉しいけれど、素直に喜ぶ事ができない。 先生を失うのが怖かった。 僕のせいで、先生を失いたくない。 怖い。 嫌だ。 さっき先生は、僕とずっと一緒に居るって、自分で言ったばかりじゃないか。 死んだら、絶対、許さない。 「死んだら許さない。先生が死んだら僕は許さない。絶対許さない。絶対許さない。絶対。」 僕は少しづつ自分の体に熱が戻ってくるのを感じた。 僕は先生の白衣をぐしゃぐしゃに握り締めた。 怒りの感情が僕に熱を与えてゆく。 「絶対許さない。絶対許さない。先生が死んだら、僕は絶対に、絶対に。」 言いながら、僕の目頭は熱くなってくる。 体がどんどん熱を放出してゆく。 「許さない。許さない。先生がっ、死んだらっ、僕は、僕はっ、絶対にっ絶対にっ、ゆ、許さ、ない。ゆる、さないっ。」 僕は固く白衣を握り締めた。 僕の中から、どんどん溢れて止まらない。 「死んだら、っ、死んじゃ、いやだぁ・・・。」 僕は顔を先生に押し付けたまま、白衣を固く握って離さなかった。 いや、離せなかった。 離したら、この人は、僕の知らない間に消えちゃいそうで怖かった。 今、僕が一番怖いことは、自分が死ぬことじゃない。 先生が僕の前から、消えちゃうことだ。 いつの間にか、僕は先生に依存していた。 「大丈夫。大丈夫。そう簡単にくたばったりしないから。」 先生の手が僕の頭の上でぽんぽんと跳ねている。 僕は固く白衣を握りしめている。 「俺のこと、そんなに心配してくれるなんて嬉しいよ。でもね、俺は簡単に死なないから大丈夫。勝算のない賭けを俺がする訳無い事くらい、君が一番よく知っているだろう?」 先生が僕の頭を優しく撫でる。 「ね。だから安心しなさい。俺が俺の大切な人を置いて、何処かに行く訳ないだろう。そんな事したら、君が、ほら、泣いてしまう。」 まるで小さな子供を諭すように、僕に囁く。 優しい声音が、僕の耳にそっと流れてくる。 「泣かせることを解りながら君を一人置いて、俺が何処かに行く訳ないだろう。俺の大切な人を、俺がそんな風に泣かせたりする訳ないだろう。言葉の綾だよ。アヤ。」 先生は僕の頭をしきりに撫で付けて、言葉を続けている。 僕は未だ俯いたまま、その行為を受けていた。 温かくて、大きくて、少し骨ばったその手がゆるゆると僕の上を何度も流れる。 「悪かった。安心してもらおうと思って言ったんだが、君がそんなに動揺すると思わなかった。完全に俺の判断ミスだよ。済まなかった。謝るよ。」 先生は休むことなく、しきりに僕の頭を撫で付けた。 ゆっくり言い聞かされる先生の言葉が、僕の胸に流れ込んでくる。 とくんとくんと、僕の心臓と先生の心臓の音が混じり合ってゆく。 「ね。機嫌直して、俺の大切な人。何処にも行ったりしないから。死なせはしないし、死んだりしない。俺はずっと、君の側に居るから。」 僕は自分の腕が緩んで行くのを感じた。 少しづつ力が抜けていく。 僕の視界は先生の白衣で一杯で、僅かに瞳を閉じた。 ずっと一緒に居て欲しい。 ずっと。 先生の心臓の音が、僕の身体に響いてゆく。 僕の心臓もまた、先生の体の上で響き、ゆっくりと混じり合った。 それから、僕は先生を見上げる。 僕は何て言葉を発していいのかわからず、じっと先生を見つめるだけだった。 何処にもいかないで欲しい。 怖い。 先生の顔が降りてくる。 僕は瞼を閉じる。 唇に柔らかな感触を感じる。 僕の躰はもう、先生の柔らかさを覚えてしまっていた。 僕の中にすんなりと先生が入り込む。 熱く湿るそれは、僕をじんわりと満たしてゆく。 あまりに柔らかく、余計に僕は離れる事が出来なくなった。 離れてしまったら、目を開けてしまったら、先生が居なくなりそうで怖かった。 怖くて怖くて、息が詰まってゆく。 知ってか知らずか、先生が余計に僕の中に先生を押し込める。 苦しくて、甘くて。 僕は解けてゆく。 先生。 居なくならないで。 僕とずっと一緒に居て。 ずっと、ずっと一緒に居て。

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