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第86話
蹲っていた先生が立ち上がった。
そして立ち上がると、こちらに向かって歩いてくる。
「先生駄目っ。僕は今、自分の事をコントロール出来ていない。だから、来ちゃ駄目だ。僕に触らないでっ。」
僕は更に後退った。
机に体をぶつけてしまい、ガタガタと音を立てる。
「僕の為にも来ないでっ。僕はあなたを噛みたくないっ。」
僕は尚も、周りの椅子にぶつかりながら後退する。
それなのに、先生は相変わらずこちらに向かって歩いてくる。
遂に壁に突き当たってしまい、僕はそれ以上逃げられなくなってしまった。
僕はそれでもなんとか逃げようと、身を縮める。
噛みたく無いから、傷つけたく無いから、こっちに来ちゃ駄目なのに。
先生が上から覆い被さるようにして、僕の目の前に座った。
それから先生は、僕の顎を捻ると顔を近づけてけてくる。
「・・・っ。」
僕から力が抜けていく。
僕はいつでも先生に溶かされていく。
暫くしてから、ゆっくりと先生の顔が遠のくと、彼は言った。
「少し、輸血しようか。」
「輸血?」
「うん。準備するから、ベッドで横になって。」
先生は僕をじっと見つめながら、僕を促した。
僕は理由がよく解らなかったけれど、こくりと頷きベッドによじ登る。
先生が奥からいつもの医療器具を取り出してくる。
だけど、いつもより量が多い。
何に使うのか見ていると、先生は自分の腕に注射を打ち血液を抜き始めた。
それから僕の腕にも注射針を通し、僕の血を抜いていく。
「僕の血を抜いてどうするんですか?」
「どうしたい?」
「え?」
「捨てるのと、俺に輸血し直すのと、選んでいいよ。」
「ええ?」
どういう事なのかよく解らなくて、僕は答えに詰まった。
僕が答えられずにいる間にも、着々と準備は進み、先生の血と僕の血も抜き終わり、僕の体には純粋な先生の血液が輸血されはじめる。
僕から抜かれた血は、行き場が定まらずブラブラと宙に浮いている。
「先生、質問いいですか?」
「どうぞ。」
「今僕の体に流れている血って先生の血なんですか?それとも、あんの血が混じった血なんですか?」
先生は暫く口籠もった。
それから、こちらを見る。
「正直、俺にもそれは解らないんだ。あんくんの血液を無効化出来たのは確かだよ。もう毒は無い。だから、今までのような輸血の必要は無いんだが、無効化されたあんくんの血液は君の体の中で共存し続けるのか、それとも淘汰されて消えていくのかは、まだ、研究がそこまで及んでいないんだ。」
どうしよう。
僕はどちらを選べば良いのだろう。
僕にはそう簡単に選べなかった。
僕から抜かれた血は、紛れもなく先生から譲ってもらった血だ。
だけど、あんの血が混じってしまった。
僕は先生の血を大切にしたい。
いや、とても大切だ。
捨てるなんて出来ない。
かといって、あんの血が混じった先生の血を、先生に輸血し直すなんて、純粋な先生を汚してしまうような気がして出来る訳がない。
というか、そもそも何故今、僕は輸血しているんだろう。
僕の体から毒が消えて健康になったのなら、そんな必要無いはずだ。
僕は聞いた。
「先生、そもそも何で輸血してるんですか?僕はもう、その必要無いですよね?」
すると先生は微笑む。
柔らかな唇がゆっくりと動いた。
「君が俺の血を欲しがったからだよ。欲しいなら、俺は君に与えるだけさ。」
そして、先生の唇が僕の頬に触れた。
僕は、先生を享受する。
鮮やかな赤に染まる鮮血が、無機質なチューブを通り、僕の躰に注がれてゆく。
ゆっくりと。
僕は自分の手首を眺めた。
どういう訳か、気持ちが落ち着いてくる。
気付くと、僕は深い溜息を漏らしていた。
鮮やかに染まった先生が、僕の中に入ってくる。
瞼が震え、僕はその光景に魅入った。
全身に痺れてゆく感覚が、手首から伝えられてゆく。
僕の心臓が、喜びの悲鳴をあげ続けている。
僕は深く深く息を吐きながら、自分の手首をじっと眺め続けた。
僕の躰に先生が巡ってゆく。
僕の体の隅々まで、先生が。
僕は緩んだ口を締めることができなかった。
僕は紅い先生を見詰め続ける。
口の端から、つうと一筋涎が垂れてゆく。
白い先生がそれを見兼ねて、僕の唇をちゅるりと舐めとっていった。
目の前が真っ白になった。
僕の下腹部に、ねっとりと液体が伝った。
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