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第89話
僕は約束通り、前坂橋駅の北口に来ていた。
時刻は丁度、午前9時。
バスは27分発なので、まだ時間に余裕があった。
僕は右手にスマホを持ちながら、周囲をキョロキョロと見回す。
そろそろ皆が着いてもいい頃だ。
平日だから空いていると思っていたのに、夏休み始まって間も無くのせいか、意外と人で込み入っている。
お年寄りから、家族連れまで年齢層は様々だったが、やはり学生が多いようで、あちこちでグループと思しき人集りが点在していた。
僕は若干背伸び気味に、再び周囲に目を凝らした。
出来れば、あんより早くみゆきを見つけたい。
スマホを握った右手に、じっとりと汗が滲む。
その右手から振動が伝わった。
僕は取り落としそうになりながら、スマホの画面を確認する。
みゆきからだ。
『黙っててごめーん!私は行かないから今日は2人でデート楽しんできてね!じゃまたねー!』
「は?!」
みゆきのメッセージを確認し、僕は青くなる。
またねー!じゃない。
どういう事だ。
僕は慌ててリーネの通話ボタンをタップする。
数回の呼び出し音の後、みゆきが応答した。
「来ないってどういうことだよっ!」
開口一番、僕は周囲に人が居るのも忘れて声を張り上げる。
みゆきが来ないんじゃ、僕は敵陣にノコノコ丸腰で現れた、ただの鴨じゃないか。
そんな僕にみゆきは笑って受け答える。
「おはよ!デートの邪魔しちゃ悪いと思って前々から仕込んでたの。黙っててごめんね。でも楽しんできてね。」
みゆきの気遣いは嬉しいけれど、今の僕には余計なお世話に他ならない。
どうしよう。
今からでも遅くない。
あんに鉢合わせる前に帰らなければ。
「わかった、じゃ、僕帰るから。また部活で。」
僕がそう言うと、みゆきは慌てだした。
でも、僕にとってはみゆきのご機嫌取りより、自分の命を優先しなければならない。
でないと、確実に命を取られる。
気づくと僕は冷や汗をかいていた。
手に持っていたスマホが、僕の手がじっとりと湿っている事を伝えてくる。
僕はスマホから耳を離し、画面を確認して赤い通話ボタンをタップしようとした。
が。
その瞬間、僕の手から忽然とスマホが消えた。
刹那、スマホを誰かに掠め取られた事に気づく。
僕の左脇から、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「もしもし、みゆきさん?あんです。はい。王子くんと合流できました。はい。はい、お気遣いありがとう御座いました。はい、でも今度は是非3人で遊びましょうね。はい、はい、王子くんに変わりますね。」
突然現れたあんは、滑らかにみゆきとのやり取りを済ませると、僕のスマホを突き返してくる。
僕は緊張しながらそれを受け取った。
全身の血管が収縮してゆく。
「王子ごめんね。この埋め合わせは必ずするから。でもさ、折角デートなんだし機嫌直して楽しんできてよ。ね。」
「えっ、あ、う、ん。わかった。えっと、またね。」
緊張して、僕の声は上擦っていた。
それに気づく風でもなく、相変わらず耳には元気なみゆきの声が届いた。
「うん。またね!近いうちに先輩がカラオケの予定組むはずだから、また遊ぼうね!じゃあね!」
みゆきはそう言うと、通話を切った。
うそだろ。
うそだろ。
どうする、どうやって逃げ・・・。
「王子、行くわよ。」
僕はあんに左腕をがっちり絡められて逃げる隙を失った。
振り払えないこともないか?と、ぐるぐる頭をかき回して居ると、あんの女性らしくも低い声が再び僕に這い寄ってくる。
「下手に動くと死ぬわよ。」
僕の左腕には注射針が突き付けられている。
その中にはどす黒い、・・・きっとあんの血が入っているのが見えた。
僕はあんに誘導されるように、フラフラと足を進める。
駅を離れ、大通りを僕はあんと並んで歩かされていった。
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