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第90話
僕は腕に注射針を突き付けられたまま、大通りを歩いて行く。
道中、沢山の人にすれ違ったのに、誰一人として僕を助けようとしてくれる人は居なかった。
きっと側からみれば、僕はあんに腕を絡められ、イチャついているカップルにしか見えていない。
あんは僕に頬を擦り寄せ、体重を掛けながら僕を誘導した。
「目的は何。」
僕は酷く冷静にあんに問い掛けた。
こうなってしまえば、相手の目的を知り逃げる手立てを考える他、道は無い。
あんは答えた。
「決まってるじゃない。私を匿い助けなさい。」
当たり前に返してくる彼女の答えに僕は困惑する。
匿って助ける?
僕を殺そうとしてた癖に、僕に助けろと言うの?
「助けを求める相手を間違ってませんか。」
僕は冷徹に答えた。
僕にはあんを助ける義理は無い。
確かに学校で一緒にいた時間は楽しかった。
だけど、僕を裏切ったのはあんだ。
僕は恨みこそすれ、同情する余地は無い。
「あなた本当に馬鹿なのね。同じ奴隷なのだから、私を助けるのは当然でしょう?それとも、太宰教諭の秘密を元老院でバラされたいの?そんな事したらあの人殺されるわよ。」
「そんな事させない。」
僕は体が熱くなるのを感じた。
先生を殺させたりしない。
絶対に。
「それはどうかしらね?私が捕まって、喋って仕舞えば、教諭は殺されるわ。私とあなたは同じく奴隷となったのだから、仲良く致しましょう?」
さっきから、あんの言っている事に解らない事がある。
奴隷って何のことだ?
「僕は奴隷なんかじゃないけど。何言ってるの?」
すると、あんはふはっと吹き出した。
「あなた、自分が奴隷になった事にも気づいてないの?飛んだ御花畑坊やなのね。太宰教諭も罪なお方だこと。」
あんはクスクス笑いながら歩を進める。
僕には言ってる事の意味が解らない。
「いいわ。お勉強が苦手なあなたに、私が教えて差し上げましょう。私が元老院で捕まっている間、私は誰にもあなたに血液を投与した事を喋ってないわ。当然、あなたは死んだというニュースが入ってくると思っていて、私が喋らずとも明らかにされると思っていたもの。」
あんは続ける。
「だけど、確かな情報筋によれば、あなたはピンピンしてるというじゃない。有り得ないわ。だから私は直ぐに気づいたのよ。」
あんは楽しそうに喋りながら、僕の腕を強く抱き締め直してくる。
もちろん、注射針を突きつける事は忘れない。
「吸血鬼の血液の毒を消す方法は、あなたも既に知っている血の盟約の他に、もう一つ方法があるのよ。」
「もう一つ?」
僕は思わず聞き返した。
自分に注射が突きつけられている事も忘れて、泡や刺さりそうになる。
「気をつけなさいっ。あなた死にたいの?」
あんは呆れて一声かけると、続けた。
「その方法というのが、誰かの奴隷になることよ。」
あんは楽しそうに、囀った。
「あなた、太宰教諭の奴隷なのよ。生き残った代償が奴隷だなんてお気の毒様。だけど、私には好都合だわ。」
クスクスと笑いながらあんは続けた。
「解ったら、今直ぐ太宰教諭に電話して呼び出しなさい。元々あなたを呼びつけたのは、それが目的よ。あなたじゃ話にならない事くらい分かってるもの。さぁ、電話して。」
あんは僕をギロリと睨みつけた。
僕はそんなあんを、何故か可哀想に思ってしまった。
僕を殺すと脅し、注射を突き付けているのに、僕が誤って刺さりそうになると注意までするのだ。
おまけに、奴隷だとか何だとか、訳の解らない事まで口走っている。
虚勢を張って、懸命に僕を意のままに操ろうと必死になってる、小さな女の子にしか見えなかった。
僕はあんに確認した。
「先生に電話したら、あんは、先生が禁忌を犯した事、元老院にチクらないでくれるの?」
「チクる?告発って言って頂戴。そうね、私を庇い匿い、元老院から逃がしてくれれば告発しないであげるわ。でも捕まれば全部話すわよ。」
僕は仕方なく先生に電話をかける。
数回の呼び出し音の後、先生が応答する。
「はい、太宰です。王子?どうした?」
いつもの先生の声だった。
「もしもし、先生。突然ですが仕事は何時に終わりますか?」
僕が言い終わると、すかさずあんに小突かれる。
そして、スマホをとられた。
「あっ、ちょっと!」
「こんにちは、お久しぶりです。坂口安子です。今、王子君と一緒です。今直ぐ前坂橋駅前東公園まで迎えに来なさい。さもないと、王子君の命はないわ。じゃ。」
「ちょっと!」
僕はあんからスマホを引っ手繰ると、既に通話が切れた後だった。
横から罵声が飛んでくる。
「あなた馬鹿じゃないの?!何処の世界に、人質が助けを求める相手の都合を伺う奴がいるのよ!ほんと呆れるわ。」
僕はあんに引き摺られるようにして、公園まで連れていかれた。
もちろん、周りの人にはイチャつくカップルに見えるような振る舞いで。
なにこれ。
新手のドッキリですか。
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