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第92話

あまりにあんの横顔に視線を注ぎ込んだせいか、僕は再び煙攻撃をまともに受けた。 僕は勢いよく噎せこむ。 煙が目にしみる。 「けほっ、けっ、ほっ、あん、煙はやめて。けほっ。」 「辞めて下さい。でしょう?」 「辞めて下さい。けほっ、けほっ。」 あんは薄ら笑いを浮かべて、再び向こうに煙を吐き出した。 その仕草は如何にも色っぽい。 けれど情緒的というには、あんの容姿は幼すぎて不釣り合いだった。 僕は再び咥え直そうとする、あんの邪魔をした。 あんの左手をそっと取り、両手で包んで下に降ろす。 「なに?」 あんが不機嫌に僕を問い詰める。 「ごめん、だけど君には似合わないよ。あんは、煙草を吸ってない時の方が美しい。」 僕はそっと、あんから煙草を奪い取る。 あんは溜息をつくと、携帯灰皿を取り出して、僕に煙草を押し付けるよう促した。 「生意気。」 あんはそれだけ言うと、自分のバッグに仕舞い込む。 それから再び僕の腕に絡みついた。 さっきと少しだけ違うのは、注射器を突き付けてくる代わりに、僕の肩に自分の頭を押し付けていた。 僕はあんの頭をそっと撫でてやる。 「何故私を振ったのよ。」 あんが、ぽそりと呟いた。 「ごめん。好きな人、出来たんだ。」 あんは暫く沈黙する。 「あなた、本当に奴隷じゃないの?」 「だから、奴隷って何?」 「・・・納得いかないから、教えないわ。」 僕の腕に力を込めるように、あんは自分の腕を絡ませ直してくる。 そして、ぐっと僕に体重を預けてきた。 さっきまでの気迫はいつの間にか鳴りを潜めて、急に甘えて塩らしくなってしまった。 僕は複雑な気分であんの体重を支えた。 僕がまだ彼氏だったら、もっとしっかり支えてあげる事が出来たのかもしれない。 もう僕の心はあんには無いのだ。 僕の心は・・・、 「大丈夫かっ!!」 「先生っ!」 先生が血相を変えて僕の所まで飛んできた。 一体どれだけ慌てて、どれだけ急いで、僕を助けに来てくれたのだろう。 髪は乱れて、俯いて膝で体を支えている先生の顎から、ポタポタと雫が滴り落ちている。 僕は嬉しさと申し訳なさで、心が一杯になった。 「大丈夫です。この通りピンピンしてます。心配かけてすみません。」 「そうか、無事で良かった。」 そう言うと、先生は心底ホッとしたような安心したような表情を僕に浮かべた。 それから隣のあんに向き直ると厳しい口調で問い詰めた。 「君の目的は何だ。俺が来たからには王子を解放しろ。」 あんは僅かに向き直り、先生と対峙する。 「嫌ね、狼みたいに噛み付かないで頂戴。でもそうね、私を元老院から庇い匿って下されば、先程までの無礼、許してあげないこともないわ。」 「ふざけるな。君は人の命を何だと思っているんだ、即刻引き渡すつもりだから、覚悟を決めておきなさい。」 あんは僕の腕に絡みついたまま、クスクスと笑っている。 それから、僕の肩に頬を擦り寄せてくる。 「ねぇ?こんな事言ってるわよ?あなたはどうしたいの?」 僕の体にベタベタ纏わり付きながら、あんは怪しく喋った。 先生が僕の方に向き直る。 酷く緊張しているように見えた。 物問いたげな視線を僕に向けている。 僕は重い口を開いた。 「先生。・・・あんに従いましょう。」 あんの高笑いが耳元をつん裂く。 先生は、呆気にとられて僕を見下ろした。 「なっ、何を言ってるのか解ってるのか?!脅されてるんだろう。何されたんだ。だからそんな事を・・・。」 途中まで言いかけて、先生は口を噤んだ。 「まさか、本気で思ってるなんて言わないね?」 明らかな動揺を隠しきれず、先生は僕に問い掛ける。 僕はゆっくり頷いた。 「先生、場所を移しましょう。ここで話すにはお互いリスクが高過ぎます。」 先生は短く息を吐き切ると、僕らを車に乗るよう促した。 先生ごめんなさい。 きちんと説明するから、誤解しないで。 もう少しだけ待って・・・。

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