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第93話
僕らは先生の車に乗り込んだ。
先生は運転席に座り、僕はいつもの助手席ではなく、後部座席に座った。
あんと共に。
誰もが口を閉ざし、無言でシートベルトを締めた。
重苦しい空気が車内に漂う。
カチっと音がして車にエンジンがかかり、ゆっくりと進行を開始した。
僕の隣では、あんだけが楽しそうにクスクスと笑い未だに僕の腕を絡め取っては離そうとしなかった。
僕らの沈黙を、あんは容易く破り話し始める。
「それで?私を何処に匿ってくださるのかしらね。」
次いで先生も沈黙を破った。
「それはどうかな。君の条件次第だろう。」
先生はフロントガラスに視線を向けたまま、僕らに言葉を投げる。
その言葉には怒りの感情が見て取れた。
「あなたも大概、物分かりが悪いのね。私が現れたって事は、理由はもうあなたなら解っているでしょう?」
僕はバックミラー越しに先生の顔を覗き込んだ。
眉間には深い皺が刻まれている。
「・・・奴隷か。」
暫くの沈黙の後、先生があんと同じ事を言った。
僕には何のことかさっぱり解らないままだ。
「そうよ。もう、解ったでしょう?私を庇い匿なさい。さもなくば、元老院に捕まった暁には、全てを打ち明けるわ。」
すると、今度は先生が笑った。
「いいさ。幾らでも暴くといい。証拠はあるのか?無いだろう。ははっ。」
先生がハンドルを切り、左折した。
僕らは僅かに体が傾く。
「なによっ!私が証言すればあなたは死刑よ!それでもいいの?」
「君の求刑に俺を巻き込むな。元老院は俺を裁けない。なんたって証拠も確証も無いんだからな。元老院は俺を起訴することさえ出来やしないさ。」
あんは押し黙った。
ギリギリと僕の腕を締め上げてくるきり、なにも言葉にしなかった。
先生は続ける。
「そうか、君は奴隷だったか。気の毒だとは思うが、生憎俺には君に同情する余地は無い。それに、奴隷であるという証拠が無いのは、君自身が一番良く知っているんじゃ無いのか?」
先生は続ける。
「一体誰の奴隷なんだ。事と次第によっては、君に命令した奴を裁く事も可能になるだろう。まぁ、元老院の見立てでは中原が主人なんだろうな。あいつのやりそうな事だよ、まったく。」
気づくと、僕にくっついていたあんは震えていた。
気丈にも窓の外を睨みつけてはいたけれど、僕に絡みついた腕からは、僅かな振動と冷えた体温が伝えられる。
あんは、中原の命令で動いていたのか。
しかも奴隷として。
自分の意思ではなく、手を染めるあんに居た堪れなさを感じ始めていた。
中原はだいぶ前から消息不明だとカラスが言っていた。
きっとあんは自分の意思で、僕に助けを求めに来たのだろう。
あんが僕に手を掛けたのは確かだけど、最も悪いのはあんではなかった。
僕は運転席を、振り返る。
そして、口を開きかけた時、見慣れた光景が僕の目に飛び込んで来た。
「あれ、ここって・・・。」
僕が言いかけると、先生が口を開いた。
「着いたよ。俺の家だ。降りなさい。」
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