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第95話

ダイニングテーブルのある椅子にあんを座らせて、僕はその横に立ち彼女の頭を撫でていた。 先生は向こうのキッチンでお湯を沸かしている。 暫くして、三人分の飲み物を持って、先生がこちらに向かって来た。 あんの目の前にマグカップが置かれる。 「悪いね。今日は麦茶を準備してなくて。」 甘い香りが漂ってくる。 恐らくは、これはココアなのだろう。 先生がテレビの前まで行くとリモコンを手に取りエアコンをつけた。 あんがカップを手に取り一口啜る。 僕も自分に渡されたカップを手に取ると、口に運んでみる。 思った通り、じんわりと口の中で甘さが広がった。 真夏だと言うのに、熱いココアを飲むのは不思議な気分だった。 だけど、先生が入れてくれたココアはやっぱり甘くて美味しい。 先生は戻って来て、あんと向かい合わせに椅子に座った。 僕は立ったまま、あんの頭を撫で続けた。 先生が自分の飲み物に一口、口を付けると話し始める。 「それで。少しは落ち着いたの?」 先生は相変わらず、あんに対しては威圧的で冷徹だった。 「・・・狡いわ。」 あんはぽそりと喋り始めた。 「奴隷の癖に、何でこんなに大切にされてるのよ。狡いわ。おかしいわ。こんなの・・・。」 僕はさっきから気になっていた疑問を先生に投げた。 「先生、奴隷って何ですか?僕、奴隷なんですか?」 先生はテーブルの上に肘をついて顔の前で両手を組んだ。 「いや・・・、いや、そんな事は重要じゃ無いよ。俺は君が大切だから。この件はまた後で話そう。二人きりで話したい。」 「・・・はい。」 僕は何だか煮え切らない思いだったけど、先生に従った。 先生は続ける。 「あんくん。君はどうしたいんだ。匿って欲しいんじゃ無かったのか。」 するとあんは、啜り声をあげ始める。 「もういいのよ。私は所詮奴隷だわ。大切になんて扱われないわ。」 僕には未だに理解出来なかった。 吸血鬼界で言う奴隷とは何のことだろう。 果たして僕はあんの言う通り奴隷なのだろうか? だとしたら、僕は先生に大切にされているから、腑に落ちない。 仮にもし、僕が奴隷だったとしたら、同じく奴隷であるあんが酷い仕打ちを受けるのは理解できない。 あまりに状況が違い過ぎる。 「ねぇ、あん。君の主人は中原老中なんだろう?所在を知らないの?早く元老院に突き出して真実を語らせなきゃ。あんに酷い事をする奴を野放しにしてたまるか。」 あんは押し黙ったままだ。 「あん、中原を捕まえよう。だから教えて欲しい。」 僕があんの肩を揺すると、先生が止めに入った。 そして首を振る。 「奴隷はね、主人が誰かを言えないんだよ。大抵、言えない様に言い付けられている。だから答えることが出来ないんだ。」 「どう言うことですか?」 「主人の言葉は絶対だ。もはや呪いに等しいよ。奴隷はね、主人の命令には自分の意思を剥奪された状態にされるんだよ。だから主人には逆らえない。主人が誰かも言えないから、主人が罰せられることもない。」 「なに、それ。そんなの人権侵害じゃないですか。」 「そうだよ。だから禁忌にされたんだ。昔はもっと大勢居たんだよ。」 あんを見ると、俯いたまま、涙をポロポロ流している。 「もういいのよ。私が王子君に手を掛けた事実は変わらないわ。変えられないわ。元老院に突き出しなさい。もう大分長いこと生きたもの、十分よ。早く楽にして頂戴。」 「わかった。君が望むなら今から連絡しよう。」 先生が承諾して、自分のスマホを手に取った。 えっ、何してるの、先生? 僕は慌ててスマホを奪い取った。 「何してるんですかっ!僕らがあんを守らないで、誰が守ってくれるんですか?元老院に突き出すだなんて何考えてるんですか?今の話が本当なら、あんは悪くないじゃないか!このまま突き出したりなんかしたら、中原の思う壺だ!」 先生は僕を静かな視線で舐めるように見つめてくる。 「なっ、んですか。」 「こんな事俺も言いたくないが、あんを俺たちに寄越したのも中原かもしれないんだぞ。同情を誘うように言い付けられて隙を見計らって暗殺するよう命令されてたら、どうする。」 「えっ・・・。」 「奴隷に人権が無いのは、そういう事なんだよ。奴隷の言うこと、やる事は、主人の命なのか、自分の意思なのか、他人からは判断出来ない。だから誰も奴隷の話を聞かない。」 先生は続ける。 「例えばあんくんが真実を元老院で証言出来たとしよう。奴隷であるという証拠もなければ、奴隷でないという証拠も無い。だけど、彼女が自分は奴隷だと証言してしまえば、余計に誰も彼女の意見は取り合わないだろう。事実に基づき、処罰されるだけさ。」 「そんな・・・。」 「だから奴隷という呼称が付いたんだ。」

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