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第96話

僕は途方に暮れていた。 あんは本当に助けを求めているのかもしれない。 だけれどそれも、全て中原の命令で動いて居たとしたら? 僕には判断出来なかった。 「さっきは済まなかった。だから俺はあんの体内も探ろうとしたんだ。主人の命令で何が仕込まれてるかも解らないからね。」 先生が淡々とした口調で語った。 「どうする?」 僕はなんて答えていいか解らなかった。 あんが嘘をついていなかったら、本当に助けを求めていたとしたら、突き出せば酷な事をしたことになる。 でも、罠だったら? 先生に迷惑を掛けるどころか命の危険に晒してしまう。 先生は再び溜息をついた。 「仕方ない。俺が決めるよ。あんくんは暫く俺のうちに住みなさい。いいね?」 「えっ。」 僕は先生を見つめた。 先生は苦々しげに笑う。 「このまま、元老院に引き渡しても後味が悪いだけだろう?罠かもしれないが、それならそれで、どんな罠か探るのもいいだろう。殺された時はゲームオーバーだかな。」 あんは再びポロポロ泣きだした。 「あなた達二人揃って、とんだお人好しでお馬鹿さんなのね。呆れるわ。」 僕はあんの頭を撫でてやる。 それから良かったね、と声をかけた。 だけど、僕は本当にそれでいいのか悩んでいた。 もしそれで先生が殺されてしまったら、僕が殺されたら、先生の為にも僕の為にも、あんの為にもならないのだ。 あんだって、好きで人を殺めようとしている訳じゃないんだから。 「王子、今日の予定は空いてるのか?」 先生は椅子から立ち上がると身支度を始めた。 「えっ、はい、1日空いてますけど。」 「悪いが俺は学校に戻る。仕事を抜けてきたからな。あんを頼むぞ。4時には帰る。」 「あっ、はい。迷惑かけてすみません。解りました、留守番してます。行ってらっしゃい。」 先生は僕に微笑むと、僕の頭をくしゃくしゃと撫でた。 僕は両手を伸ばしかけたけど、すぐにそれを引っ込める。 隣ではあんが見てるのだ。 あんは僕らが恋人同士である事を知らない筈・・・だ。 それなら、中原の事もあるし知られない方がいい。 先生は玄関に向かうと、靴を履いて出て行ってしまった。 カチャリと鍵のかかる音がする。 それから、しんと静かになった。 僕とあんは、先生の家で二人きり、留守番をする。 「ココア、飲むといいよ。落ち着くから。」 僕はあんの頭を撫でながら、口にするよう勧めた。 あんは黙ってカップを手に取り、コクコクと飲んでゆく。 ゆっくりと飲み干すと、小さく息をついた。 僕は向こうへ行くとテレビをつけた。 無音という緊張をどうにか打ち破りたかった。 それから、あんからカップを受け取ると、三人分の食器を洗い、棚に戻した。 棚には相変わらず、前回見たのと同じ位置に同じように二枚のソーサーの上に金の縁取りのされた青いティーカップが佇んでいる。 僕は空いているところに洗い上げたカップを押し込めると扉を閉めた。 あんの方を振り返ると、相変わらずじっとテーブルを見つめたまま固まっている。 僕はあんの頭をひと撫ですると、向こうのソファに座った。 ただのアパートなのに、先生の家だというだけで、不思議な安心感がある。 僕は目を閉じる。 ソファに座ると、あの日の事が思い出される。 あの日、僕は先生と、一緒に。 気恥ずかしく、擽ったく、焦ったく、甘く、僕は気付けば反芻していた。 僕を大切にしてくれる。 今日だって、本当は忙しかった筈なのに、僕を助けに来てくれた。 今頃先生は学校に着いて、仕事に戻っているのだろうか? 大丈夫だろうか? 僕はゆっくりと息を吐き出した。 満たされてゆく。先生に。 さっき出て行ったばかりなのに、早く帰ってこないかな、なんて考えてしまう。 先生に、触れたい。 僕の中に流れる先生の血が、僕を上気させてゆく。 早く、会いたいな。 甘苦しい胸を抑えると、僕は目を開けた。 「隣、いいかしら。」 見上げると、僕の側にあんが立っている。 「どうぞ。」 僕は右に詰めて、あんの座る場所を空ける。 あんは、ふわりとスカートを浮かせて僕の隣に座った。 それから、僕の左腕に自分の腕を絡め、僕に体重を預けてくる。 僕は、空いてる右手であんの頭を撫で付けた。 「落ち着いた?」 僕は問いかける。 あんは小さく頷いた。 あんは200歳を超えていると言っていた。 だけど僕の隣に座っている女の子は、僕より歳下に思えて仕方ない。 僕はあんの腕を振り払う事が出来なくて、あんの好きなようにさせた。 頭を撫でると、さらさらの髪が僕の指の間を流れてゆく。 先生が僕の頭を撫でる時、こんな気持ちで撫でているのかな。 可愛いとか、守りたいとか、そんな風に思われてるのかな。 そこに、愛しいが加わってくれてるといいな、なんて。 僕は先生に、こうしている間にも燻られてゆく。

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