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第104話
太宰先生が学校の生徒にそんなに人気があったなんて、ちっとも知らなかった。
何しろ保健室に行っても、大抵生徒は居ないのだ。
人気があるなら、もっと押しかけてきてもいいんじゃ無いだろうか?
いや、それとも皆遠慮しているのか・・・。
アンが口を開く。
「兎に角、ライバルは多いわよ。全校生徒に狙われてるって思っておくのが一番ね。」
ゆったりとソファに体を埋めながらアンが呟いた。
それから伸びをする。
「何故私が長寿なのか、解る?」
「人間の血を啜ってるからでしょう?」
僕は大して気にもかけずに質問に答える。
人間の血を啜ると寿命が伸びるというのは、一番最初に先生に教えられたことだ。
最初は長寿の意味を少し間違えていたのは確かだったけれど、今は元老院の老中の年齢も知っているし、どれだけ生きるのかは、割と的確に把握しているつもりだ。
「正解だけど、模範解答ではないわね。」
アンが、婀娜っぽく溜息を吐きながら、こちらを横目で眺めている。
そして、ゆっくりとアンの体が僕に近づき、僕の上に影を作った。
僕は上手く逃げる事が敵わず、後ろ手に両手を床に強く着いた。
ゆるゆると、僕の肩にアンの艶っぽい黒髪が枝垂れてくる。
濡れたような黒い睫毛で僕を見下ろすアンの紅い唇は、白い肌にそこだけ浮いたように、やけに艶かしく映る。
やがて、アンの顔が僕の肩口まで降りてくると、僕の首筋に湿っぽい空気が纏わり付き、そこだけ時間が止まったような気がした。
情欲的な吐息と共に、官能的な声が僕の耳に纏わり付く。
アンがゆっくりと言葉を発する。
「吸血鬼が長寿なのはね・・・、人間を惑わす力があるからよ。」
アンが言葉を発するために唇を動かすと、静かな水音が僕の耳の裏側にまで入り込んだ。
首筋から背筋にかけてゾクゾクと震え、全身が痺れて動けない。
「長寿な吸血鬼はね、それなりに磨かれたテクニックを会得しているわ。他人の血を吸うのだもの、相手を虜にして、警戒心を脱がせ心を裸にさせる必要があるの。醜い吸血鬼は、血を一度も啜れずに死んでいくわ。美しくなければ生き残れない。つまり、年齢は美しさの指標なのよ。」
アンは、彼女の息遣いが肌から伝わる位置から、尚も音葉を繋げる。
「太宰くんも、見目麗しい美しさを持って生まれる事の出来る由緒正しい血筋の出生である事は間違いないわよ。惑わす力も強い筈。そうでなければ、とっくにおじいさんになっている筈よ。」
アンが口を閉じる。
その僅かな動きすらも空気を伝って感じ取れる位置から、ようやくアンの顔が離されていった。
僕はいつの間にか、呼吸を荒くさせ、大きく胸を上下に波打たせている。
アンの白い指が、僕の頬から顎にかけてゆったりと流れてゆく。
「あなたも、まぁまぁ素材は悪くはない方だからこれからが勝負よ。男性の場合は美しさも必要だけれど、内面から滲み出る男らしさや包容力が決め手になったりするわ。生き残りたければ自分を磨きなさい。」
アンの指が解かれると、彼女は柔らかく笑った。
「太宰くんに選ばれたんだもの。気を引き締めなさいね。」
彼女は小鳥のようにクスクスと笑うと、僕から離れ、もとのソファまで戻り体を沈めた。
それから、再び僕のシャーペンを手に取り、レポートパッドに向かい合い始める。
僕は、未だにその場から動けずに尻餅をついたままの体制で、楽しそうに微笑むアンの横顔を見つめる事しか出来なかった。
思わぬ所で、吸血鬼の力を目の当たりにしてしまった。
同じ吸血鬼である筈の僕ですら、息を呑むほどの妖艶さを醸し出すアンに身動きを許されなかった。
これが人間だったら、記憶を保っては居られないだろう。
未だ16歳の容姿を保つアンが、更に年齢を重ねたらと思うと空恐ろしくなる。
そして、僕は先生の事を考えた。
先生も今のアンの様に、人間を惑わし生き血を啜って生きてきたのだろうか。
一度だけトイレでその力を僕に使った事を思い出した。
呼吸が乱れ、僕は立って居られなかった。
あんな風に、いつも誰かに顔を近づけて、肩に口づけし、舐め、血を・・・。
僕は身体中の血液が沸き立つのを感じた。
考えなければ良かったと後悔しても、もう遅かった。
嫉妬とも、妬みとも、悲しみとも取れない感情が僕の中に渦巻いた。
向こうでアンが呟くのが聞こえた。
「それにしても、太宰くんは吸血鬼の知識をあなたに何にも教えてないのね。何故なのかしら。」
アンは僅かに首を傾げると、再び執筆活動に専念した。
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