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第105話
僕は古本屋の店内の漫画コーナーで背表紙を睨みつけていた。
左右にズラリと伸びた棚に、単行本が所狭しと並んでいる。
何を買って帰れば良いだろうか?
散々悩んだ挙句、東京屍食鬼を数冊と、大人買いコーナーにあるコロ先生をカウンターに持ちだす。
僕は、アンから手渡された諭吉様を定員さんに手渡し、お釣りを貰い会計を済ませる。
西日が酷く強く、僕を照らして長い影がずっと向こうまで伸びて行く。
重い漫画を担いで店内を出ると、黒いプリウスに向かって運び入れ、車に乗り込んだ。
今日も暑い日曜日だった。
額にじんわりと汗が滲む。
僕は自分の鞄からメモを取り出すと、読み上げがてら先生に告げた。
「あとは薬局で、化粧水と乳液、ノンシリコンシャンプー&リンスのセットと洗顔料、歯ブラシとカミソリ、ピンセット、手鏡、ボディソープにボディクリーム、UVケア用品だそうです。」
読みあげた後、僕は溜息をつく。
女の子ってお金のかかる生き物だなぁと思った。
運転席に座る先生も、決して口にはしなかったがげんなりとした表情を浮かべている。
アンが先生の家に居候し始めてから4日目。
殿様気分の姫君にほとほと疲れ切ってしまっていた。
今回の買い物も然り、元々先生の家に置いてあった備品では嫌だというので、急遽買い出しに出てくる羽目になったのだ。
恐らくは、炊事洗濯家事全般に至るまで、全てを先生一人にやらせているのであろうことが伺える。
それにしても、こんなにアンの荷物が増えてしまっては先生も困るだろう。
いくら、1LDKとはいえ、それは一人で住むには十分な広さを確保されているものの、2人で住むとなると手狭である。
おまけにアンの大量の私物を収納出来るほどの余裕がある訳でもなく、僕は先生を気の毒に思った。
この珍妙な共同生活はいつ迄続くのかと思うと先が思いやられてならない。
先生が車を発進して間も無く、僕の携帯が震える。
確認すると、フリーメールが届いている。
差出人はアンで、『リップクリームも追加宜しく。』と書かれていた。
アンは、僕に会う予定を組むと、その日のうちに携帯を解約したのだと教えてくれた。
無闇に振り回してGPSで足がついては困るからだと言っていた。
それから、脇に置いてあったバッグから一つの茶封筒を取り出すと、そこから諭吉様を一枚引き抜き僕に手渡したのだ。
アンのバッグの中身をこっそり覗き見ると、他にも沢山の茶封筒がギッチリと詰まっている。
僕は吃驚して、アンとバッグを交互に見比べてると、アンはお茶目に僕に教えてくれた。
700枚は入ってるわ、と。
何故そんな高額を持っているのかはあえて聞かず、僕は手渡された諭吉様とメモを受け取ると、黙ってそれを自分の財布に入れたのだった。
薬局に着くと、サクサクと指定の商品を籠に放り込み、再び会計を済ませると、先生の待つ助手席へと乗り込み、あんの待つ部屋へと向かった。
玄関を開けると、柑橘系のアロマの香りが僕の鼻を刺激する。
リビングテーブルには、いつの間に購入したのかディフューザーがふわふわと柔らかく煙を吐き出しており、その向こうではスモークピンクのマットの上で身体をしならせているアンの姿があった。
多分ヨガだと思う。
「お帰りなさい。いい香りでしょう?本当はローズが良かったのだけどあなた達の好みに合わないといけないと思って、初心者にも優しいグレープフルーツの香りにしておいてあげたのよ。私って優しいわね。」
僕は呆れて物が言えず、黙って荷を解いて、一つ一つを所定の位置に片付けていった。
漫画だけは何処に収納すればいいのか解らず、仕方なくテレビの前にどんと鎮座させる。
すると海老反りになっているアンから声がかかった。
「少年漫画を買ってきたの?BLTLラノベとか、レディコミはどうしたのよ?」
「そんなの買ってこれるわけないでしょう?僕はこれでも健全なDKなんですよ。そんな男子禁制の領域に入り込める訳ないでしょうが。」
「全く度胸が足りないわねえ。仕方ないネットで買うしかないわね。」
「・・・最初からそうして下さい。」
僕はレシートと小銭をテレビの前のサイドテーブルに置くと、台所にいる先生の傍まで行き、お茶を淹れる手伝いをした。
真夏だというのに三人分の煎茶を準備するとテーブルにコトリと置く。
これも、アンの趣味に合わせた結果だった。
コーヒーはアロマの香りを邪魔するので嫌なのだという。
僕は先生の負担を減らす為、麦茶は作らないように伝えてあった。
僕と先生は向かい合わせにテーブルにつき、アンより先に熱いお茶を啜る。
それから僕は、アンの食べ残してあったお煎餅をボリボリと齧った。
この部屋は先生の部屋だというのに、最初からアンが住んでいたと言わんばかりの変貌を遂げてしまっていた。
まるで家主の先生が居候してるとでも言いたげな状況である。
だけど、本人が言うにはこれでも気を遣って、自分の趣味は最小限に留めて居るという主張をしてくるのには驚きだった。
向かいの先生を見ると、いかにも疲れた顔をしている。
多分生きてる年数の差から、先生で有ろうとも、アンにはなかなか逆らえないのだろうと思った。
不憫でならない。
暫くして再びアンが声を掛けてくる。
「ご苦労様。私はもう少しかかるから下がっていいわよ。」
僕は先生を振り返った。
先生は目を瞑って背もたれに体重を預け、ふぅと大きく息を吐いているところだった。
そして目を開けて、僕が先生を覗き込んでるのに気づくと、ふわりと笑い、手招きをした。
「おいで。」
先生が立ち上がるので、僕もその後に続く。
向こうで御ゆっくりーと言うアンの声が聞こえ、僕と先生は寝室に引っ込んだ。
先程まで消えていたテレビが付けられ、ボリュームが上がって行くのが後ろから聞こえた。
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