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第110話

先生が僕の胸に顔を埋めたまま離れない。 先生の呼吸が直接肌に当たり、湿った空気が纏わり付き、熱い。 そのせいで、胸の辺りにじっとりと汗をかき始めているのを感じていた。 ちょっと、これは、マズイ。 ずっと撫でてあげたいけれど、先生が汚れちゃう。 っていうか、やっぱり嗅がれるの恥ずかしい。 「せんせい。ちょっと、ちょっとだけ離れて。ごめん。ほんとに、ちょっとだけっ。」 僕は傍に落ちてしまったタオルを手繰り寄せる。 やばい。 先生を汚す前に早く拭きたい。 「ひっ。」 僕の胸を、今、何かが這った。 けれど、そこに居るのは先生だけで・・・。 「ひゃっ。」 再び僕を襲う生暖かい感覚に、思わず声が上擦った。 擽ったくむず痒いようなその感覚に、鳥肌が立つ。 僕の視界には、先生の黒髪が一面に覆っている。 つまり僕の胸に刺激を与えてくるのは、矢張りこの人の仕業の訳で。 「ひぃっ。」 三度、僕の胸に生暖かい何かが這った。 それは、下から上に向かってきた。 「やめてっ、やだっ。先生っ駄目っ。先生、舐めないでっ。」 僕は恥ずかしくて死にそうだった。 きっと恐らく、この人は僕の汗を舐めている。 臭いを嗅がれるのも嫌なのに、舐めるとか、本当に僕にとっては有り得ない。 「やめっ、やめて。先生駄目っ、ひぁうっ、やめれぇっ。」 あまりの擽ったさに、思わず大きな声が漏れ出てしまった。 やばい。 アンに聞かれる。 「やだっ。お願い先生、それしないでっ。やだっ、いやっ、ひゃはんっ。」 僕の喉から、今まで聞いたことのないような声が聞こえ漏れ出て、自分自身でも驚かされる。 なんだこれ。 擽った過ぎて変な声が出る。 やばい、やばい、やばい。 聞かれる、聞かれてしまう。 「お願いもうしないで。だめぇ、ひぁぁあ。ひっ。いやぁあ、やぁっ。」 まるで女の子のような声が僕の口から飛び出してくる。 やばいって、やばいってっ。 お願いだから、もう舐めないで。 誤解されるっ、誤解されるから。 僕は擽ったいだけなんだからっ。 そういうんじゃないんだからっ。 気付かれたら、まじでヤバイ。 「やめぇええっ、ひやぁああっん。やだっ、やぁあああっ。」 先生が辞めてくれない。 終わった。 僕、終わった。 「ひやっ。ひぁああああっ。」 一刻も早く辞めて欲しい。 僕は先生の頭を自分の体から離そうと試みる。 僕の運命が終わった事を悟りながら、それでも、少しでも早くこの状況から脱したくて、先生の頭を力を入れてぐっと押し離そうとする。 が。 「ひいっん。やめれえぇぇ、やらぁっ。」 先生に舐められて、擽った過ぎて上手く力が入らず、押しのける事が叶わない。 それどころか、僕が引き剥がそうとした事で、先生を煽ってしまったのか、尚一層激しく纏わり付かれた。 「ひゃあああぁあぁあ。ひゃはぁぁんっ。」 擽ったい。 全身がゾワゾワと鳥肌をたてる。 ただ、擽ったいだけなのに、変な声が出て止まらない。 気持ちいい? そんな事、全然ない。 擽ったくて、擽ったくて、本当に笑い死にしそう。 早く辞めて欲しくて堪らないのに。 僕が十分すぎるほど喚いた後でやっと、先生の顔が放された。 絶対聞かれた。 アンに聞かれた。 僕、終わった。 「なんでっ、すぐ辞めてくれなかったんですかっ。」 僕はいつの間にか肩で息をしていて、擽った過ぎて涙目になっていた。 様にならないのは解っていても、睨みつけながら抗議する。 なのに先生はといえば、とても楽しそうにくつくつと笑っている。 酷過ぎる。 「生意気だったから、悪戯した。これで、約束守れなくても許してあげるよ。それにしても、君がこんなにココを舐められるのが弱いとは思わなかったな。」 「ひっぃぃ。」 先生の指が胸の中心、胸骨の辺りを、つうとなぞる。 思わず僕の体が後ろに飛び上がった。 相変わらず先生は楽しそうに僕を弄る。 「誤解されたらどうするんですかっ。」 僕は先生に抗議する。 アンには要求された分の恋バナっぽい先生との会話のやり取りなんかを話したけれど、基本的に僕がどれだけ先生の事が好きなのか、白状して語り尽くしただけで、何をどこまでしたとか、そういう話はせずに死守していたのだ。 もちろん散々尋ねられたけれど、僕は絶対口を割らなかった。 だから、僕等は両想いですよ、って所までしかあんは知らない。 はず。 なのに! 先生のせいで、誤解されたらどうするんだ! 「誤解?どんな風に誤解されると思ってるの?」 先生がニヤニヤと問い質してくる。 解ってて聞いてるな、この人。 「ぼ、僕と、先生がっ!え、えっ、エッチしてた、とかっ!ご、誤解っ、されたらっ!」 僕は上手く口が回らなかった。 してないのに、そんな恥ずかしい事、誤解されるとか! してないのに! 「いいんじゃない?別に。誤解されたら困るのか?」 何この人、何でそんなに余裕なの。 「あっ、たりまえじゃないですか!!だって、僕、そういうのはっ、二人だけの秘密というか・・・。て、何言わせるんですか!っていうか、してないし!」 僕は全身の毛が逆立つのを感じた。 この人に、全然僕の気持ちが通じてない。 何でそんな密事、誰かに公表しなきゃならないんですか。 先生以外の誰かに知られる必要ない、知らせる必要もない。 っていうか、してない! 僕の目の前の男は、相変わらずニヤニヤしている。 「ほら、早く服着たら?それとも、まだ俺は顔を埋めてていいの?」 屈託無く笑い、再び僕の腰に手を回そうとしてくるのを、僕は慌てて引き剥がし、脱がされて椅子の上に掛けられていたTシャツを着込んだ。 僕等が寝室を出て行くと、案の定、ソファに座っていたアンが両手で口元を覆い僕等を見上げてきた。 それなのに、先生ときたら涼しい顔で素通りし、台所でお湯を沸かし始めている。 取り残された僕は、必死だった。 「してないからねっ!」 アンは目元まで紅潮させて、コクコクと小刻みに頷いている。 「そのっ、私も聞こうと思った訳じゃないのよ。私もテレビの音を大きめにしてれば大丈夫だと思っていて、まさかそんなっ、ね?だってまさか、そんなに激しくなんて思わないじゃない?だから、盗み聞きしようと思った訳じゃなくて、その、ごめんなさいね。」 口元を両手で覆ったま、何も悪い事してない筈のアンが、何故か必死に僕に弁明してくる。 「いや、してないからね!?」 再び両手で口を覆ったままのアンが、小刻みにコクコクと頷いた。 これ、もう絶対誤解されてる。 僕、終わった。

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