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第111話
熱くてお風呂に入りたくて、仕方がない。
体が火照って、全身がじっとりと湿り気を帯びている。
僕はもやもやを抱え込んだまま、先生の車に乗っていた。
あの後、先生は僕の為にお茶を入れてくれたけど、火照った体に熱いお茶は、寧ろ熱が篭ってしまって余計熱くのぼせてしまった。
そもそも、先生があんなこと僕にしなければ、こんなにも、火照る筈は無かったのに。
しかも、おまけにアンには誤解されたままだ。
何を言っても信じて貰えない。
いや、信じて欲しいと言うには無理があるのも解っていたけど。
それくらいの大絶叫だったのは僕にも自覚がある。
けれど、してない。
アンには罪は無い。
そんな訳で、僕は不機嫌なまま先生の車に乗り込むことになってしまった。
そういうことは、二人きりで密に大切に育みたかった。
しかも、実際にはしてない訳で、誤解された事により僕は2倍のダメージを受けた。
本当にしてたのなら、まだいい。
いや、良くはないけれど、少なくとも事実になり誤解ではなくなる。
僕は本当は先生とエッチしたいのに、僕の気持ちが満たされる前に、僕と先生がエッチした事にされてるのが納得いかないのだ。
先生の事を本当に、心も身体も悦ばせたいし、僕の体も先生に満たされてみたい。
どれだけの気持ち良さを味わえるのかという事を、先生と二人で共に体験してみたい。
先生との蜜な交わり合いを経験したい。
それなのに、全てすっ飛ばされて、エッチした事にされてしまった。
何も味わっていないのに、身体はまだ繋がっていないのに、もう経験した事にされてしまったのが、僕の中で納得いかなかった。
それに、僕はそういう事は、二人だけが知ってればいいと思うのだ。
態々誰かに告げたりする事じゃない、見せたりするものでもない、聞かせたりするものでもない。
二人の秘密は二人で大切に守りたい。
僕の秘密は先生だけが知ってればいいと思うし、先生の秘密も僕だけが知ってれば良いと思う。
先生の僕だけにしか見せない顔も、僕の先生にしか見せない顔も、僕ら二人だけの大切な秘密だと信じていた。
それなのに、さっきの一件で、一瞬にして全て嘘で塗り固められてしまったのだ。
僕はそれが、虚しかった。
こんな気持ちで居たくないのに、先生とはいつでも仲良くしていたいのに、僕はこの気持ちをどうやって消化すればいいのか分からずにいた。
それなのに、何故か先生は先程からずっと上機嫌でいる。
僕には理解出来なくて、逆にそれが僕を悲しみの底に落としていった。
ただ、何故嫌がる僕にあんな事を続けて、しかも誤解を解く努力をしてくれなかったのだろうか?という問いだけが頭の中に居座り続ける。
だけど、機嫌の良い先生にそれを言ったら機嫌を損ねてしまいそうで、もしも喧嘩になってしまったらと思うと、それも怖くて、言う勇気も持てずにいた。
この気持ち、どうしたら良いのだろう。
心が固まってきて重く沈みかけている。
「王子、さっきの事怒ってる?」
赤信号で止まるタイミングで、先生に尋ねられた。
だけど、僕は何も答えることが出来なかった。
はいと言えば、僕が反感を持っている事がバレてしまう。
いいえと答えれば、僕は僕の心に嘘をつく事になってしまう。
だから、僕は口を噤む事しか出来なかった。
車が脇道に逸れていく。
どこに向かうのだろうと思っていると、小さな公園の横に停車した。
僕が先生の方に向き直ると、先生は既に僕を凝視している。
僕は何も言う事が出来ずにいて、先生の視線を浴び続けてしまった。
「言いたい事があるなら言いなさい。」
その言葉に僅かに棘を感じる。
結局僕は、先生の機嫌を損ねてしまったのだと悟った。
けれど、そこまで気付いていても、やはり自分の思いを言葉にする事が出来ない。
余計に悲しみが僕の喉を絞ってしまうのだった。
先生が溜息をついた。
僕はそのタイミングで、先生から視線を外す。
ぐっと唇を噛んだ。
機嫌を損ねてしまった事への罪悪感、呆れられてしまったことへの焦燥感が、僕の心を虫食いみたいにしてゆく。
「明日はどうするの?」
先生が問いかけてくる。
つまりそれは、僕は明日も先生の家に来るのか?という意味だった。
明日になれば、忘れてしまえるだろうか?
でも、アンの誤解が解けた訳じゃない。
アンは何も悪くない。
けれど、僕がどんな風に接すればいいのか分からない。
それは、先生も同じだった。
どんな風に先生に接すればいいのか、分からなくなっている。
どうしよう、何て答えれば・・・。
「そうか。じゃ、明日は自分の好きに時間を使いなさい。毎日毎日、君も疲れたろう。」
「・・・え。」
「いいよ。アンの傍若無人ぶりには、流石に俺も手を焼いてるからね。常に付き添っていた君にはもっと負担だろう。無理しなくていい。」
「いえっ、その。」
「うん。暫くゆっくりしなさい。」
そう言うと、先生はくしゃくしゃと僕の頭を撫でた。
え、それはつまり、明日は会えない?
明日はいつものコンビニに迎えに来ることはない?
僕の気持ちが複雑に絡み合う。
会いたくない訳じゃないのに、会えないのは寂しいのに、何故か僕は何も言う事が出来なかった。
心の中に出来てしまったしこりが、僕を素直にさせる事を拒ませる。
会いたい。
それなのに、どうしてか、その一言が口から出て来ない。
なんで。
会いたい。
会いたい。
会いたい。
なのに。
いつものコンビニに着くと、僕は先生に笑顔で見送られた。
結局言う事が出来なかった。
先生が好き。
毎日会いたい。
ずっと一緒に居たい。
僕は自分のスマホを取り出した。
電話の履歴を見ると、先生の名前で埋め尽くされている。
タップしてしまえばいい。
簡単な動作だ。
なのに僕の指は、空中で静止したまま動いてはくれなかった。
震える手に気付かないふりをして、そっとスマホをバッグに詰め込んだ。
明日僕は、先生に会えない。
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