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第114話

翌朝、いつもより30分早い時間に、先生が僕を迎えに来た。 いつもと何も変わらず、迎えに来てもらう事に慣れている筈なのに、手にじっとりと汗をかいている。 気持ちが落ち着かず、先程からずっとソワソワしていた。 会えるという、期待と喜びで心が浮かれている。 たった一週間、それしか経っていないのに、とても久しぶりな気がした。 「おはようございます。失礼します。」 そう言って、僕はガチャリと助手席の扉を開けた後、車に乗り込んだ。 運転席では、先生が朗らかに笑っている。 「おはよう。大体、一週間ぶりだな。」 「そ、そうですね。」 嬉しくて、心臓が飛び跳ねそうになっている。 お陰で、どもってしまう。 緊張する。 なんとか落ち着けなきゃ。 「あの、今日も学校ですか?」 学校じゃなかったら、少しは長くいられるのかな。 僕はあくまでアンに呼ばれた訳だけど、折角先生の家に行くんだから、少しでも一緒に居たい。 今日の仕事の都合はどうなんだろう。 「そうだよ。で、明日はまた研修だから、俺は一日居ないよ。」 「研修?」 学校だと言うことを告げられて、少し残念に思った後、研修があるということに驚いた。 生徒の居ない夏休みは、部活があるといえど、保険の先生って暇だとばかり思っていた。 「そ、ちょっと遠出しないといけないから、帰るのは夜遅くになるかな。」 「へぇ、大変ですね。」 先生が口の端を緩めた。 「大変なんです。」 先生は、楽しそうに言う。 言葉とは違い、それ程苦では無さそうで安堵する。 「まぁ、俺は私立の保健師だから、楽な方よ。姉妹校もあるし、非常勤の先生も他に居るから、臨時休も取りやすいからね。」 「へぇ。」 「そもそも、非常勤講師の扱いだからな、俺は。融通が効くのが私立の良いところだな。」 「え、先生って常勤じゃないんですか?」 僕は全然知らなかった。 保健室に行けば、いっつも太宰先生がいて、他の先生の姿なんて見たことがなかったからだ。 「取ろうと思えば、8月まるまる夏休みだって取れるんだよ。でも、その間給料出なくて困るからな。夏休みの間は部活のある午前中は基本的に居る事にして、午後は早く上がっているんだよ。」 「へえぇ。」 そういう理由があったとは。 だから、いつも3時や4時に帰って来てたのか。 「だから、明日は学校行っても俺は居ないよ。非常勤の他の保険の先生に来てもらう事になっているから。」 「へえぇ。そうなんですね。分りました。」 「そういう事だから、明日は学校行ってもベンチで寝るなよ。熱中症になっても、助けてやれないからな。」 「へっ。」 僕は思わず先生を覗き込んだ。 先生は涼しい顔をして、前方を見ている。 もしかして、この人、僕が図書室に通っていたのを知ってる? 楽しそうに微笑んでいる先生の横顔に視線を注いだものの、それ以上の事を話したりはしなかった。 僕の思い違いかもしれないし、態々確認するのも恥ずかしい。 だって、図書室に通っていたのは、本を読むのが目的だった訳じゃなくて、先生の様子が気になるのに、勇気が無くて遠くから保健室を見てましたなんて、言えないよ。 「着いたよ。じゃ、アンの事頼むよ。また夕方には帰るから。」 気付くと先生の家の前に着いている。 「はい。行ってらっしゃい。」 僕は笑顔を作り、何でもないふりをして、先生を送る。 ちょっと寂しい、なんて、言えない。 だって、仕事だもんね。 それに、終われば先生は帰ってくる。 それまで待ってれば済む話だ。 先生が目を細め、にこりと微笑んだ。 「うん。行ってくる。」 僕は車から降りて先生を見送った。 車を切り返すと先生が振り向きざまに、こちらに向かって手を振ってくれている。 僕も咄嗟に反応して、遠慮がちに僅かに手を振った。 ちょっと気恥ずかしい。 けれど、そんな些細な事に、僕の気持ちは浮かれてしまい擽ったくなる。 ゆっくりと、黒いプリウスが遠ざかっていくのを見届けると、僕は玄関まで行き、預かった鍵を使って先生の部屋にお邪魔した。

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