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第116話
「あのぅ。これって、やっぱり学校行けるようになったら女子の皆様方の間で回し読みされる運命にあるのでしょうか?」
僕はソファの下の絨毯の上で正座しながら、おずおすとアンに聞いてみる。
「当たり前でしょう?しかも、あなたのお墨付きも頂いてるってお伝えしておくわ。」
「・・・マジですか。」
いや、なんとなく予想はしてた。
そして、アンは予想を裏切らないどころか、更に上の回答を寄越してくる。
お墨付きって何だよ。
僕は許可なんか出した覚えはないぞ。
しかし、怖くて原稿を破れない。
是非、世に出回らないように、このまま学校へは行かないで下さい。
アンは満足そうに、トントンとテーブルの上で原稿を纏めた。
手が滑って燃えてくれたりしないかな、ほんとに。
っていうか、これ、先生は知ってるのかな。
「そう言えば、この原稿の存在、先生は知ってるんですか?」
アンの体がピタリと静止する。
ゆっくりとアンが真顔でこちらを振り返った。
えっ、なに、・・・怖い。
「知る訳無いでしょ。」
・・・ですよね。
あんな事、こんな事、人に言えない事、大量に書かれてましたもんね。
知られたら追い出されるどころか、吊るされて火炙りにされるレベルでしたからね。
やっぱり、命懸けで書いてたんですね。
「まさか、喋ったの?」
「いいえ。」
僕はアンの前で正座をしたまま答えた。
アンは安心したように息を吐き出す。
「まぁ、その時は、あなたに書いてくれってせがまれたと言うだけなのだけど。」
「・・・左様でござりますか。」
僕は息を吐き出した。
まぁ、そんな事だろうと思ってましたよ。
じゃないと、リスキー過ぎて先生の家でこんな物騒な物書けませんよね。
「早くこの生活終わらないかしら。」
アンが遠くを見ながら呟いた。
いいえ、僕は終わってもらったら困ります、なんて事は言えない。
彼女は膝の上に肘をついて、何やら難しい顔をし始めた。
そして、首だけ僕の方にくるりと回す。
そんなに僕の事見て、僕の顔はそんなに面白いですか。
僕は溜息を吐きながら、アンの顔を見詰め返した。
また、トンデモ無いストーリーでも考えてるんだろうなぁ。
「ま、あなたじゃ無理よね。」
アンは独り言の様に呟くとソファにゴロリと転がった。
「いつまで続くのかしらね。私が奴隷から解放されれば解決も早いのだけど。」
「えっ、奴隷から解放される方法があるんですか?」
アンの何気ない一言に、僕は驚愕する。
てっきり奴隷になると、一生奴隷のままなのかと思い込んでいた。
アンは、そんな僕の反応を信じられないとばかりに溜息を吐いている。
「太宰くんはあなたに何も教えてないの?あなた達二人は両想いで間違い無いのよね?」
半ば呆れたように、アンに問いかけられた。
僕は素直に受け答える。
「はい、その筈ですけれど。」
するとアンは、再び向こうを向いて何やら考え始めた。
僕はその様子をじっと眺める。
暫くしてからアンは僕に向き直り、珍しく真面目に語り始める。
僕はそんなアンの態度に身構えた。
「太宰くんが、あなたに吸血鬼のあれこれを教えないのは、きっと何らかの理由があるのね。だったら、私から、あなたに何かを教える事は出来ないわ。でも、忠告する事なら出来る。」
「忠告?」
一体何だろうか。
先生が教えてくれないなら、アンが色々教えてくれてもいいような気がするけれど、アンにはどうもその気は無いらしい。
僕にとっては誰から聞いても、情報としての重要度に違いは無いので、出来れば教えて欲しいところなんだけれど。
そんなに言うのを躊躇う内容なら、余計知りたくなるじゃ無いか。
忠告してくれる事には素直に感謝する。
しかし、忠告という言葉を使うからには、きっとあまり良く無い事なのだと思う。
僕は不安を煽られた。
「そうよ。あなた達が両想いでエッチもしてる仲である以上、忠告しなければならない事があるわ。」
僕はエッチという単語に体が過剰反応を示す。
ゾワゾワと全身の血が沸き立つ。
何度も訂正してるのに、相変わらず信じてもらえてない。
「だから、何度も言うようにエッチしてませんからね。」
再三同じことを言い続けているのに、全く信じてもらう事が出来ず、また悔しさに飲み込まれそうになった。
アンは面倒臭そうな、渋い顔をしたまま続ける。
「解ったわよ。それで忠告の内容だけれど、エッチはもうしてしまったから、今更どうしようもないわね。でも、キスはする前に、必ず太宰くんにその意味を教えて貰いなさい。必ずよ?これが私から教えることのできる精一杯かしら。」
「え、はい。」
僕は短く返事を返したけれど、内心では動揺して心臓が大きな音で騒いでいた。
だって、今更そんな事言われても、遅すぎるじゃ無いか!
なんて事は言える筈もなく。
っていうか、エッチってキスしながらするものじゃ無いの?
エッチはした事にされてるのに、キスはまだしてないと思われてるって事だよね?
それっておかしく無い?
エッチはしても、キスってしないのが吸血鬼の常識なの?
でも、言われてみてよくよく考えてみれば、アンにキスしようとした時には、何だかんだ躱されてしまい、キスする事は無かった。
先生と一番最初にキスした時も、僕がしつこく迫ったのであって、先生は始めは全く反応を示そうとしなかった。
あれは、僕の気持ちを優先してくれてたものとばかり思っていたけれど、もしかしてその行動はその意味を気にして反応を躊躇っていたから?
そんなに大切な事だったのなら、何故僕に教えてくれなかったのだろうか。
僕の心に、先生に対する疑念が生まれてくるのを感じてしまっていた。
心の虫食いが大きくなってきている。
こんな気持ちになりたく無いのに、これはどうしたら治す事が出来るの?
先生の事が好きだという気持ちと、先生の事を疑う気持ちが僕の中で鬩ぎ合い始めた。
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