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第122話
僕は制服が汚れるのも構わず地べたに座りこむと、自分のカバンからペットボトルを取り出した。
「あの、ごめん。その前に、休憩下さい。」
「どうぞご自由に。」
ネコの了承を得ると、僕はいろはすを口に注ぎ込んだ。
一旦呼吸を整えなおすと、やっと僕はネコの問いに答えることが出来た。
「中原老中は今どうしていますか。」
ネコを追いかけながら、以前先生がネコは中原の差し金だということを揶揄していたのを思い出した。
正確には直接中原と明言していたわけでは無いけれど、保守派についているネコの上官は中原になるはずだ。
するとネコは、クスクスと笑い始めた。
「何を聞かれるかと思えば。あなたは交渉が下手ですね。」
真っ赤な目を細めて、僕を正面から見つめてくる。
「あなたにその様な事を、お伝えする必要はありません。そもそもあなた方と犬猿の仲である現在、何故こうして謁見を許したのか、もう少し考えて頂きたいですね。」
ネコの高飛車な物言いに少しイラっとさせられたけれど、僕は思い直して話を聞く。
中原に近い人物に折角接触出来たのだ。
このチャンス不意には出来ない。
「今日はあなたに会いに来たのではなく、太宰夏彦殿の様子を見に来たのですよ。けれど、彼は居なかったので無駄足でした。帰る途中で、何故かは分かりませんがあなたが後をつけて来たので、こうして付き合ってあげているのです。少しは楽しい話題を提供しては如何ですか。」
僕は一呼吸置いて考えた。彼、いや彼女だろうか?ネコの機嫌を損ねる事はまずは避けたい。
きっと損ねてしまえば最後、たちまちのうちにネコは姿を消してしまうだろう。
少しでも情報を聞き出したい。
「太宰教諭の事なら僕が一番良く知っていると思います。何か聞きたい事はありませんか?話せる範囲で話す事なら出来ます。」
もちろん話すつもりなんてさらさら無い。
けれどこうでも言っておかなきゃ、出鼻をしくじった僕に愛想をつかして、直ぐに消えてしまわないとも限らない。
ネコは目を細めたまま、僕をしげしげと眺めた。
「聞きたい事は山程あります。けれどあなたから得られる情報に、こちらに有益な情報が提供されるとは思えませんね。他に無ければ、これで失礼致しますよ。これでも忙しい身の上なので。」
「ま、まって、えっと、怪我は?治りましたか?」
僕が慌てて話題を変える。
咄嗟のことで、何も考えていなかったけれど、ネコがピクリと体を震わせたのをはっきりと見た。
「やはり見られていたのですね。今はすっかり良くなりました。傷跡は残りましたが・・・。お気遣い痛み入ります。」
まともな返事を得る事が出来たので、この話題を継続する事にした。誰だって、心配されて嫌な気持ちになったりはしないのだろう。
「何があったのか知りませんけど、今度またカラスとやりあう事があったら保健室に寄って下さい。先生にも伝えておきますから。」
するとネコは体を震わせて、唸り声をあげ始めた。
「あれはカラスに傷つけられたのではありません。カラス如きに深手を負う様な鈍った体などでは無いのです。」
「えっ。じゃあ一体誰に。」
僕は慌ててネコに質問した。
ネコは身震いし、毛を逆立てた。
「答えるつもりはありません。もう治りましたから。」
ネコの気迫に気圧されそうなほど、ネコは低い声で唸った。
カラスじゃなければ一体誰に?
まさか先生に?いや、そんな筈はない。
あの日、ネコの怪我を報告した時、先生は大変驚いた顔をしていた。あの反応は、演技だとは思えない。
ではアンかといえば、それも違う。
アンは中原の直属の部下で僕の命を狙った、つまり保守派のネコの仲間なのだからネコを傷つけたりする訳がない。
要する所、その事実は僕の知らない新たな吸血鬼、もしくはその仲間の存在を示唆していた。
あの日、僕ら以外に誰か他の吸血鬼仲間が校内に居た事になる。
いや、もしかしたら、アンのように生徒、ないし教員かもしれない。
そう思うと、僕は身震いせずにはいられなかった。
僕の体に戦慄が走り抜けたのとは逆に、ネコはすっかり落ち着きを取り戻し毛繕いを始めている。
「ところで、あなたは保守派につく気はありませんか。今日は太宰夏彦殿の監視の目的以外に、あなた方を保守派に引き入れる斡旋をしに来たのですよ。」
毛繕いをしながら、ネコは半ば面倒くさそうに僕に言葉をかけてきた。
「は?!え。ちょっと待って。僕の事を殺そうとして来たくせに保守派に斡旋?そうやって、僕を仲間に引き入れるふりして殺してしまおうっていうの?」
僕は驚愕を隠し切れなかった。
保守派となんか仲良くしたら、それこそ中原に殺されるじゃないか。
自ら虎穴に入るようなものだ。
僕はそんな危険を冒してまで、中原を捕まえようとは思わない。
勿論、このままでいいと思っている訳じゃない。
けれど、作戦も無しに、相手の言いなりになって敵地に飛び込むなんて馬鹿げている。
「失礼ですね。保守派に仲間を傷つける者は一人もおりません。」
ネコは冷静に淡々と続ける。
「いや、だって、現に中原が首謀者として、今、元老院に追われているじゃ無いか!」
僕は反論を撒き散らした。
既に元老院に追われているというのに、よくそんなデタラメが言えると思う。
事実として、十分すぎる程の確証が揃っているのを、早々覆せるものではない。
アンだって、中原に罪を全て押し付けられるのを見越して元老院から逃げ出したのだ。
それに、アンが事件を起こす前に、中原は既に逃亡を成し遂げてしまったじゃないか。
アンに命令し、犯行を予測出来た張本人だからこそ、アンに全てを押し付けて万が一に備えて、逃亡先で高みの見物を決め込むつもりだったのに違いない。
ネコは溜息をつくと僕をじっと見た。
「話になりませんね。内情を知らないのに、あなたは言葉を選ぼうともしない。非常に失望しました。今日はこれで失礼致します。御機嫌よう。」
ネコはそう言うと、くるりと背を向けて歩き出した。
僕はその後ろ姿に声を掛ける。
「アンに酷い事しておいて、直ぐにバレるような嘘まで簡単に吐くような保守派とは仲良くなんて出来そうにありませんから。」
ネコが一瞬つまらなそうに、こちらを振り返った。
けれど、しなやかにジャンプしたかと思うと、草をかきわけて、土手まで躍り上がり、そのまま向こうの道路がある方向に向かって姿を消した。
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