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第138話
138.
僕がアンに抱き締められて居ると、ふっと僕の視界に先生の姿が入ってきた。
先生の気持ちも分からない訳じゃないけれど、きっと先生ならこの状況を許してくれる筈、っていうのはやっぱり僕の我儘にしかならないのかな。
やっぱりね。
思った通りではあるんだけど、先生がね、すっごい渋い顔をしてそこに立ってる。
耳元で交わした会話は、きっと先生には届いていない。
だから先生が不安になるのも、なんとなく分かる。
けれど、やっと落ち着いてきたアンを僕の意思で剥がし取ってしまっては、二度とアンが僕を頼ろうとしてくれない気がする。
僕はアンを刺激しないように無言のまま、先生から見える位置にある左手をちょいちょいと動かし手招きをした。
先生は渋い顔をしたまま、けれど僕の意思を汲み取ってこちらに来てくれる。
僕はちょいちょいと動かした左手を、今度はソファをポンポンと叩いた。
先生はそれも読み取ってくれて、僕の隣に腰を下ろした。
僕は先生の手を捕まえる。
それから、その手をこちらにぐっと引き寄せて先生の体を近づけた。
僕は二人に聞こえるように、話を始める。
「ねぇ、アン。今度血を啜る時、ずっと僕も一緒に居るよって言ったよね。今こうしているように、アンが飲み終わるまでこの体勢で居るって。それでね、僕が居る時は勿論僕と一緒に飲むんだけど、僕が居なくて、それでも我慢出来ない時は、僕に今抱きついているように、先生に抱きついて二人で飲むと良いよ。ね?先生。」
僕が言い終わると、アンが顔を上げた。
そして、アンと先生、二人の視線がお互いに混じり合った。
先生も、アンも物言いたげな顔をしているのがわかる。
「嫌よ!」
先に口火を切ったのはアンだった。
「なんで、このわたしが太宰くんを抱き締めないといけないのよ!」
え、えええ。
今、それを言う?
なんでって、僕が居ない時は、どうしても無理な時は、って先に言ったじゃないか。
なんでそんなに拒否するの?
抱き締める事で安心して飲めるなら、先生にも協力してもらう方が絶対に良いよ。
「アン、そんな事言わないでよ。先生だって協力してくれるでしょ?」
僕は先生の顔を覗き込んだ。
物言いたげだった口が開かれる。
「俺に協力出来ることならするが、本人に拒否されてはどうする事も出来ないだろう。」
えええええ。
先生まで、何言ってくれてるの。
いやまあ、そうなんだけど、そこはアンを宥めてすかして諭してよ!
僕は目で訴える。
先生、そんな事言わずにお願いします。
僕だって、いつでも居るわけじゃないし、先生も協力してくれないと、また煙草の煙まみれになっちゃう。
僕はじっと先生を見つめる。
すると、それに気付いてくれたのか、先生が再び口を開いた。
一瞬嫌そうな顔をしたのを見逃しはしなかったけど・・・。
「とりあえず、嫌だと言ってないで練習してみたらどうだ。ほら、おいで。」
先生が両手を広げてアンを迎え入れようとする体制を作った。
おおお、流石先生。わかってる。
けれどアンは一向に僕から離れようとしない。
「嫌よ!」
再びアンの嫌が炸裂する。
僕はすかさず諭しに入った。
「そんなこと言わないで。ほら、一度やってみたら慣れるかもしれないよ。ね。」
けれど、僕の説得も虚しく、簡単に拒否されてしまった。
「嫌なものは嫌よ!だって、太宰くんはあなたのものでしょ?だから嫌。」
「え。それを気にして拒否するんだったら、僕は一向に構わないよ。アンの健康が大事だよ。」
「だそうだ。遠慮しなくていいぞ。さぁ、おいで。」
アンがその事を気にして拒否するなんて、想定外だった。
そんなに気になるのかな。
先生が丁度良いタイミングで会話に入ってきてくれる。
もう一押しだ。
「だから嫌よ!私は王子が居れば十分よ。太宰くんに抱きつかなくたって何も困ったりしないわよ!」
「アンにはそうかもしれないが、王子は俺のだぞ。平等をとるなら俺にも抱きつくべきと思わないか?」
おお、先生ナイス!
冷静な判断でアンの理論を崩しに来たぞ。
アンの理屈で言うなら、先生にも抱きつかないとおかしなことになるもんね。
全くその通りだと思います。
「王子はいいのよ。わたしは元彼女だからいいの。ね?王子。」
「えっ。いや、そうかもしれないけど、それはまた別の話だよ。今付き合ってる訳じゃ無いんだから。」
「そうだぞ。今は王子は俺のだからな。それは理由にならないぞ。だから、さぁ、おいで。」
「だから、嫌よっ!」
「そんな事言わずに、飛び込んでおいで。」
「嫌っ!」
「ほら、どうぞ。」
「だから、嫌だってば!しつこいわ!」
「王子にだけ抱きつくのはおかしいだろう?ほら、俺はいつでもいいぞ。」
「嫌なものは嫌!いい加減にしないとセクハラで訴えるわよ。」
「セクっ・・・。」
あああああ。
先生にアンのブリザードが直撃した。
見事に硬直してる。
これはまずい。
「アン。それは先生に失礼だよ。協力してくれると言っているのに、その言い方は無いよね?」
すると、アンの頬がぷっくりと膨らみを増した。
「何よ!なんなのよ。わたしにだって選ぶ権利くらいあってもいいじゃないのよ!余計なお世話よ。」
選ぶって、それを言っては余計まずいんじゃないか?
と、思った瞬間には僕の体からアンが引き剥がされていた。
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