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第142話

142.  僕らは前回潜り抜けて入った絵画とは、違う扉の前にいた。  前回通った絵画の扉の前に着いたものの、その前を通り過ぎ、角に回り込むと、一回りほど小さい絵画の扉を潜り抜けたのだ。  潜り抜けた先は円卓が一卓、中央に設けられていてその周りを取り囲む様に椅子が七脚置かれている。  そして、そこには既に先客が座っており、僕らが来るとそれに気付いて注目を浴びる。  あの日、老中として僕の前に現れ、中央に座った白髪で丸眼鏡の男声が、円卓の一番奥に座っている。  そして、一つ椅子を置いて、右回りの位置に夏目老中が座っており、二人とも何やら分厚い資料を目にしていた。  恐らく、円卓の一番奥に座っている丸眼鏡のあの人が萩原老中だ。  そして、その二人の背後には、それぞれ秘書らしき人が立っていた。  僕らが来た事に二人が気付くと、その場で座ったまま、軽く会釈をされた。  先生は奥に進まず立ち止まるので、僕もそれに習い、先生の半歩後ろで控える。 「こんばんは、萩原老中、夏目老中。本日はどうぞ宜しくお願いします。」  先生が頭を下げる。 「宜しくお願いします。」  僕も慌てて頭を下げた。  緊張して胃が飛び出そうになっている。 「太宰君だね。私の名は知れてるかもしれないが、萩原だ。老中と総帥を兼任している。本日は宜しく。」  僕はゆっくりと頭を上げる。  すると、顔を綻ばせたおじーちゃんが、目を細めてこちらを見ていた。  柔らかそうな雰囲気に、僕は面食らった。  さっきまで、資料を睨みつけていた人物と同一人物とは思えない変貌ぶりだ。 「私は夏目だ。太宰君とは半月振りだね。今日も宜しく頼むよ。ところで、そこのお付きの方は森君で合っていたかな?」  夏目老中に言われて、僕は再び頭を下げた。  そういえば、挨拶したものの、うっかり自己紹介するのを忘れてしまっていた。  今日はうっかりが多すぎる。  体が硬直して上手く動けないのを、無理矢理折り曲げる。  火照って耳まで熱い。 「あの、改めまして、森王子です。今日は太宰せんせ・・・太宰さんの補佐として参りました。宜しくお願い致します。」  どんな挨拶をしたらいいのか解らず、結局シドロモドロになる。  そして、太宰先生の事は何て呼べば良かったのか、よく分からない。  僕がじっとしていると、頭を上げるように言われた。 「君も先日、会った事があるね。色々あったようだが、あれから調子はどうかな?今日は宜しく。」 「はい、宜しくお願いします。」  僕はロボットみたいになりながら、返事をした。  挨拶が終わると太宰先生がスタスタと円卓の左に回り込み、萩原老中から椅子を一つ置いたところに座った。  それから、そこにあった分厚い紙をペラペラとめくり始めた。  すると、別のところに立っていた秘書と思しき人が、先生の横に回り込んでくる。  萩原老中の秘書でも、夏目老中の秘書でもない。  誰だろうと思っていると、会話が僕の方にも聞こえてきた。 「お世話になります。私は中原の秘書を務めておりました小林です。急な引き継ぎになってしまい申し訳御座いません。こちらの資料について軽くご説明致します。」  そう言うと、資料を捲りながら、淡々と説明を始めた。  僕は、他の秘書さんに習って、先生と中原の秘書さんの後ろで控える。  他の秘書さんは、沢山の資料と思しき紙の束の中から一部分を取り出しては、確認し、それを前に座っている老中に差し出したり、自分の手帳を開いたりと忙しそうにしていた。  僕はといえば手ぶらで、やっぱり何処か場違いで居た堪れない。  ただそこに立っているだけで、何の役にもたたない。  こんな調子で大丈夫かと不安な気持ちで待っていると、10分もしないうちに老中の皆さんが席を立った。  そして、向こうに掛けてあった鳩時計がクルクルと鳴いた。  その合図で、秘書の皆さんが、僕達が入ってきたのとは違う向こうの絵画に駆け寄り、扉を開けると、萩原老中に続き、夏目老中、太宰先生が潜ってゆく。  その後で、萩原老中の秘書の方が通り抜け、夏目老中の秘書の方に、僕が先に潜るよう言われたので潜り抜けた。  ふと、一瞬だけ振り返ると、中原の秘書さんは奥の方にいて、こちらには来ず、申し訳なさそうに僕を見つめていた。  扉の向こうは、広い講堂になっていた。  あの日と同じ場所なのに、今は立っている場所が違う。  ズラリと扇状に椅子が弧を描きながらバウムクーヘンのように幾重にも重なり並んでおり、後ろに行くほど座席が高くなっている。  そしてその座席には空席を作る事なく、ぎっちりと人が座っていた。  まるで、半円だけのプラネタリウム会場のようだ。  僕は眩しくて目を細めながら、太宰先生の背中を追った。  萩原老中の秘書が、萩原老中から数歩下がった真後ろに立っているのを見つけ、僕もそれを真似し、秘書の方の後ろをすり抜けて、太宰先生の後ろに控えた。  間も無くして、夏目老中の秘書がマイクを握った。 「これより、本年度第8回の定例会議を行いたいと思います。全員起立。礼。着席。」  一斉に全員が立ち上がり、礼をして、着席する。  その度に、布の擦れる音が会場中から響き渡ってきた。  僕は息を呑みながら、その様子を見ていた。  萩原老中がマイクを握った。 「まず、先の空いた老中の席についてだが、老中代理として、そこの太宰夏彦君が選出された。これについて異論のある者は意見を述べよ。無ければ拍手を持って承認されたし。」  すると、向こうの席から声が上がる。 「異議あり!」  すかさずマイクが何処からともなく、その人に手渡されてゆき、話し始めた。 「選挙を持って選出された訳ではなく異色の経緯だと聞き及ぶ。こちらの資料に保守派からの選出とあるが、詳しい経緯をお聞かせ願いたい。」  萩原老中が受け答え始める。 「選挙を待つのが通例であるが、それまでの間、空席を作る訳にもいかぬ。よって、前、老中を排出した保守派の総意の元、そこの太宰君が選出された。保守派に反対する者は誰一人としておらん。ここに、保守派に所属する全員の署名がある。以上だ。他に質問は無いかね?」  会場中がどよめいた。  この質問をするという事は、恐らく質問主は革新派か、保守派以外の人物だ。  僕は経緯を知っていたとはいえ、署名がある事に少し驚いていた。  まさか、本当に全員の支持が貰えるとは思っていなかったのだ。  流石、ネコだ。  きっと、反発を買う事も予測済みで全員の署名を取り付けたに違いない。  再び遠くの方から、異議を唱える声が聞こえる。 「代理とはいえ、次期選挙で太宰殿に有利に働くのでは無いか?空席である方が健全と思うが、如何か?」  再び萩原老中がマイクを握った。 「選挙に太宰君の立候補は無い。その心配は無用だ。それもここに署名がある。宜しいか?」  会場中がざわめいている。  けれど、他に異論を唱える人はもう居ないようだった。 「他に無ければ、全員拍手を持って承認されたし。」  再び、萩原老中がマイクに向かって唸ると、大きく拍手を始めた。  隣の夏目老中も拍手をしている。  最初こそまばらな拍手だったものの、直ぐに会場中が拍手に包まれた。  暫くして、カンカンと木を打ち付ける音が会場に響いた。 「会場全員の総意の元、選挙までの間、総帥の権限により、太宰夏彦君を老中に任命する。以上。」  萩原老中は一声上げると、会場は静かになった。  向こうで、夏目老中の秘書が再び話し始める。 「それでは、続きまして今月の人事の承認を行なって参ります。異論のある方は、その都度、挙手願います。萩原老中、宜しくお願い致します。」  萩原老中が一度咳払いすると続ける。 「私に変わり、秘書の三好に代読を一任する。」 「老中の萩原に変わり、私、三好が承ります。お手元の資料3ページをご覧下さい。・・・」  会議が進められてゆく。  僕は議会の雰囲気に気圧されながら、相変わらずそこに突っ立ったまま、それを眺めた。  次は一体何を話しているのかと思えば、今月の人事異動の承認のようで、名前、異動場所、承認が繰り返し読まれ続けていた。  僕は難しい事を話すものだとばかり思い込んでいたので、呆気にとられた。  こんな事まで細かに会議に持ち出すなんて、元老院とは雑務だらけの場所のようだ。  10分くらい、延々名前が読まれ続けると次は予算案だった。  これも、資料を読み流すだけで、特に話し合う訳でもない。  収入と支出を読み上げると、皆に拍手を求め承認される。といった具合に進められていった。  緊張したのは最初だけで、後は滅茶苦茶詰まらないし、眠い。  本当に激しく眠い。  僕は船を漕ぎだしそうになると、先生の背中を眺めて、気持ちをきゅっと引き締め直す事を繰り返していた。

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