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第147話
147.
僕は帰りの新幹線の中で、うつらうつらとしかけていた。
長距離の電車移動にあまり慣れていないせいかもしれない。
自由席であまり後ろに倒すこともせずにいるから、体のバランスをなかなか保てずに、カクンと揺れる。
隣に座る先生は、真ん中の肘掛を上に持ち上げ、僕との距離は0だった。
カクン、カクンと揺れていると、不意に僕の頭に何か柔らかなものが触れ、そのまま頭を横に倒される。
先生の肩に僕の頭を倒されたのだと気づくのに、そう時間はかからなかった。
気付いた瞬間、逆に緊張してしまい睡魔が吹き飛んだ。
けれど、僕はそのまま狸寝入りを決め込む。
先生のスーツの匂いが、僕の鼻に微かに漂う。
僕の好きな匂い。
目を瞑ったままで、それを感じる。
車内が僅かに揺れる度、僕の頭も先生の肩の上で僅かに揺れた。
暫くすると、僕は再び先生の掌でおでこを覆われた。
先生が何かしてる。
僕の隣でガサゴソと動く度、衣擦れの音がする。
と思っていると、再び僕の頭が肩に倒された。
それから、今度は僕の手も先生に捕られ、握られた。
しかも、唯、握られた訳じゃない。
先生の指が、僕の指と指の間にそれぞれスルリと忍び込んできた。
そして、そのままギュッと握られ、僕の手は僕の膝の上から先生の膝の上に移動する。
僕はビックリして体を強張らせた。
これは、他の人から丸見えだ。
僕は焦って、思わず目を開いた。
するとそこに、先生の膝の上に乗せられたステファノマーノのブラックのブリーフケースが目に入った。
僕の腕は、そのブリーフケースと先生の膝の上の間に伸ばされていて、その隙間に消えている。
これは、本当に心臓に悪い。
先生のビジネスバッグが上手い事目隠しになり、僕等が手を繋いでいる事は、周囲に気付かれぬよう配置されている。
僕はそっと息を吐き出し、安堵を漏らした。
先生の熱が、僕の手に伝わり熱い。
その熱が僕の心に伝い、擽ったくて気持ちが火照り出してきた。
その熱が、体にまで届いて徐々に体温が上がってくる。
けれど、動いてしまえば先生に狸寝入りしていた事がバレてしまうので出来なかった。
ずっとこのままでいたい、と思い、動きたい衝動を抑えてじっと身を固めた。
するとそこに、今度は先生の手では無い何かが、僕の頭に触れた。
柔らかくて、温かい。
それから、低くて静かな声が、僕の耳に届く。
「起きてるでしょ。いいよ、そのまま。」
僕だけに聞こえるその声は、それだけ言うと、もう何も耳に降りてくる事は無かった。
その代わり、また、頭に何か柔らかなものが触れるのを感じる。
衝撃的なその一言に僕の頭の中は真っ白になって、一気に恥ずかしさが込み上げてきていた。
先生にバレてた。
けれど、声の通りに寝た振りを続けてゆく。
先生は気付いていたのに、知っていて尚、僕を狸寝入りさせたまま僕の手をあんな風に握って、自分の膝に誘導したのかと思うと、恥ずかしくて堪らなくなっていたからだ。
だから、動くことが出来なかった。
狸寝入りしていたという負い目が、先生に対して逆らう事が出来ないという抑圧に変わる。
それが心地良い緊張を作り、緊張が僕の心を高揚させてゆく。
そして先生にずっと触れていたいという願望が、僕を支配してしまった。
体はどんどん熱を帯びてゆく。
誰にも見えぬところで、僕は先生の手を確かめるように、ほんのりきゅっと握り締める。
すると、先生の指もそわそわと落ち着きが無さそうに、僕をきゅっと握り返してくれる。
不特定多数の前で、誰にも気付かれない秘密のやり取りが交わされる。
溶けてしまいそうなほど、バッグの下では先生が熱い。
僕も同じく熱くなり、恥ずかしくて、のぼせてしまいそうになってきていた。
熱くて息苦しい身体で、僕は声を漏らさぬよう注意深く、深く深く息を吐き出して先生の体に僕を預けた。
僕だけの先生の薫りが、僕の嗅覚を擽る。
僕の思考は蕩けてゆき、甘く満たされてゆく。
思考が蕩けるのに比例するように徐々に体が重みを増してゆき、先生の体に沈み込み始めた。
熱く蕩けて重くなる身体と共に、瞼も重みを増してゆく。
甘く真っ白になってゆく意識が、徐々に先生の微熱の中に混じり溶け込んで、二人だけの秘密の陽炎を作った。
「王子。起こしてすまないが、着いたよ。」
先生の声がして、僕は瞼を持ち上げた。
首が痛い。
「あ・・・ん、う・・・。」
僕は首を持ち上げて、反対側へと倒す。
なんだか、体がカチカチになって、所々が変に痛かった。
まだ、ぼんやりとして上手く意識が戻らないまま、猫のように伸びをする。
「んう・・・う。せん・・・ん。」
油断すると再び意識が落ちそうになるのを、なんとか体を動かす事で持ち堪える。
けれど、どうしても上手く意識が戻って来なくて僕は再び先生の上に頭を落としてしまった。
「起きて。」
頭の上で、聞き慣れてきた僕の好きな人の声がする。
「ん・・・。」
僕は息を吐き出しながら、上手く力の入らない体をゆっくり持ち上げようとした。
すると、耳元で再び、大好きな声が響く。
「起きないと、他の乗客の面前で君にキスするけどいいのか?」
「はっ・・・!!!」
バチンと目が開く。
「な・・・!!」
僕は慌てて体も起こして、きっちり背筋を正した。
それから、周りを見渡す。
あちこちに視線を走らせるけれど、僕の隣に先生が座っているきりで、人の気配は全く無かった。
先生に焦点を合わせてじっと見ると、先生はクスクスと笑っている。
「皆、降りたよ。俺達も降りるよ。」
「あえっ、はいっ。すみません。」
僕はやっと、随分と寝ぼけていたことに気がつき、また、かなり熟睡してしていた事に気がついた。
そこに気付くと、再び僕は顔が熱くなってくる。
僕が慌てて荷物を纏めて席を立とうとすると、先生の襟元が僕の視界に飛び込んできて覆った。
それと同時に、額に柔らかなものが微かに触れる。
それが離れていくと、先生がとても機嫌良く笑っていた。
「続きがしたければ、家に着いてからね。」
「ちょ・・・。」
僕は慌てておでこを、自分の空いている掌で覆った。
不意打ち過ぎる。
それから、先生にもたれかかって居た時に、度々僕の頭に触れた柔らかなものの正体を悟った。
恥ずかし過ぎる。
恥ずかし過ぎるけれど、それと同時に嬉しさも込み上げてくる。
「あっ、あの、続き・・・。」
「うん。後でゆっくり。」
先生が涼しい顔を装いながら目尻を下げて微笑むと、降車する為に出口に向かってゆく。
熱いままの体に僕は自分のバッグを肩にかけ、先生の後に続いて新幹線を降りた。
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