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第149話

149.  僕は先生の家に3日ぶりにお邪魔していた。  来れない間はアンのことが心配だった。  けれど、様子を見に来てみれば、案外平気そうなアンがいた。  いや、平気そうに見えるだけなのかも。  本当は弱っているけれど言わないだけ、かもしれない。  僕は久しぶりにアンの隣に座る事を許されていて、一緒にテレビを見ていた。  見ているといっても、なんとなく眺めているだけなんだけど。  アンは笑ったり泣いたりする事もなく、ただ静かに僕の隣に座っていて、テレビから流れてくる人の声に耳を傾けているようだった。  やっぱり少し、変かもしれない。  アンがこんな風にテレビを流して、座って眺めているだけなんて、やっぱり何処かいつもと違うのかもしれない。  けれど、いつもってどうだったっけ?  具体的に考え始めると、どうであったか、いまいちよく分からなくなってくる。  そっと、アンの手に僕を伸ばす。  アンは振り解こうとしてこない。  僕はアンに僕を重ねたまま、隣で一緒にぼんやりとテレビを眺めた。  午後になると先生が帰って来た。  今日はいつもより遅くて5時を回っていた。  玄関のチャイムが鳴り、僕は慌てて鍵を開ける。  すると、笑顔の先生が玄関先に立っていて、いつもと違い、白い箱を片手にぶら下げている。 「おかえりなさい。」 「うん、ただいま。」  カチャリと玄関の扉を閉める。  それから、先生が靴を脱いで部屋に上がろうとする前に、白い箱を手渡された。 「あの?これ?」 「おみやげ。晩御飯前になっちゃうけど、お茶にしよう。王子、準備頼めるか?」 「えっ、あ、はい。」  僕はキッチンに戻り箱の中身を確認する。  中には三つ、ケーキが入っている。  えーと、これは迷うぞ。  取り敢えず、お湯を沸かし始めてから一旦その場を離れ、アンの側へ駆け寄った。  それからしゃがんで声を掛ける。 「アン、先生がケーキを買って来てくれたんだけど、飲み物は何がいい?紅茶?それとも緑茶?コーヒー?」 「ケーキ?何があるの?種類は。」 「あぁ、えっと。チーズケーキと、あとフルーツタルトと、モンブラン、・・・で御座います。如何なさいますか?」 「じゃ、モンブランに煎茶をお願いするわ。」 「はい。畏まりました。」  僕は態と恭しく丁寧にアンの指示を受ける。  姫君に傅く事で、少しでも気が紛れてくれるといいんだけどな。  それから、荷物を片付けに寝室に戻った先生にも声を掛ける。  そろそろとほんの少し引き戸を開ける。 「先生はチーズケーキと、フルーツタルト、どちらにしますか?」 「ああ、王子が先に選んで。」 「えーと、じゃあ、コーヒーと紅茶は、どちらにします?」 「それも任せる。」  ちょっと。  折角聞いてるのになぁ。  多分コーヒーなんだろうけど、遠慮してるっぽいなぁ。  もー・・・。 「わかりました。」  返事をし戸を閉めて、そそくさとキッチンへ戻ると丁度お湯も湧いて、良い具合になっていた。  僕は棚からそれぞれのカップを取り出すと、順番に注ぎ入れていく。  三種類。  湯気が昇る度、色んな匂いが混じってゆく。  それらをダイニングテーブルに並べ、ケーキとフォークも並べてゆく。  三人分。  荷物を置いて身支度を整えた先生がいつの間にかそこに立っているので、声を掛ける。 「先生はそこ座って下さい。」  それから、ソファに座っているアンを呼びに行く。 「お茶の準備が整いました。こちらにお越し下さい。」  再び恭しく告げ、アンの手を取り強引に引っ張って連れて行く。  それから、そこの椅子に座らせた。 「あなた、私がここに座ったら、あなたの座る場所が無いじゃない。」  アンが少し不機嫌に問いかけてくる。 「いいんだよ。」  僕はアンに微笑み返した。  それから先生に尋ねる。 「先生。寝室のパソコンデスクの椅子をここに持って来ていいですか?」 「あ、あぁ。そうだな。持っておいで。」 「はい。」  先生の了承を得ると、早速、奥から椅子をコロコロと転がしてテーブルの前に付けた。  これで、椅子も三脚。  僕は真ん中に、やっと腰を落ち着けた。  多分、こうして三人で食事を囲むのは初めてな気がする。  いつもは、先生が居ないか、アンがソファで一人おやつを摘むかで、割と皆バラバラだった。  けれど、今日はなんとなく、皆で食べたいと思った。  折角先生が三人分買って来てくれたから。  理由については分からないけれど、多分先生の気紛れ。  でも、嬉しかった。  だからその気紛れに僕も便乗して、いつもと違う振る舞いをする。  少しでも楽しいって、アンも先生も楽しくケーキを食べる事が出来るといいなと思ったから。 「いただきまーす。」 「頂きます。」 「いただきます。」  僕は紅茶を一口啜ると、ケーキにフォークを突き刺し頬張った。  ケーキなんて、久しぶりに食べた気がする。 「んまっ!」 「そうね。」 「良かったな。」  いつもと変わりのない日常。  けれど、変わりのない日常の中の、いつもとちょっとだけ違う日常。  いつもとちょっとだけ違って、いつもよりだいぶ甘い日常。  いつもよりだいぶ甘い日常の中の、ちょっとだけの会話。  ちょっとだけの会話の中の、ちょっとだけの時間の共有。  ちょっとだけの時間の中の、ちょっと楽しい日常。  僕はフォークを口に運びながら、なんとなく笑った。  自然に口元が緩く綻ぶ。目尻が細く垂れてゆく。  良い香り。  口の中が甘くて、幸せ。

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