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第150話

150.  僕が食器を片付けるために食器棚を開けていると、アンが向こうから先生に声を掛けていた。 「太宰くん、悪いんだけど、王子を送るときにマイセン買って来てくれないかしら。」  マイセン?  なんか聞いたことある。  マイセンってさ、食器の?  僕の視線の先に、ブルーのティーカップが留まった。  そういえば、これ何処のカップなんだろ?  気になって、そっとカップを持ち上げて裏を確認する。  ウェド・・・ウッド・・・?じゃないよね。読み方。  えーと、これ、何だっけ。とりあえずマイセンじゃない。 「新しい食器が欲しいの?」  僕は向こうにいるアンに声を掛ける。  すると怪訝そうな声色が返ってくる。 「食器?・・・何言ってるのよ。煙草に決まってるじゃない。」  タバコ?あぁ、銘柄の事を言っているのか。  食器の名前と同じ銘柄があるんだな。 「程々にね。先生も困るでしょ。」  僕が注意すると、アンがむくれる。 「なによ。甘いもの食べたから口寂しいのよ。解りなさいよ。」  そう言いながら、アンが青いパッケージをフルフルと振っている。  まだ、タバコあるじゃん。 「これ、王子くん捨てといて。」 「え、空なんです?」 「そうよ。だから捨ててって言ってるの。早く取りに来て。」  全く、これだから人使いの荒い姫君は困るよね。  僕は仕方なく片付ける手を止めて向こうへ歩いて行くと、青い箱を受け取った。  それから、パッケージをマジマジと見つめる。 なにこれ? マイセンなんて何処にも書いてないんだけど。 「アン、タバコの銘柄変えるの?」  僕はメビウスと書かれたパッケージを見ながら問いかけた。 「何言ってるのよ。私はずっとマイセン一筋よ。変えるわけ無いじゃない。」 「え、でもこれ、メビウスって書いてあるよ?」 「マイセンで合ってるの。それが、いつの間にかメビウスって印字されちゃったけど。」 「ふぅん?」  僕が不思議に思っていると、先生が会話に加わってきた。 「それ、俺も最初困ったぞ。コンビニでマイセン頼んだら、店員にその銘柄は扱っておりません。なんて言われてさ。だけど、手ぶらで帰ると君は怒るだろう。俺が困っていたら、別の店員がやってきて、これ、渡されたんだよな。」  先生が僕からメビウスのパッケージを取り上げる。 「全く、紛らわしいんだよ。手ぶらで帰る訳にいかないし、取り敢えず買ってから、スマホで検索かけたら、JTが商品名をマイルドセブンからメビウスに変更したって記事が出てきてね。そういえばそんなニュースもあったかな、くらいに思い出したけれど、俺も禁煙して長いからすっかり失念していたよ。」  へええ。そんな事があったのか。  っていうか、先生って昔はタバコ吸ってたのか。  そこに僕は驚いた。  全然知らなかったんだけど。  僕は、しげしげと先生の持つタバコのパッケージを眺めた。 「分かってからは、メビウスでコンビニでは通してるけど、アンは相変わらずマイセンだからな。」 「なによ。買えたんだからいいじゃない。今更なのよね。何年愛煙していると思ってるのよ。」  アンがむくれて唸り始めた。 「大体商品名変える方が悪いのよ。マイセンが出る前は、昔はバットを吸ってたけどね。」 「あぁ、バットか。あれは俺も吸ってたよ。でも、女の子にはあまり向かないだろう。」 「あら、太宰くんも?わたしも割と気に入ってたんだけどね。やっぱり汚れが気になってたのよ。何故って、わたしは綺麗でいないといけないでしょう?」  いつの間にか、タバコ談義が始まっている。  綺麗でいなきゃいけないって、なんて返すのが正解なの。  たまに、アンは返答に困る事を言う。  実際、綺麗だけども。  僕が少し悩んでいると、先生は関係ないとでも言うようにサクサク会話を進めている。 「俺は、自分で吸おうと思った訳じゃなくて、影響を受けただけだけどな。」 「へぇ、今から私に影響受けてもいいのよ?こちら側に戻ってらっしゃいな。」 「いや、遠慮しとくよ。前にも言った通り、俺には禁煙しなきゃいけない理由があるからな。」 「残念ね。じゃ、今度バットもお願いしようかしら。きっと吸いたくなるわよ。」 「勘弁してくれ。もう、煙は結構。」  そう言うと、先生は青いパッケージを持ったまま、キッチン脇のゴミ箱に向かっていく。  てっきり、吸わない人だと思っていたから、今まで考えた事なかったけれど、ちょっと吸ってる姿、見てみたい気もする。  先生のタバコの箱を持つ後ろ姿を見送りながら、吸ってる姿もきっと格好良いんだろうな、と思った。  ほんの少し、うずうずした。 「王子。遅くなるといけないから、そろそろ帰るよ。」 「あ、はい。」  僕は慌ててキッチンに戻り、残りの食器を片付ける。  皆でケーキ食べたからかな。  いつもより、先生とアンが楽しそうだった気がする。  ていうか、もう結構仲良しじゃん。  この間は、あんなに言い争っていたのにね。  良かった。  少しでも、アンの気が紛れてくれれば、それでいいな。  それに先生の知らなかった部分を知れた。  多分アンが居なかったら、先生が昔はタバコを吸って居たことなんて、僕は知らないままだったんじゃないのかな。  なんだか嬉しい。  これはちょっと、アンのお陰だね。  食器を片付け、自分の身支度を整えて玄関に向かう。 「アン、またね。」 「はいはい。また来なさいよ。」 「うん。」  相変わらず、向こうのソファから動かないまま、こっちに返事をしてくる。  まぁ、別にいつもの事だし、それでいいな。  アンが機嫌が良いなら、それで。  先生も、玄関にやってくると、再び向こうからアンの声がする。 「太宰くん、マイセン忘れないで頂戴ね。」 「解ってる。メビウスね。」 「だから、もー。ま、いいわ、お願い。」 「はい。」  僕は先生の家の玄関の扉を開ける。  すると、一気に夏の夜の湿った空気が肌に纏わり付いた。  虫の音が聞こえる。  お盆ももう終わり、八月も残すところ僅かだ。

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