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第159話
159.
夏目老中が、柔らかく笑いかけてくれている。
僕は安心して、体の緊張が解れていくのを感じた。
「いやいや、森くんが無事で何よりでしたよ。」
そう言うと、夏目老中は一口紅茶を啜った。
先生が続けて尋ねる。
「ところで、坂口の犯行ですが、何故何度も森を狙うのでしょう?本当に単独犯なのでしょうか?」
「と、言いますと?」
夏目老中が不思議そうな顔をして先生に尋ねた。
「私には、どうも手引きしている他の第三者が居るとしか思えないのです。何故こんなにも、執拗に森を狙うのか?」
「失礼を言って済まないが、それは禁忌を犯した逆恨みなのでは無いのかね?彼女は純血だから、恐らくは保守派なのだろう?存在が許し難かったのでは無いのかねぇ。」
「許し難く思っていたのは、本当に彼女でしょうか?私の裁判の判決で一番悔しい思いをしたのは、一体誰であったのか。そこが重要と思っております。」
僕は生唾を飲んだ。
先生が核心に切り込み始めた。
そんな事を言うなんて、予定に無かったはずだよ!
冷や汗が噴き出してくる。
この後、先生はどうするつもりなんだろう。
夏目老中の反応が気になる。
「一番悔しいねぇ。まさかと思うが、太宰殿は中原殿を疑っていたりなどはしていないだろうねぇ?」
「そのまさかです。」
僕はじっと身を固めた。
先生に考えがある事も分かっていたけれど、この綱渡りは危険過ぎる。
来月には老中に復職する人物を疑っていると宣言するのはリスクが高過ぎるのだ。
案の定、夏目老中が唸り始めた。
「慎みたまえ。そのように疑う事は、いくら太宰殿が現老中で有ろうとも軽口が過ぎるねぇ。そんな事が解らないような君ではないだろう?」
「お言葉ですが、中原殿が姿を眩ませたのは、森の最初の事件前であったことはお忘れですか。何故居なくなったのか、中原殿とお話はお済みですか?」
「先ほどお伝えしたろう。付け狙われていたから逃げていたのだと。」
「誰に何故付け狙われたのですか?何故、身を隠すのが森の事件が起きる前のタイミングだったのでしょう?坂口が狙ったのが私ではなく森だったのは何故ですか?」
「それは・・・まだ、確認はしていない。だが、坂口が森くんを狙ったのは、禁忌を犯した存在が吸血鬼界に存在しているという逆恨みだとは思うが。それに、もし中原殿が手引きしたと仮定すると、直接太宰殿を狙わなかったのは何故なのかね?」
「実はそこが重要なんです。私は坂口と同じ学校の職員として在籍しています。私を手に掛けるチャンスなら幾らでもあった筈でした。しかし狙われたのは、私ではなく森だったのです。その理由は坂口から聞かないと解りません。けれどきっと、聞いても解る事は無いでしょう。」
「解ることがない?」
いつの間にか、眉根を釣り上げていた夏目老中の眉毛がピクリと更に釣り上がった。
先生ってば、挑発し過ぎ!
なまじ先生が何処に着地したいのか解ってしまう為に冷や汗が止まらない。
不安が募る。
「そうです。坂口は恐らく何も話さないでしょう。いや、話せないと言った方が正しいかも知れません。」
「太宰くん、君は何が言いたいんだね?」
語気を強めた夏目老中から、ピリピリとした空気が伝わり僕にも届いた。
夏目老中が緊張してきているのを僕でも感じとれる。
次に先生が何を言うのかと思うと、気が気じゃない。
気が付けば、僕は先生の口元を遠慮がちに覗き込んでいた。
先生が口を開く。
「坂口は奴隷です。だから、話せないし、真実も闇に葬られたままになるでしょう。」
「なに?」
夏目老中の声が一際大きくなる。
それもその筈で、僕だって驚いていた。
まさか、そんな事まで話すなんて思っていなかった。
こんなの全然予定と違う。
奴隷と宣言した時点でアンの人権は無くなる。
なのに、先生がそれを言うなんて思ってもみなかった。
しかも、夏目老中の前で。
「軽口も程々にしたまえ。いくら森くんが大切だからといって犯人を必要以上に貶める事も、中原老中を侮蔑する事も容認できない。」
張り詰めた夏目老中の声が木霊する。
やばい。
完全に相手を怒らせた。
まずいよ。まずい、まずい。
懐柔どころか、敵対しちゃってるじゃん。
息を荒げた夏目老中が目の前に座っている。
僕は話し合いがどうなってしまうのか、息を潜めて見守るしか出来なかった。
夏目老中が咳払いをする。
「声を荒げて済まないねぇ。しかし私も老中だ。詳しく話を聞こう。」
先程声を荒げていた夏目老中が、落ち着きを取り戻そうとしている。
まだ緊張は感じるものの、柔らかな声音に戻っている。
「有難うございます。」
先生がお礼を告げた。
僕は相変わらず先生に肩を抱き込まれたまま、話の行方を見守り続ける。
緊張して正直僕は動けない。
「結論から申し上げますと、坂口は中原殿の奴隷です。」
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